- akinosora_
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徹夜と残業で疲れ切った体をぎりぎり終電にねじ込み帰路につく。 軋むアパートの鉄階段を足を引きずるようにして登り、なんとか帰宅した。 後は布団に倒れ込むだけだ。夢と現の思考の中で、それだけはやり遂げようと居間の引き戸をあけ、気がついた。
2016-03-10 00:47:20ガラス越しの街灯の明かりに浮かびあがった姿に、思わず声をあげてしまった。 「おまえ、サボロー!」 久方ぶりに会う腐れ縁の友人は、昔と変わらぬ真っ黒い笑顔で、少しだけ恥ずかしそうに笑って見せた。
2016-03-10 00:48:02思わぬ旧友の来訪に、全身に覆いかぶさっていた疲労も眠気もすっかり吹き飛んでしまっていた。 重苦しいスーツを脱ぐのも忘れて、まるで自分の部屋のようにくつろぎあぐらをかく彼の横に座り込む。 「いやー、久しぶりだな! 大学受験の時以来だから、かれこれ十年か? 懐かしいなあ、おい!」
2016-03-10 00:49:13三言も言葉を交わさないうちに、あの時の記憶はみるみる蘇ってくる。 中でもよく覚えているのは夏休みの記憶だ。僕とサボローは、一緒に夏を満喫した。 海に行った。プールにも行った。自転車をこいで見知らぬ街まで冒険にも出かけた。
2016-03-10 00:49:38クワガタがよく採れる秘密の場所も教えてもらった。二人でクリアしたゲームもたくさんある。 怪談好きの彼に付き合わされ百物語をした。彼とお祭りでとった金魚は今でも実家の池で泳いでる。 『夏は一度しかない』それが、彼が僕を遊びに誘うときの常套句だった。
2016-03-10 00:49:56僕は毎回毎回その口車に乗せられて、つい宿題を後回しにして遊んでしまっていた。 後悔先に立たず、夏休みの終わりになって泣きを見るのは分かっていても、彼の誘いの魅力に負けてしまうのだった。その時のことは後悔していない。
2016-03-10 00:51:02先生に叱られるのは怖かったけど、それでも彼と過ごした夏はキラキラと輝いて胸に残っていた。 「ほんと、おまえと遊んだ夏休みは楽しかったよ。とにかく遊んだもんなあ」 懐かしむ僕に同意するように、サボローも小さく頷いた。
2016-03-10 00:51:53彼と遊ぶのは確かに楽しい。でも、いつまでも遊んではいられない。大学受験を前に、夏休みも冬休みも返上で頑張らなきゃいけない時が来た。 もちろんサボローとも遊んでなんかいられない。むしろ彼と遊んでいた分も取り返さなきゃいけない。
2016-03-10 00:53:21その一年、僕は勉強に打ち込んだ。夏休みになると毎日のようにサボローは遊びに誘ってきたけど、僕はそれを断った。それがまた、なんとも楽しそうなものばっかりだったから断るのも辛くて、……いやだんだんと断るのが心苦しくなって、最後にはなかば無視するような形で、受験勉強にのめりこんだ。
2016-03-10 00:54:15その甲斐あって、なんとか志望の大学に滑り込むことはできた。親は喜んでくれたし、僕もうれしかった。 なにより、大学生になって誰憚ることなく彼と遊べることがうれしかった。 さあ今年の夏は遊ぶぞ。いつも彼に誘ってもらうばかりだから、今度はこっちから何か提案してもいいんじゃないか。
2016-03-10 00:55:00そんなことを考えながら、ウキウキと彼の来訪を大学生になった僕は待っていた。……けれども、その年の夏、彼は来なかった。 きっと彼も彼で忙しいんだろう。そう自分で納得し、大学でできた友人たちとその年は過ごした。
2016-03-10 00:55:26幸い、サボローと過ごした時間で友人との遊び方や友人の楽しませ方はわかっていた。僕の誘う遊びはおおむねみんなに好評だった。 そのおかげで、遊ぶ相手には事欠かなくなった。
2016-03-10 00:56:15人の輪にはだいたい入れてもらえるようになったし、自分から人の輪を作れるようにもなった。交流する人間が増えれば、それだけ遊びの楽しさも増す。僕は、いつの間にかサボローと遊ぶことを心待ちにしないようになっていた。……いや、忘れていた。
2016-03-10 00:56:37そんな僕の内心に図ったかのように、それからサボローは僕の前には姿を現さなくなった。 「……大学卒業して社会人になってからは、遊ぶどころの話じゃなかったしな」 就活はもちろん、入社してからは夏休みどころはまともな休日さえきちんともらえるかどうかも怪しいくらいに、忙しかった。
2016-03-10 00:57:00会社に寝泊まりなんてざら、家に帰れれば良い方で、それだって布団に倒れ込むためだけに帰るようなものだ。 そんな状態で遊ぼうなんて考え、起きるはずなかった。今日だって、もしサボローがいなかったら即布団にもぐりこみ、目覚ましとともに慌てて家を飛び出るだけだったはずだ。
2016-03-10 00:57:25「だから、せっかくだけど、遊んでやることはできないんだ」 僕がすまなそうにそう言うと、彼は首を横に振った。「自分こそすまない」と、なんだかそう言いたげだった。 「まあ、でも、おまえの顔を見れただけでうれしかったよ。心も楽になった気がするし……」
2016-03-10 00:57:51言いながら、おかしいなと思った。こんなに心は晴れやかなのに、どうしてだか眠い。どうしようもなく眠い。 体は重くどこまでも沈みこんで行ってしまいそうだった。そして、沈んだが最後、二度と上がってこれないような――
2016-03-10 00:58:13「……そうだ、今度遊びに行こうぜ。たまにはサボりじゃなくて、休みで……」 僕の提案に、彼がOKしてくれたかどうか、見届ける前に、真っ黒な眠りが自分を包みこんで――
2016-03-10 00:58:32――すっかりその息を止めた彼を前に、サボローはゆっくりと立ち上がった。 その背は丸く小さく、見る影もない。まるでサボらせることができなかった己の不甲斐なさを懺悔するように肩は小刻みに震えていた。 やがて。サボローは彼の下を音もなく消えていった。 /終
2016-03-10 00:59:14