フェティシズムと萌えの区別がつかない状態で
「萌え」が、対象への精緻な接近を含まない、ということを度外視して議論しているために、見事にとっちらかっている。 →http://togetter.com/li/5465
2010-02-11 15:12:56フェティシズムと萌えの区別がつかない状態で、萌えについて論じて、まともに話が進むわけがないだろjk。でも、意外と多くの「萌える」を体験していない人が「萌え」を語る際に、このような混乱を平然としてしまっていたりするから困る。
2010-02-11 15:14:40フェティシズムと「萌え」は、ミロのヴィーナスと初音ミクのねんどろいどぐらいには違うぞ。というか対象との対峙形式が根本的に異なる。はっきり違うと言っていい。少なくとも、オタ一般にみられる「萌え」に関してはそう言える。
2010-02-11 15:15:58まだ、こういう基本的なことを整理せずに「萌え」を整理しようと無茶してる人がいるのか。誰か、本腰入れてこのあたりを整理して、見えやすい形でまとめてくれないものか。
2010-02-11 15:18:10@twit_shirokuma 該当ページは後で読みますけど萌えとフェチとの違いについて斎藤環が語ったこれがぼくにとっての鉄板です。http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_dd9c.html
2010-02-11 15:22:07@moegino 感覚としては、中盤にあった「「萌え」はイマジネールで、フェチはレアル」。に近いものとして捉えています。
2010-02-11 15:25:14@moegino 自分の脳内で頻用されている表現なら、「萌え」=記号をもとに観たいものを膨らませたシミュラークル 「フェチ」=実体そのもののなかの惹き付けられる部分に対するズームアップな接近 って言葉が近いかも。
2010-02-11 15:26:40@twit_shirokuma 斎藤環ふうに言えば、フェチには素朴な実態主義があって、萌えはそうじゃない。その辺は合意だと思う。で、ぼく個人的な悩みは、ではアイドルファンには「素朴な実態主義」があるのかどうか?(ぼく自身は、それがないことを「信じてる」)
2010-02-11 15:32:45斉藤環さんは、村上隆さんの作品が「萌え」だとか言ってたような、気がする。あれをみたとき、「違うね。全然違う。」と思ったものだ。今でも思っている。
2010-02-11 15:34:06@moegino それは、人それぞれなんじゃないでしょうか。世の中には、甚だ非効率ながらも、萌えなアニメ作品にフェチな部分を多く求める人もいるでしょうし(自分なら、そんな非効率なことはしないでしょうけど)。
2010-02-11 15:35:47そういう意味では、村上隆さんの作品が「萌えの代表」と言っちゃうのか、それとも「これは違う。似て非なるものだ」と鑑別できるかどうかは、「萌え」の立ち上がってくる形態に自覚的かどうか、良い試金石だと思う。
2010-02-11 15:37:18その辺は彼の限界だと感じる。著作で村上のビジュアルを採用したこともあったな。 RT @twit_shirokuma 斉藤環さんは、村上隆さんの作品が「萌え」だとか言ってたような、気がする。あれをみたとき、「違うね。全然違う。」と思ったものだ。今でも思っている。
2010-02-11 15:37:20@moegino アイドルで例えるとエレンさん的にはわかりやすいかも。AKBは記号性が高いので「萌え」の範疇、地下アイドルは対象との距離がかなり近いので「フェチ」みたいな。エレンさんにとってのハロプロのアイドルたちは実体と実感の伴った愛情に近いのであまり「萌え」っぽくないかも。
2010-02-11 15:37:53@poge ああ、確かにAKBは萌えの範疇に近いと感じます。対して、中森明菜や山口百恵は、「フェチ」かどうかはともかくAKBよりずっと「レアル」の側に近いように思えます。
2010-02-11 15:40:17斎藤環は感情レベルで萌えを感じ取ることはできない。一方東浩紀は極度に虚構を推奨する。ぼくはそうじゃないんだと感じてるんだけど、じゃあこのぼくの感じ方をどうやって文章にするかというと、病気を理由に逃げてしまっているけど、もしそのぼくの「病気」が萌えの本質だとすると、ちょっとヤバい。
2010-02-11 15:40:49@twit_shirokuma 僕はAKBに対して「ここまできたか!」と感嘆しています。「生身のアイドル」なのに個体識別が無意味なほど徹底して記号化されている。おそらくこの方向では限界まで行っていると思います。その先のことはあまり考えたくありません。
2010-02-11 15:48:54AKBを個体識別できなかった頃は単に「気持ち悪い」だけだった。ぴょんやあっちゃんをきっかけに番組を見て、篠田やたかみなや峯岸など個体識別できるようになって、ようやっと各々のリアクションに萌えを感じるようになったけど、ハローのように好きになるところまでは正直いってない。
2010-02-11 15:55:53ここでぼくが引用したくなるのは、ぼくがハロプロという「物語」に魅了されているという前提があるだろうという、そういう感じ方。これは、まとまったらブログに書くけど、まだまだまとまらない。
2010-02-11 15:57:38僕はアイドルマスターのキャラクターたちを愛でているが、絵や声や属性や要素に惹かれているわけではなく、徹頭徹尾虚構であるはずの存在の向う側にある何かを見ている。「神様が僕を見るように君を見ることができたならそれは対象aなのだ」
2010-02-12 23:10:36「私はあなたを愛している。しかしその愛はあなたをバラバラにする」実体としての愛の対象とその愛はズレが有る。そのズレが対象をズタズタに引き裂く。そのジレンマに苦しんだ挙句、存在しないモノに崇高さを感じるようになってしまった。存在しないモノは穢されず壊れない。
2010-02-12 23:20:42打ち曲を探し、タイミングを測ってはヲタ芸やコールを合わせるとき、バラバラのヲタたちがその空間に再現しようとしているものはなんなのか。打ち曲は多分に狙って作られているが、聴衆はただ無意識に動かされているだけではない
2010-02-13 01:15:05どんなに裏に黒い事情があれども、声優という職業をリスペクトしているので、「声聞くかぎり結構清楚な印象持ってたけど、この人の言動とか態度知ってから幻滅した」なんて事は絶対に言いたくないと思う。言動や態度で声優を評価するなんて、声優をただの凡人である人間側に貶める行為だと思っている体
2010-02-15 03:13:21