2016年3月11日 被災者の目から見た5年めの被災地の現状
毎年3月11日にスモッドさんから震災関連の質問をいただいています。 いままでDM内でのやりとりでしたが、読んで考えてくれる人があるかも?と思い去年からTL上にて質問の回答をしています pic.twitter.com/Uh54DOmR8z
2016-03-11 19:14:17質問内容 ①震災から5年が経過し、町の活気や人通りは変わりましたか? ②震災から5年が経過し心境はいかがですか? ③現在の復興に不足しているものはなんですか? ④被害を受けなかった人たちに伝えたいこと、お願いしたいこと
2016-03-11 19:16:22①震災から5年が経過し、町の活気や人通りは変わりましたか? 復興の加速が進んでいるわれらがトウホクシティですが、町の活気や人通りについては二極化が進んでいるといわざるを得ません。 津波を被った地域とそうでない地域の隔たりがにわかに出てきたなと思います。
2016-03-11 19:21:10震災前にぼくの住んでいた地区は津波と火災とできれいさっぱり消え去ってしまいましたが、そういった被害のなかった地域には次々と被災した世帯が家を建て、商店が立ち並ぶようになり、さながら新興住宅街といった様相です。
2016-03-11 19:23:54その一方で津波の到達した地域は、震災瓦礫の処理が1年位前にやっと終わり、現在はそこに新たな用地を作るべく土を盛って土地の嵩上げをしている真っ最中で、平らにはなりつつあるけどとても住宅や店舗が建てられる状態ではありません。
2016-03-11 19:26:08また、津波の到達したエリアのうち、より海に近い区域には「津波危険区域」という区割りが設けられ、このエリアに住居を建てるには厳しい制限が課されるようになりました。ぼくの家のあった地区も津波危険区域に該当したため、もとの地域へ戻ることは実質的に不可能。自治会も今年度で解体しました。
2016-03-11 19:29:40その結果、津波被害のなかったエリアに定住人口や集客が過密し、沿岸部は辛うじて水産加工の工場や水揚げ場ができあがって再開している以外に人の往来が激減しています。 逆に、沿岸部は防潮提や道路工事のような大規模工事に携わる重機や大型トラックの往来が激しくなり、砂埃や粉塵が舞っています。
2016-03-11 19:34:36また、町の活気や人通りについて欠かせない話が、仮設商店街の解体です。 これまでトウホクシティ内には、被災した様々な業種の商店が共同でプレハブの店舗を構えた仮設商店街が点在していました。オープンして間もない頃は地元民の応援や観光客の殺到もあり、昼夜を問わず賑わっていました。
2016-03-11 19:36:04しかし、5年も経てば応援の熱もすっかり冷め、狭い仮設の店舗よりも席数や品揃えの面で勝る大手スーパーやチェーン店へ行くお客さんのほうが圧倒的に多くなりました。 観光客の減少も加わった現在、仮設商店街のほとんどは閑古鳥状態といっていいでしょう。
2016-03-11 19:37:17追い討ちをかけるように、今年で用地の借用期限を迎えることで、仮設商店街そのものが終わろうとしています。津波浸水地のかさ上げも完全に終了しておらず、代替地も用意されまない中で、昔ながらの商店は自力で土地を探し店を建てて再開するか、さもなくば廃業という苦境に立たされることになります。
2016-03-11 19:40:43②震災から5年が経過し、心境はいかがですか? 5年という節目を迎え、目に見える形での復興はだいぶ進んできましたように思います。 去年は被災者が入居する災害公営住宅がやっと1棟完成し、世帯数にして70~80世帯がやっと新たな生活を始めましたが、現在は更に住宅の整備が進んでいます。
2016-03-11 19:44:59住宅再建については今朝の朝刊に掲載された数値的なデータで解説させていただきます。 トウホクシティは災害公営住宅(高層集合住宅・長屋・戸建の3種)が市内28地区に2,133戸の建築を計画。 2016年3月1日現在でそのうち完成した戸数は668戸、全体の完成率は31,8%。
2016-03-11 19:49:26ちなみに、阪神淡路大震災で設置された仮設住宅は震災5年目の直前に全て解体されています。 ↓ 神戸新聞NEXT|連載・特集|阪神・淡路大震災|震災5年目|耐えた5年…最後の転出 仮設住宅すべて解消 kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai…
