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キャリア女性は米国で花ひらく〜肥和野佳子さん

80年代の日本企業は優秀な女性の能力を活かすことは難しかったようです。 早々に日本企業に見切りをつけ、米国で男女差別から解放され、自分らしい生き方をつかんだ肥和野佳子さんの経験談がおもしろく、まとめてみました。
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肥和野 佳子 @lalahearttwit

将来専業主婦になることは全く頭になかった。もしそうなら中高6年間であんなに自分に鞭打って必死に勉強はしなかったと思う。男と同じ土俵で勉強して将来は男と同等に仕事に就いて、高層ビルをブリーフケースを持って闊歩する自分を描いていた。

2016-03-23 04:58:34
肥和野 佳子 @lalahearttwit

それが、大学出て、社会に出たとたんにOLの一人としてやぼったい制服着せられて、どう見ても優秀そうでもない同期の男子社員より下の位で、デスクに雑巾がけしたり伝票書いたりする仕事に。やってられない。すごく精神的に落ち込んで半年で辞めた。辞めて正解だった。

2016-03-23 05:02:02
肥和野 佳子 @lalahearttwit

それは80年代前半の話で、男女雇用均等法もまだなかった時代。現代の日本はそんなにひどくないと思うけど、私の頃はそんな雰囲気だった。私企業は結局どこでもそんなもんだろう。学問ならまだましだ。研究者の道に進もうと思った。

2016-03-23 05:04:41
肥和野 佳子 @lalahearttwit

80年代初頭に日本で「女性学」が出てきた。学術研究の世界でも研究対象として女性は存在してないがごとくの研究や分析がされていると。日本の社会階層と移動を研究するSSM調査でも当時はサンプルは男性だけだった。これだ!私は女性をサンプルに入れて研究するぞと思った。

2016-03-23 05:20:50
肥和野 佳子 @lalahearttwit

大学院に入ってからもうよ曲折あった。指導教官たちが頭古くて私の研究意図が理解されない。しかし幸運なことにSSM調査のトップ教授が転任してきて、私はメンバーに。女性をサンプルに入れての全国調査が実現。女性と社会階層の研究も好きなようにやらせてもらえた。

2016-03-23 05:27:33
肥和野 佳子 @lalahearttwit

ほんとうにやりたかったSSM調査研究が実現して、夢がかなった。その頃は博士課程の最終年でこれ以上いるとオーバードクター。私は就職のあてもなかった。とにかく一度は米国留学したいという別の夢を実現させるために 88年に米国へたった。

2016-03-23 05:33:12
肥和野 佳子 @lalahearttwit

米国に来たら、前にも言ったことあるけど、性差別なんてほとんど感じることがなく、あれほど女性学やフェミニズムに凝っていた私だが、すっかりどうでもよくなった。米国に来た当初は私は純ジャパだから英語に慣れてなかった。

2016-03-23 05:37:26
肥和野 佳子 @lalahearttwit

Associate resercherの身分で2年間何をしても良かった。日本語のTAをすることで授業料・部屋代無料、食費もでるという契約だった、社会学では食っていけないかもしれない。方向転換するなら専門職しかないと思った。それでアカウンティングいいかもと思った。

2016-03-23 05:44:53
肥和野 佳子 @lalahearttwit

米国で日本人の就職に有利なのも知っていた。アカウンティングは本来私に向いているとは思わないが、努力すれば何とかなるだろうと思った。まあ、とりあえずやってみようとAccounting 101から単位を取ってAdvancedまでやった。

2016-03-23 05:51:00
肥和野 佳子 @lalahearttwit

成績が良くないとアカウンティング・ファームに採用されないと聞いていたのでAを取るように頑張った。他の学科と違って指定図書を沢山読んでレポートを書くようなことはなく、問題を解いて計算するテストばかりだったから英語的にも有利だった。

2016-03-23 05:56:11
肥和野 佳子 @lalahearttwit

そして2年目の秋にはKPMGのNYオフィスから採用通知が来た。私が関係ない分野だけど大学院博士課程まで行っていたということは潜在力を買う意味でプラスに働いたようだった。日本から日本の公認会計士試験成績トップ集団で合格した人達も直接リクルートされて同期に数人いた。

2016-03-23 06:00:36
肥和野 佳子 @lalahearttwit

この日本から直接リクルートされてNYのKPMGに入った公認会計士補の人達は、米国の大学で会計学を勉強しただけの人達とはちがって、はるかに優秀だった。知識の量がすごかった。しかし、留学を経てないので英語があまり話せなかった。

2016-03-23 06:03:29
肥和野 佳子 @lalahearttwit

日本から直接リクルートされて来た日本の公認会計士補たちは、90年代初頭はまだ日本企業が景気が良かったので、NYの日系企業で英語が苦手でもなんとかなるクライアントを主に担当していた。とにかく彼らは優秀で、私はうまくいかないところを教えてもらったりしてた。

2016-03-23 06:09:04
肥和野 佳子 @lalahearttwit

だけど、5年もすると日本から来た公認会計士の人達は、4人のうち3人が日本へ帰ってしまった。米国でよりやはり日本の方が将来的にはよいのだろう。当時、同期の中であまり評価の高くなかった人(米国の大学出た日本人)が現在では出世してパートナーになってる。

2016-03-23 06:13:29