「音楽ライター」と「音楽ジャーナリスト」と「音楽パブリスト」

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栗原裕一郎 @y_kurihara

「「音楽ライター」と「音楽ジャーナリスト」は本質的に違うものだと書きましたが、それは、もはや「音楽ライター」の仕事が「音楽パブリスト」になってしまっているからです」>「1998年の宇多田ヒカル」著者が語った"音楽ジャーナリズムの危機"blogos.com/article/165233/

2016-03-10 01:14:55
栗原裕一郎 @y_kurihara

評論家がパブリストになってしまうのはどこの業界でも同じですよね。文芸もそうだし。ただ、んー、宇野さんはジャーナリズムと批評をほぼ同義に捉えているように見えるんだけど、本来は対立する概念じゃないかと。ジャーナリズムは客観性が大事。ただしジャーナリスティックな批評というのはある。

2016-03-10 01:24:02
栗原裕一郎 @y_kurihara

今音楽メディアでもっともジャーナリスティックなのはナタリーでしょう。全部やる、論評はしないという。つまりジャーナリズムにはある種の網羅性が要請される。それを一人でやろうとしているのが柴那典さんかなと。毛色が違うが佐々木敦にもそのケがある。佐々木さんの場合しかも複数ジャンルという。

2016-03-10 01:35:28
栗原裕一郎 @y_kurihara

おれは音楽に関してはプロパーとはいいがたい、というか首を突っ込んでる全部のジャンルで外様だと思うんだけど、網羅性にはもはやそれほど執着していない。音楽は特に、好きな人とか興味のある人のことしかもう書かなくなっている。それは選択というよりリソース的にそうなってしまうのですけれど。

2016-03-10 01:45:36
栗原裕一郎 @y_kurihara

あ、でも、本に関しては割と網羅的であろうと心掛けているかもしれない。まあ、ますます無理なんですけどね。

2016-03-10 01:47:55
栗原裕一郎 @y_kurihara

ジャーナリスティックであろうとするとどうしても八方美人的な振る舞いになるというのはあるんじゃないですかね。佐々木敦にも柴那典にもそういう批判は目にする。ただジャーナリスティックであらねばという強迫観念に突き動かされる人というのはジャンル問わずいてもらわないと困るというのはある。

2016-03-10 01:59:18
宇野維正 @uno_kore

このあたりのテーマについては13日(日曜)の下北沢B&Bで語りたいと思ってますが、少しだけ twitter.com/y_kurihara/sta…

2016-03-10 13:41:13
宇野維正 @uno_kore

「ジャーナリズム」と「批評」の違いについては、言葉本来の意味は別にして、書き手のスタンスによってその捉え方が違うのでは? 自分は認識としての網羅性は必要だと思ってますが、書く対象としての網羅性はむしろ忌避してます。何について書くか、そこから批評は始まっているというスタンスです

2016-03-10 13:41:54
宇野維正 @uno_kore

それとまぁ、端的に言って、つまらないものに構っている時間がない。物理的にも、精神的にも、寿命的にも

2016-03-10 13:43:51
宇野維正 @uno_kore

そもそも言葉本来の意味で言っても、「批評」は「ジャーナリズム」に含まれるものですよね。「批評がなくてもジャーナリズムは成り立つか?」という問題提起はあり得るとしても、「批評」と「ジャーナリズム」が対立する概念なんてことはあり得ない。客観性が大事とか、人間を信用しすぎなのでは?

2016-03-10 13:58:16
栗原裕一郎 @y_kurihara

「そもそも言葉本来の意味で言っても、「批評」は「ジャーナリズム」に含まれるものですよね」ここの認識が違うのかもですね。 ジャーナリズムは第一義的には「報道」だと思います。報道は建前としては価値中立的で客観的であることを理念すると理解しています。大事というのは理念ということです。

2016-03-11 02:06:47
栗原裕一郎 @y_kurihara

事実を伝えることを使命とする「報道」に価値判断やイデオロギーが入るとそれは「偏向報道」と呼ばれます(実際にどうかはさておき理念として)。しかるに批評というのはある種の価値の創造を目指す、つまり価値判断を含む本来的に偏向している営為です。その点で両者は対立するという認識です。

2016-03-11 02:12:16
宇野維正 @uno_kore

言葉の定義の話になっちゃうと、そこから広がらないかもですね twitter.com/y_kurihara/sta…

2016-03-11 02:23:49
栗原裕一郎 @y_kurihara

そうですね。情報や対象の選別から批評はすでに始まっているという宇野さんのジャーナリズムは、むしろ作品としてのノンフィクションに近いかと思うんですが、まあ、過去にはニュージャーナリズムなんてものもありましたしね。 @uno_kore

2016-03-11 02:28:17
宇野維正 @uno_kore

いかなる客観性も人間のものである以上、自分はまったく信用していません。そもそも客観性を理念とするなんて、退屈すぎませんか? もし自分に理念のようなものがあるとしたら、大変不遜ながら絶対性かもしれません twitter.com/y_kurihara/sta…

2016-03-11 02:31:19
宇野維正 @uno_kore

あぁ、それに近いかもしれません。古くさいですけどw twitter.com/y_kurihara/sta…

2016-03-11 02:33:33
栗原裕一郎 @y_kurihara

やー、現実として不可能であることを目指すからこそ「理念」なんじゃないですか。退屈かどうかは宇野さんの価値観や趣味判断ですので一概にいえないと思います。エビデンスに基づく事実を並べて真実を明らかにすることこそ最上の批評であるという考えの人もいますので。 @uno_kore

2016-03-11 02:38:46
kentarotakahashi @kentarotakahash

そこは、報道的/批評的という軸と、網羅的/選択的という軸があるんじゃなかろうか。で、対象は網羅的だが、ペンは批評的というメディアもありうる。それはジャーナリズムではないか?というと、むしろ、それこそジャーナリズムのようにも思う。 twitter.com/y_kurihara/sta…

2016-03-11 02:42:21
kentarotakahashi @kentarotakahash

社説なき新聞はジャーナリズムたりえるか?みたいな話だわね。

2016-03-11 02:46:36
栗原裕一郎 @y_kurihara

それはあると思います。「ジャーナリスティックな批評というのはある」というのはそういう意味でした。網羅性が逆説的に批評性を帯びるという事態もあると思います。 @kentarotakahash

2016-03-11 02:47:44
kentarotakahashi @kentarotakahash

う〜ん、僕はむしろ、一定の批評性を備えずに、ジャーナリズムが存在しうる?と考えるな。 twitter.com/y_kurihara/sta…

2016-03-11 02:58:12
kentarotakahashi @kentarotakahash

速報的な事実伝達に徹したニュースサイトに、ジャーナリズムは宿るんだろうか?

2016-03-11 03:01:46
kentarotakahashi @kentarotakahash

宿るんだとしたら、ジャーナリズムってのはつまり、速報性と正確性の勝負ってことになって、多様性も何もなくなっちゃうんじゃない?

2016-03-11 03:04:45
栗原裕一郎 @y_kurihara

そこは以前どこかに書いた「史観」と似た話だと思うんですよね。無数にある事実を全部取り上げるのは不可能だから避けようもなく選別が入り込んでくる、すると価値判断が生じてしまい、結果的に批評性も生じてしまう。原因と結果が逆というか。 @kentarotakahash

2016-03-11 03:10:42
栗原裕一郎 @y_kurihara

ボルヘスに一分の一の地図をつくる、みたいな短篇があったと思いますが、ジャーナリズムというのはそういうものなのかもなあと今思いました。

2016-03-11 03:13:06