吉澤夏子氏論文『ラディカル・フェミニズムにおける性愛の可能性-ドウォーキンの功罪-』の紹介
ドウォーキンの理論については、良い論文を見つけましたので、ご参考までに。 吉澤夏子「ラディカル・フェミニズムにおける性愛の可能性 ―ドウォーキンの功罪―」 l.u-tokyo.ac.jp/~slogos/archiv…
2016-02-28 20:45:20"ドウォーキンの著作は、男と女の性関係そのものの中に性差別の根本要因を見出し、男性のセクシユアリティの差別性をどこまでも追及し暴きだそうとする情熱に支えられている。"
2016-02-28 20:47:15"ラディカル・フェミニズムの「ラディカル」が、男性優位の性差別体制そのものをどこまでも告発していく、その徹底性を意味しているとすれば、ドウォーキンこそまさに真正のラディカル・フェミニストといえるだろう。"
2016-02-28 20:47:20こう述べた上で、吉澤氏はドウォーキン理論の核心を以下の二つの主張にあるとします。 (1)男と女の関係とは、おおよそすべて性交(インターコース)を伴う性関係またはその変種である (2)性関係はすべて性差別である
2016-02-28 20:49:09(1)については、↓のように述べています。「まなざし村」のアーキタイプかもしれませんね。 "例えば男が女を見ているだけでも、その男がその女を「女として」見た瞬間、女は男の性的欲望の対象として存在し始めることになり、その二人の関係は性関係であるといえる。"
2016-02-28 20:50:49女性を「まなざす」ことは性的関係であり、性的関係はすべて性差別である。ゆえに、ジャンヌ・ダルクのような例外的事例を除けば、「女性だけのユートピア」にしか救いは無いのだというわけです。
2016-02-28 20:54:27吉澤氏はドウォーキンの果たした思想史上の役割を評価しながらも、この結論にはもちろん批判的です。論文の結論はなかなか読み応えのあるものなので、是非最後までお読みください。
2016-02-28 20:56:07ドウォーキンの思想は、確かにTwitterのフェミニズムクラスタで交わされる議論と近似的なものがあり、フェミニストとドウォーキン的なるものをイコールに結びつけ、ばっさり切り捨ててしまうeternalwindさんの意見もわからないではありませんが、やはり乱暴だとは思いますね。
2016-02-28 20:57:45