2016-03-11 19:52:04津波によって新たな土地造成が必要になったことが原因となり、トウホクシティは震災から5年経っても仮設住宅に住んでいる人のほうが圧倒的に多いまま、というのが現状です。 なお、市が説明した仮設住宅の当初の入居予定年数は2年、耐用年数が5年程度といわれたので、住宅にも相応のガタがきてます
2016-03-11 19:55:57災害公営住宅の建築は来年3月末までに進捗率は9割を超えるだろうと試算されています。 あくまで進捗率で、建物が完成する割合ではないことから、まだまだ仮設住宅に住む人は、これからもカビの発生や建物の傾き、基礎杭の根腐れ、そして壁が薄くプライバシーのない生活がまだ続くということですね。
2016-03-11 20:03:03あ、今年もこの手の話は長くなるからぜんぶリツイートしようとしないほうがいいですよ。 あとでtogetterあたりでまとめる予定です。
2016-03-11 20:04:48個人的な心境としては、被災者が全員公営住宅に入るか、住宅を再建するかして 「仮設住宅が全て撤去されたときが復興の目印」 だと思ってます。いくら道路が敷き直されても、商店が立ち並んでも、人の生活が安定することが一番だと思っていますので。
2016-03-11 20:07:41震災復興豆知識を 被災者の住宅再建の方法 ①市(県)の建築する災害公営住宅に入居する ②市(県)が高台に土地を整備し、被災者がその土地を購入ないし借地契約して家を建てること(防災集団移転、高台移転) ③そんなのとは関係なく自分たちで家を建てるかアパートに入居する(自力再建)
2016-03-11 20:13:54意外な話をひとつ。 住宅再建後「仮設住宅に戻りたい」という声を今までに数回耳にしました。 例えば、仮設住宅で仲良くなった当時幼稚園にもまだ入っていなかった男の子。彼の生まれ育ったステージの大部分は仮設住宅であり、彼にとって頑丈な高層住宅よりも仮設住宅こそが帰るべき家だったようです
2016-03-11 20:20:28それと、一人暮らしのおばあさん。震災前から息子家族と別居していたのですが、家族の反対を押し切って高台移転で家を建て、一人で住みはじめました。 そのおばあさんは入居間もない頃は意気揚々としていましたが、まもなくして「誰も来ない。さびしい」と口にするようになりました。
2016-03-11 20:27:41正直に言えば、この未来は十分に予測されたものでした。 このおばあさんの入居していた仮設住宅はそこそこ大きな規模でしたが、他の棟からのアクセスや日当たりの関係でおばあさんの部屋の縁側にはいつもおばあさんの友達がたむろしていて、おばあさんも毎日お茶やお菓子を用意するなどしていました。
2016-03-11 20:30:42仮設住宅の最大のメリットは、震災体験を共有した間柄から来る仲間意識と、壁の薄い付き合いによるお互いのことを気遣いあったコミュニティが築けることにあります。 災害公営住宅や一戸建ての入居後は、こうしたコミュニティの希薄化が問題視されており、おばあさんはその好例となりました。
2016-03-11 20:35:23最近、おばあさんの家には同じ団地に家を建てた別のおばあさんがよく遊びに来るようになり、何かあったときにはこれまた近所に住んでいるなじみの民生委員さんが駆けつけてくれるようになりました。また、離れて生活している息子も毎週末に車で来ては買い物などの雑用を引き受けてくれています。
2016-03-11 20:40:42外部の支援者や行政がいくら事例検討を重ねて対策を立てようとしても、最終的には地域や家族にしか解決できないのがコミュニティの問題です。 コミュニティは津波があったからできた、と思う方もいるかもしれませんが、皆さんの周りにもコミュニティはちゃんとあります。ぜひ大事にしてください。
2016-03-11 20:43:49③現在の復興に不足しているものはなんですか? 去年はこの質問に対する回答として「マンパワー」と「意識・熱意」の二つを挙げました。 今年はちょっと違います。 それは「自立心」です。 誰の自立心かというと、被災者自身の、です。
2016-03-11 20:48:09