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『徳一と最澄』の問題点

中公新書『徳一と最澄』についての師茂樹さんのtweetをまとめました。
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師茂樹 MORO Shigeki @moroshigeki
久しぶりに中公新書の『徳一と最澄』を読み直したら、あまりにもアレだったので、思想史的な部分だけでも修正したものを書きたい。
師茂樹 MORO Shigeki @moroshigeki
以下、現実逃避の一環として (^_^;) 思いつくままに『徳一と最澄』amzn.to/1Qk5lz9 の問題点を列挙してみる。言うまでもなく、『徳一と最澄』固有の問題点だけでなく、徳一に関する通説の問題点も含む。
師茂樹 MORO Shigeki @moroshigeki
『徳一と最澄』の問題点①:徳一の出身寺院を興福寺とするが、Wikipediaにも書いたように ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3… 平安時代の諸資料の多くが東大寺とする。『今昔物語集』が「興福寺ノ前ノ入唐ノ僧」とするあたりから修円の弟子説、藤原刷雄との同一視説が出る。
師茂樹 MORO Shigeki @moroshigeki
『徳一と最澄』の問題点②:徳一伝の成立に関して、鑑真伝の形成と重ねあわせているが(17頁〜)、少なくとも思想史的には鑑真教団の教学を利用していたのは最澄で、徳一はそれを批判する立場。『論理と歴史』amzn.to/1Qk6wOY 第5章3参照。
師茂樹 MORO Shigeki @moroshigeki
『徳一と最澄』の問題点③:徳一の名前の典拠を『老子』の「昔之得一者、天得一以清…」の「得一」とし、同じ『老子』の「道生一、一生二、二生三、三生万物」を三一権実論争に結びつけていることについてはノーコメント(東大寺僧であったとすれば、同時代の明一と「一」を共有するが、関係は不明)。
師茂樹 MORO Shigeki @moroshigeki
『徳一と最澄』の問題点④:「徳一年代学考証の基本になる第一等史料は…『法相系図』徳一伝とすべきである」と言いながら、「わたくしはその原本にふれることのできない」と述べる(42頁)。見てないんかいな (^_^;)
師茂樹 MORO Shigeki @moroshigeki
『徳一と最澄』の問題点⑤:「徳一は宗門史では、筑波山徳一として伝するのを正統とする。これは『元亨釈書』に始まり、『東国高僧伝』『本朝高僧伝』みな然りとする」(99頁)。『元亨釈書』を「宗門史」というのは、意味がよくわからない。筑波山伝承も比較的新しいものかと思う。
師茂樹 MORO Shigeki @moroshigeki
『徳一と最澄』の問題点⑥:徳一が最初に論争をしかけた可能性がある道忠教団について、「東国における最澄同調者」「その足もとで受け売りする上野・下野の道忠教団」とするが(123-4頁)、鑑真の弟子筋であり最澄の後援者をそのように評価するのは問題。
師茂樹 MORO Shigeki @moroshigeki
『徳一と最澄』の問題点⑦:最澄が天台教学を日本にもたらしたわけではなく、鑑真グループをはじめ複数の先達がいる。道忠教団との接触を含め、経済的にも思想的にも最澄はその影響下にあったと考えたほうがよい(後に独自色を出していくとしても)。
師茂樹 MORO Shigeki @moroshigeki
『徳一と最澄』の問題点⑧:「われわれの今日の理解においては、最澄の法華一乗論は堂々たる正論で、徳一の唯識三乗論は木を見て森を見ないような煩瑣学問」(126頁)。これは『徳一と最澄』の問題ではないが、天台教学も十分に「煩瑣」であることは、もっと知られて欲しい (^_^;)
師茂樹 MORO Shigeki @moroshigeki
『徳一と最澄』の問題点⑨:「三一権実論争は、いわゆる論の論争ではなかった。経の論争すなわち根本所依の経典解釈の原典批判の論争であった」(130頁)というのは、一面しか捉えていない。徳一・最澄論争を『法華経』が真実か方便かという論争とみるのが通説であるが、実際の論点は多岐にわたる。
師茂樹 MORO Shigeki @moroshigeki
『徳一と最澄』の問題点⑩:ちなみに徳一もまた、唯識思想が真実であることを証明する経典として『法華経』を重視している(『論理と歴史』第4章5または ci.nii.ac.jp/naid/110008574… 参照)。最澄が「徳一は法華経を仮の教えと言ってるYO!」と言っているのは議論の単純化。
師茂樹 MORO Shigeki @moroshigeki
『徳一と最澄』の問題点⑪:「(徳一の)『中辺義鏡』の中辺が(慧沼の)『能顕中辺慧日論』の中辺に出でたものであることは、いうまでもない」(139頁)。中辺は『中辺分別論』、そして慧沼の師・基の『大乗法苑義林章』の「中主」「辺主」を踏まえていると思われる(⑩の参考文献参照)。
師茂樹 MORO Shigeki @moroshigeki
『徳一と最澄』の問題点⑫:元々「中主」「辺主」は、基が唯識派の立場から中観派(清弁ら)を批判するときの用語。徳一が(最澄も)天台大師のことを「辺主」とよぶのは、徳一が天台宗を中観派の系列と見ていたことを示唆する。当時法相宗は三論宗と対立し、最澄は三論宗と近い立場にあった。
師茂樹 MORO Shigeki @moroshigeki
『徳一と最澄』の問題点⑬:「(『守護国界章』のなかで)徳一は謗法者・そ食者(麁食者)と呼ばれて、ただの一度も徳一の名で呼ばれることがない」(146頁)というが、140頁で著者自身が引用しているように「溢和上」「溢公」と名前で呼んでいる。フルネームではないけど。
師茂樹 MORO Shigeki @moroshigeki
『徳一と最澄』の問題点⑬:「徳一は、一乗主義はひとり法華のみの専売でないことを、華厳・三論の教義を引いて指摘、法華一乗の相対化を策していたのである。戦略としても巧妙だった」(155頁)とあるが、これは逆。法相宗と他宗との論争においては、天台宗が参加したのは最澄の時から。
師茂樹 MORO Shigeki @moroshigeki
『徳一と最澄』の問題点⑭:154頁で言及される常盤大定の影響もあって、インドから日本に至る仏性論争、三乗一乗論争において、天台宗は一乗側の代表のように考えられているが、最澄以前の天台宗は法相宗と論争らしいことはしていない。むしろ、仏性論争史に自分を位置づけたのは最澄の戦略。
師茂樹 MORO Shigeki @moroshigeki
まだまだ、指摘したいことはあるけど、とりあえずおしまい。

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