現代社会における宗教とは

中村圭志先生のツイートを纏めました。 多くの人が一見、宗教とは縁のなさそうな生活をしている一方で、諸所に吹きだす問題の背後に宗教的なものが潜んでもいる。そのあたりを、鋭く、かつ解りやすく解説して下さってます。
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Keishi N 中村圭志 @7AChip

人々は宗教に関心があるのか。ないのか。世の中は世俗化したのか、宗教が復興しているのか。――こういった疑問は、一部は「世の中の動向をどう見るか」の問題であり、また一部は「何をもって宗教と言うのか」の問題だ。「宗教」という言葉は伸縮自在なので、話がチグハグになりがちだ。

2016-02-22 11:23:01
Keishi N 中村圭志 @7AChip

「宗教」とはまずキリスト教とか仏教とかイスラム教とか、いくつかの確立した伝統の具体的な中身を指す言葉である。しかし、それらを比較するに当たって、概念が一般化される。救いとか儀礼とかを横断的に眺めると、これらの伝統を超えて、さまざまな文化のさまざまな要素が「宗教」的となる。

2016-02-22 11:23:20
Keishi N 中村圭志 @7AChip

結局、「宗教」という言葉は、人生と世界の意味や起源をめぐる思想や習慣、あるいは、聖と俗、究極的関心などといった概念が適用できそうな思想や習慣に一般的に適用される概念となる。何が「宗教」であるかは、観察者が適宜決める。そういう「宗教」を便宜的に「宗教的次元」と呼んでもいいだろう。

2016-02-22 11:23:42
Keishi N 中村圭志 @7AChip

こういうレベルの話では、世の中が「世俗化」しようとしまいと、「宗教」が衰えることはない。姿を変えるだけだ、ということになる。人間は制度の起源、権威の源、人生の目的、死の意味などに関して推論によって決定的答えは出せない。この謎を語る言説はどうしても「宗教的次元」に属することになる。

2016-02-22 11:23:58
Keishi N 中村圭志 @7AChip

他方、仏教とかキリスト教とかイスラム教とかの伝統的なシステム自体はここ数百年の間にいろいろ様変わりした。伝統の思想や習慣に沿うよりも、国家や会社が提供する現世的なさまざまな課題に適応することの方に圧倒的に時間が割かれる時代が来た。この「世俗化」の流れは圧倒的なものだ。

2016-02-22 11:24:16
Keishi N 中村圭志 @7AChip

だから、多くの人々は、「宗教的次元」に関して、伝統宗教に沿う形ではなく、現代の社会・文化制度の中で、自前で追求するのがふつうになってきている。この動向には色々な流れがあるが、現代の制度を支える両極端、「個人」と「国家」のまわりにテーマが集結する傾向があるのは自然だろう。

2016-02-22 11:24:35
Keishi N 中村圭志 @7AChip

つまり、一方では、人々の「宗教」は個人主義の周辺に結晶化している。伝統宗教にも霊性とか救済とか悟りとか信仰とか個人に集中する概念があるが、ここがもっぱら宗教の焦点ということになる。また菩薩道を福祉に読み替えることも可能だし、救済を自己実現に読み替えることも可能だ。

2016-02-22 11:24:53
Keishi N 中村圭志 @7AChip

伝統宗教の持ち駒からは「信仰義認」から「歎異抄」から「即心是仏」までが動員される。新たなものとしてはヒッピーの「宇宙意識」やら自己啓発セミナーの教えまでが動員される。

2016-02-22 11:25:53
Keishi N 中村圭志 @7AChip

他方では、個人を支える社会制度の聖化の意識が高まる。社会制度には経済的なものも政治的なものも含まれるが、福祉制度から警察や軍隊の制度まで、そして六法全書の世界全般にわたってそれを維持している「国家」というものの聖化の意識がどうしても高まることになる。

2016-02-22 11:26:19
Keishi N 中村圭志 @7AChip

もっとも、個人を支えるものとしては、ローカルな共同体、科学テクノロジー、資本主義の原理、民主主義の原理、基本的人権……など種々のものが考えられ、それぞれ「国家」とは緊張関係にある。しかし、なんせ国家は法的拘束力をもった具体的な権力であるから、ここをこそ聖としたい右派が常にいる。

2016-02-22 11:26:40
Keishi N 中村圭志 @7AChip

個人あっての社会、社会あっての個人という一般論は、個人あっての国家、国家あっての個人という形で語られやすいし、部分の集合から全体を語るよりも、全体の聖性の分かち合いとして部分を語るほうが情に訴えるので、「国家あっての個人」がスローガンとしては突出しやすくなる。

