編集部イチオシ

明治11年の東京実測図:科学技術史から読み解いてみる

明治11年に刊行された東京府の実測図を眺めながら、あれこれ文明開化の頃の科学技術に思いを馳せつつ雑談をまとめました。
人文 古地図 明治時代 明治
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はじめに
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
古い時代の地図は見ていて飽きない。古地図には人それぞれの興味関心で眺める楽しさがある。 この半月程、手元にある明治11年の東京実測図を眺めては、科学技術史・医学史に関係のありそうなポイントを確認している。以下、幾つか紹介してみたい pic.twitter.com/bLu4lNGiWA
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地図の基本情報
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
この地図の左上にある表題部分と左下隅にある年紀、右下にある描図者の写真。 タイトルは「実測東京全図」。刊行年月は、明治11年8月銅版の後、明治12年10月校補。銅版の描画は中村月嶺。 pic.twitter.com/V51D71vpx8
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
この地図の凡例部分と縮尺。縮尺はいまだ、1里=36町で記載されている。地図の記号で面白いのが、[★]の「電信分局」。電線の経路も点線で記されている。東京の街中に電信柱が立ち始めた頃の様子がこの地図からうかがえる。 pic.twitter.com/Xo7LaPiZVS
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
凡例に監修として挙げられている塚本明毅(1833~1885)という人物は、和算家・海軍軍人・地誌学者。例えば、明治2年に『筆算訓蒙』という洋算書を刊行している。 minervashobo.co.jp/book/b103303.h… pic.twitter.com/jS8JRttCLF
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地図の記載から(皇居周辺)
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
(この塚本明毅の評伝を書かれた塚本学先生は、明毅のご子孫にあたられる。) さて、実測図の紙面に戻る。最初に、分かりやすい皇居前。「修史館」「元老院」等が並び、八重洲丁の東京裁判所脇に[★]が見える。これが電信分局。 pic.twitter.com/7vSucvBJ4e
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
ちなみに、同じ頃に描かれたと思われる東京府内の電信路線図が、国立公文書館に所蔵されている。主要官庁の間を電線で繋いでいる様子がうかがえる。デジタル画像はこちら → digital.archives.go.jp/gallery/view/d…
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
次は霞ヶ関。練兵場の脇には「博物館」。その南に「東京府」(意外に狭い)。西の区画には「工部省」と「工部大学校」(後の東大工学部)。このロケーションがすごいのは、大学がガッチリと本省ににらみを効かせられているあたりかw pic.twitter.com/ZcBDzvf3RJ
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
再び、大手町方向へ。「印刷局」と「軍馬局」がある。内務省と大蔵省の敷地にも電信分局が置かれている。また、「製作局出張所」と「東京府勧工場」があるのも、殖産興業の先兵的な位置付けと考えられるかも。大手町に官営の工場というあたり。 pic.twitter.com/jvnNVugh7t
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
皇居内の情報がこの地図ではかなり明瞭に描かれている。同じタイプの実測図でも、明治25年のものになると、皇居内は空白に近くなる。( tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/0… を参照。) 西側には陸軍軍医本部が置かれている。 pic.twitter.com/UYEDYIAVBl
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
陸軍軍医本部に対して、海軍軍医局は品川方面、泉岳寺の付近に置かれていた。 pic.twitter.com/V1Iy2mgwn4
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地図の記載から(東京大学近辺)
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
文部省が竹橋のあたりにあったが、その真向かいに「東京開成学校」(後の東大)と「東京英語学校」が。これもしっかり見張られているような感じがするが、当時はどういう雰囲気だったのだろう。さらに、学習院も当時はすぐそばの敷地。 pic.twitter.com/zYpqs4qcFM
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
開成学校が一橋界隈にあった頃、現在の本郷キャンパス付近はどのようになっていたのかを見ると、医学部は既に、ここに居を構えていた事が分かる。陸軍省用地もあった。 pic.twitter.com/dJi2hSVU3H
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
この医学部から少し東南の方、昌平橋方面に向かうと、内務省の「司薬場」と「種痘所」が確認される。種痘所はこんな所にあったのか!と、初めて地図の上で確認できて満足。 pic.twitter.com/LpgDaiUKiL
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
湯島天神・神田明神界隈。「女子師範学校」(お茶の水女子大学の前身)と「書籍館」(図書館)が見える。ちなみに「金助町」内に田中芳男が住んでいて、娘を女子師範学校の幼稚園に通わせていた。これを見ると、家のすぐ側だったと一目瞭然。 pic.twitter.com/zS2P15ev1x
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閑話休題
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
本日の紹介はここまでにして、残りはまた明日と致します。なお、この実測東京全図については、下記のサイトで一覧できます。ご参考 ss.em-net.ne.jp/~samrai/towngu…
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
それでは、昨日の地図の紹介の続きを
後楽園界隈
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
元の水戸藩邸(今の後楽園ですな)はこの当時、「砲兵本廠」と記載。 pic.twitter.com/4aMuAnhmuu
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
そして、市ヶ谷の方に抜けると「陸軍士官学校」が現れる。 pic.twitter.com/M5pAlfXFpG
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新宿・渋谷付近
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コメント

文里 @wenly_m 2016年2月26日
後日の紹介も楽しみ。
文里 @wenly_m 2016年2月26日
ke_1sato 紹介、ありがとうございました。現在の上野公園に当たる場所の地図、東博はそのままだけど、この時から後に寛永寺の塔頭が無くなって、芸大や動物園になってるんですね。
文里 @wenly_m 2016年2月26日
赤羽橋・三田の地図、ちょうど慶應義塾大学のある三田の山や今のイタリア大使館の旧松山藩中屋敷の手前で切れている。見たかったところなのに・゚・(ノД`)・゚・。
tanaka @tanaka_jeonjung 2016年2月27日
これは本当に面白い。
科技アカウント @kagimatome 2016年2月27日
皇居のことを戦前は宮城(きゅうじょう)と呼んでいたと聞いていたのですが、皇居と呼ばれる場合もあったのですね。
Masanobu Hirano @mahiran 2016年2月27日
宮城という言葉で思い出すのはやっぱり「宮城事件」だなあ。
堀石 廉 (石華工匠) @Holyithylene 2016年2月27日
火薬庫とかの軍事的な重要拠点も隠してないのが意外。
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