科学とジャーナリズムと査読と検閲

「ゲラのチェック」に対する考え方の違いについて、果物がつらつらと考えました。
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この論文を読んで衝撃を受けたのです

おきさやか(Sayaka OKI) @okisayaka

科学技術報道について研究者が伝わらなかった、間違った報道をされたと感じる事例についてはこちら dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstre…

2014-09-09 12:58:50
トーマ=サン @tomasanvnvlavc

「記事を事前に研究者にチェックしてもらうのは報道倫理に反するという強い倫理観」 まって何言ってるのかさっぱりわからない

2014-09-09 13:18:39

長年の疑問が解けたのと、納得いかないこと

枇杷 @loquat_priest

自分自身はメディアの取材受けた経験なんてないんだけど、科学を生業とする人が取材を受けて、「言ったことと違うことを書かれた」と苦情を述べてるのを、いくつも目にしたことがあります。

2014-09-09 23:16:24
枇杷 @loquat_priest

取材を受ける側からすれば対策は簡単で、載せる前の原稿を確認して、必要なところは訂正できればいい。ところが見聞きした範囲では、「原稿を見せて」と頼むと、多くの取材者は「それはできない」「そういうことはやらない」と言って拒むのだそう。それに対して「そんな取材は断れ」という人もいます。

2014-09-09 23:29:05
枇杷 @loquat_priest

自分はいままで、取材者が草稿を取材源に見せるのを拒むのは、その手間を惜しんでるんだ、悪く言えば「めんどくさいから」だと思ってました。ひと手間かければ自分の記事がよりよいものになるのに、なんでその手間を惜しむのかな、と素朴に疑問に感じてました。

2014-09-09 23:32:18
枇杷 @loquat_priest

今日、dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstre… コレを読んで、大きな誤解をしていたことに気がつきました。11ページ「取材後から記事掲載までに行われる情報交換に対する考え」。メディアの人々が“ゲラのチェック”をどう考えてるかがわかって、ショックとともに納得したんです。

2014-09-09 23:39:42
枇杷 @loquat_priest

科学者が自分の研究成果を世に問うとき、最も正統な方法は、原著論文を投稿して出版することです。その科学的妥当性を担保するため、科学者はふつう、査読つき雑誌を選んで投稿します。出版までの間に、論文はたいてい何回もの修正を余儀なくされるし、掲載そのものを断られる場合もあります。

2014-09-09 23:50:17
枇杷 @loquat_priest

何が言いたいかというと、科学者にとって、自身の著作物が出版前に他人の指摘で修正を受けるのは、当然に受け入れるべきこととされているわけです(ただし、科学的に妥当な場合に限る)。科学者の目で言えば、他人が書いたものも、必要があれば科学的なチェックを受け、修正されるのは当然のことです。

2014-09-09 23:57:14
枇杷 @loquat_priest

先の論文から読み取れるのは、これに対して、取材者の側は原稿のチェックを「査読」という視点では見ていないということです。「丸投げは原則としてダメ」「倫理的に見せてはいけない」「自分から検閲を受けている」とコメントしています。彼らにとって原稿を見せるのは「検閲」に他ならないんです。

2014-09-10 00:03:49
枇杷 @loquat_priest

(ここから先は自分の読解なので、必要なら修正をお願いします)科学者は自身の出版物の査読を、より科学的妥当性を高めるポジティブなものとしてとらえています。一方メディアに携わる人々は、出版物の査読と科学者が考えている過程を、出版の自由を侵す「検閲」としてネガティブにとらえています。

2014-09-10 00:08:54
枇杷 @loquat_priest

論文中のコメント「…学者だから研究者だから見せて当たり前というのは思い上がり。ジャーナリズムはしちゃいけないことです。ジャーナリズムの自殺です。」というくだりが、科学者とジャーナリストの間にある大きな溝を表していると思います。この溝が埋まらない限り、問題は解決しないでしょう。

2014-09-10 00:19:10
枇杷 @loquat_priest

自分は科学者の端っこの端っこに位置する人間なので、バイアスから逃れられません。それを自覚した上で、メディアのみなさんに考えてほしいと思います。研究者は果たして思い上がっているのでしょうか。事前に原稿を見せてということで、ジャーナリズムを殺そうとしているのでしょうか?

2014-09-10 00:23:18
枇杷 @loquat_priest

検閲とは本来、どういう意図のもとにどういう形で行われるのかをもう一度考えてもらいたい。科学者は、科学に対し謙虚で誠実であろうとする結果、当たり前のこととして自身の言論に責任を持たなければならないので、発信する内容をチェックしたいと望んでいます。

2014-09-10 00:32:42
枇杷 @loquat_priest

原稿を見せた結果、これは科学者の都合で内容が歪められている、ねじ曲げられている、検閲を受けたと感じたのなら、その旨正直に伝えた上でもとのまま報じる手もあります。最初から思い上がりだと原理主義的に拒むのは、それこそ思い上がりではありませんか?それこそがジャーナリズムの自殺では?

2014-09-10 00:36:56
枇杷 @loquat_priest

自分は報道の現場を知りません。しかし、例えば犯罪被害者に綿密な取材をして、それを実際に公にするとなったとき、被害者の傷に塩を塗るような内容になっていないかどうか、事前に内容をチェックしてもらうのはあり得ることでしょう。その過程まで「自ら検閲を受ける」と言ってしまうのでしょうか。

2014-09-10 00:41:22
枇杷 @loquat_priest

ジャーナリズムが検閲と闘い、表現の自由を勝ち取ってきた歴史には敬意を表します。それでも、ジャーナリストが自らの報道の質をより高めようと考え、自らの意思で事前に他者の評価を受けることを、私は検閲と呼んでほしくないし、原理主義的に拒むような態度は捨ててほしいと願います。

2014-09-10 00:45:16
枇杷 @loquat_priest

繰り返しますが、自分は報道に携わったことはないし、取材を受けたこともなければ、ジャーナリズムについて教育を受けてもいません。素人の独断と偏見ですので、事実認識や基本的な考えに誤りがあれば、ご教示いただければ改めます。以上連ツイおわり。

2014-09-10 00:50:08