2016-02-22 11:26:58
Keishi N 中村圭志 @7AChip

現代世界において、一方では自己実現ブームに見られるように自己聖化が圧倒的でありながら、それが簡単にナショナリズムに転ずるのは、思考の仕掛けとしてはそれほど奇妙なことではない。個人⇔国家という相互性が現に機能しているのだから、どっちを聖化するのも紙一重なのだ。

2016-02-22 11:27:15
Keishi N 中村圭志 @7AChip

だから伝統宗教のシステムの衰退がありながら、自己実現とナショナリズムという形で「宗教」的な情念が渦巻くようになってきており、簡単な話、競争社会の中で個人も追い詰められているし、国家だって実は沈没寸前だから、多くの人は、個人と国家を聖化したくてうずうずすることになる。

2016-02-22 11:27:31
Keishi N 中村圭志 @7AChip

(象徴的に言えば「逃げちゃダメだ」のシンジが、自己実現を狙いながら、エヴァの戦闘態勢にまんまとからめとられ、それを描いている漫画オタクがけっこうな軍事マニアだということである。そして人類補完計画で、個が全体に解消される。しかもその全体が陰謀だ。まさしく右翼アニメの傑作である。)

2016-02-22 11:27:48
Keishi N 中村圭志 @7AChip

そんなこんなの全体が「世俗化」だ。伝統宗教の衰退がある。個人主義化した宗教の先鋭化がある。国家主義の情念がある。さらに、伝統宗教からの反撃の試みもあるし、それぞれが混交した形もある。伝統宗教自体も、来世中心から現世中心に変化した。「聖と俗」とか「究極的関心」とかは常に存在している

2016-02-22 11:28:07
Keishi N 中村圭志 @7AChip

「科学時代なのになんで今さら宗教が?」と思われるかもしれないが、科学の内容は宗教ではないとしても、科学の営みは政治の営みであり、政治の営みは宗教の営みと紙一重だ。科学があろうとなかろうと、人々は宗教的になり得る。

2016-02-22 11:28:21
Keishi N 中村圭志 @7AChip

しかも科学が生んだ情報テクノロジーは、人々の宗教的情念に利用されやすい。宗教テロリストはネットが大好きだ。今はなんでも自己宣伝の時代だから、派手にやる連中もどんどん出てくる。宗教的自己宣伝(自爆も含め)自体は、なんでもアピールしたい世俗の価値観と一致しているのである。

2016-02-22 11:28:40
Keishi N 中村圭志 @7AChip

だから「宗教復興」にも二重のニュアンスがある。第一に、個人と国家が危機にさらされている現代社会の脅威に対する反応としての宗教的情念。スピリチュアリティとナショナリズムに典型的に表れている。第二に、こうした現代的構造それ自体に対する疑念の表面としての伝統宗教からの問い直し、だ。

2016-02-22 11:28:59
Keishi N 中村圭志 @7AChip

こうした「伝統宗教からの問い直し」は一面ではいわゆる「ポストモダン」に含まれた要素であるし、ひろく左翼思想などにも含まれたものだ。イスラム復興にも含まれている。おもしろいのは、伝統を標榜する右翼が、この点ではむしろ全く非伝統的であり、現代の競争原理へのスリヨリが目立つということ。

2016-02-22 11:29:15
Keishi N 中村圭志 @7AChip

私は右翼にもナショナリズムにも反対であり、左側に属している。ナショナリズムと自己実現は表裏一体だと思うので、単純な個人主義ではない。まあ、ポストモダンかもしれない。伝統宗教は現代社会に対する有力な批判材料だと思うが、まるごとエンブレースするつもりはない。

2016-02-22 11:29:33
Keishi N 中村圭志 @7AChip

世界中で排外主義が台頭する今の時代のようなものを生み出した現代社会は、やはり失敗作なのだと思う。しかし、歴史を無視して一挙に解決する方策などない。ヒステリックな反応こそ危険だ。ナショナリストの発想の中には、そうしたヒステリーも含まれていると思う。「近代の超克」もまた危ない。

2016-02-22 11:29:46
Keishi N 中村圭志 @7AChip

穏やかなオチでまとめたい。私としては、ローカリティ、科学テクノロジー、民主主義、基本的人権、といった形でまとめられてきたコンセンサスを育てていくという穏やかな方法が王道だと思う。ここに伝統宗教の神仏や来世の(つまり広い時空間の)認識による智慧の制度が入っていていいということだ。

2016-02-22 11:32:15