ヒザを怪我して感じたこと
- inoriwokomeru
- 907
- 1
- 0
- 0
ヒザを痛めて、いつも15分で歩ける道が30分もかかってしまう。 階段の上り下りに今までにないスリルを味わう。 お陰で、ヒザを痛めて長年まともに歩けない祖母の気持ちや、辺りを歩く高齢の方の気持ちが、少しだけ分かる。
2016-02-19 15:37:49「痛めたお陰で、前より優しくなれました。」 こんな気持ちを受け入れてくれるのが、神仏だと思うのです。 だから、 「其処に鎮座してくださって、有り難うございます。」 「受容してくださって、有り難うございます。」 そう伝えるのです。
2016-02-19 15:42:32存在そのものの感謝。 それは自己承認にも通ずるものです。 神仏は地球のエネルギーの一部です。 自分も地球のエネルギーの一部です。 だから、神仏の存在を感謝することは、地球に感謝することであり、自分自身を承認することなのです。
2016-02-19 15:44:53よく、 「早く治りますように!」 そう祈る方を見かけます。 たしかに、そういう神秘の治癒力も地球には存在するかもしれません。 だけど、せっかく良い機会をいただいたのです。 人の気持ちを知る良い機会を、です。 それをいきなり「治せ」というのは、戴き物を拒絶することです。
2016-02-19 15:49:07また、「早く治れ」というのは、自分の状態を承認できていないからこそ、思うのでは無いでしょうか。 痛みに怒り、心穏やかでないと、いつまでも苦しいままです。 痛みを拒否し、鎮痛剤を飲んでも、痛みの原因はそのままです。 痛みは、体の不調を知り、体を労(いたわ)る良い機会です。
2016-02-19 15:54:43自身にふりかかる、あらゆることは全て与えられたものだと僕は思っています。 それを「良」と解釈して感謝するか、 「悪」と解釈して怒るか、 それも僕次第だと思っています。 捉え方次第では、全ての出来事や存在が感謝でしかない、そう思えるのではないでしょうか。
2016-02-19 16:00:56自分の周りは、感謝で溢れている。 この感動を伝えることができる場も近所にある。 そう感じることができると、 どんなときでも、満たされていられるのです。
2016-02-19 16:04:06