私家版ハイデガースタディー11 欠如態を暴く図式光景へ向けて
- sunamajiri
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12月から4ヶ月まとめをサボるだけで、膨大なツイートだ。とりあえず、上下と2つに分けようと思ったのだが、とても追いつかない。まとめの方針の素描。bit.ly/1Ujcd0N
2016-03-26 16:13:33これをいいたいんだがなー、すぐ引き戻されてしまう。(^-^)/ bit.ly/1Ujcd0N 「では、ホールピクチャー(図式全体)は、沈黙のことなのだろうか? 図式全体は沈黙に引き換えて現前するのだろうか? ハイデガーの解答はノーである。」
2016-03-26 16:46:09部分を語ると全体が語れなくなる沈黙こそ、黙れということなのだが。たとえばカントがアリストテレスのアニマを放棄したから、アニマを語るなとか。冗談じゃない。そういう命令は受けない。そういう語り方。
2016-03-26 16:57:32増補作業、1月初旬に突入、この頃、図式光景といっていたね。要するに実体的霊魂を想定しているようなものは図式ではない、というのが図式論なのだが。(^-^)/「私家版ハイデガースタディー11 欠如態を暴く図式光景へ向けて」 togetter.com/li/954500
2016-04-02 16:51:29改めて整理すれば、私の作業概念では、霊魂や真実在を想定した図式は潜勢的図式(二元論的図式)、霊魂を時間と同様、超越論の規定性と捉える図式が現勢的図式、と仮定して喋っているわけだが。
2016-04-02 16:56:24カント書は、GA33でアリストテレスはカントが捉えた範疇論ではなく図式論だというための、問題全体=地平全体を開示しているのだが、潜勢的図式では、問題全体=時間地平とならない(視座の欠如態)。現勢的図式は、非現前的時間と現前的時間の二元論の根源図式(脱自態)。
2016-04-02 17:17:26要するに、現代人が、科学万能というとき、自ずと科学は霊魂を記述しない、なぜなら霊魂は自我と同様、真実在だからと想定すると、それは問題全体(現勢的脱自的図式)を欠損した、不十分な語り(現前)だ、ということ。欠如しうるのは語りだけなのだ。twitter.com/sunamajiri/sta…
2016-04-02 17:28:57しかし、確かに彼らの時代は科学万能の始まりで、ハイデガーにとって日常は、先存在了解(存在了解未満)だったかもしれないが、私たちには、存在了解は自明で、むしろそれを存在了解と了解していないことによるパニックのほうが、遥かに被害甚大だ。@BeTakada
2016-04-02 04:44:06以下、12月初旬からの関連ツイートを、増補中です。
言い直すと、本来的図式とは、カントが言うような、時間が形像であることで、自我が触発されるという二重性(潜勢)があるのではなく、構想力が地平時間によって純粋自己触発されることが、本来的図式光景(現勢)なのです。哲学は心理学的葛藤、自我意識を不問に付しますからね。@BeTakada
2016-01-08 23:04:21ゆえに、本来の図式光景は、時間は形像ではなく地平だ、という図式性なのです。それはコギトという意識よりアプリオリに悟性が概念しうるように、時間も空間延長に形像化されることに先行して総合されるからです。これほどの方法的懐疑の徹底化は、他では不可能でしょう。@BeTakada
2016-01-08 22:53:08逆から言えば、時間地平は形像ではない。このことが問題になる演繹論第24番、再生的構想力は心理学だが、生産的構想力は時間的だという箇所を渡辺も挙げるが、カント自身が末尾で「どうしてこれが難問なんだ」と逆切れしてるよ。@BeTakada pic.twitter.com/lQh7sBRIXG
2016-01-08 22:46:00本来的に図式はどのような光景なのか。この本来的光景というのを、カントの超越論的図式性として、ハイデガーは徹底させますね。時間を形像とする図式が本来の光景なのか、時間を地平とする図式を構想力が産出するのが本来の光景なのか。@BeTakada
2016-01-08 22:30:08まあそうですね、自我意識の呪縛のことですね。RT @BeTakada 先生こんばんは^ ^ 図式の細かい語義を噛み砕いて理解する為に、以下を見てます。ん?と思うことは有りますが、概略を把握するに、私にはちょうどいいす。philosophy.hix05.com
2016-01-08 22:14:37渡辺英之『ハイデッガーにおける想像力論の可能性』 bit.ly/1UvKqq9 ハイデッガー『想像力論の教育学的可能性』 bit.ly/1RrceN2 @BeTakada
2016-01-06 17:49:22存在と時間第二部問題 twitter.com/sunamajiri/sta… 、規則に退却することから想像力の産出する図式性(への転回)ということで、渡辺英之氏の纏め方が、分かりやすいね。@BeTakada pic.twitter.com/fxCfWFZ1Tu
2016-01-06 17:47:09みんなで読書会やっているハイデガーの第二部問題なるものも、カントが想像力から規則に退却した、ということをやっているようなものなのだ。日本人は理性というと規則を創設することと誤解するのだが、理性というのはハメを外す自由のことなのだ。そこから退却したらアホらしい。
2016-01-06 17:15:29コギト、すなわち霊魂=悟性を実体と反省してしまい、心理的葛藤である潜勢的悟性規定を経験すること、つまりいわば地平欠如態というものを、克復しようとするのなら、この図式性の問題だけ意識していればいいだけのことです。@BeTakada pic.twitter.com/wGfu8Eigw0
2016-01-05 00:21:02モナドと脱自態、包摂と図式性、つまりコギトのように自我意識、悟性=魂を実体概念することなく、概念を純粋綜合する図式性について、ハイデガーの立論の散逸したテクストを取り纏めときました。最初のGA26訳者後記参照。bit.ly/1kFhZKd @BeTakada
2016-01-04 23:48:17もしそれが難しいと自意識過剰になるのだとすれば、禅寺にでも連れてって座禅を組ませて、鞭でビシバシ一喝二喝してやりゃいいだけのこと。それを何だ?と意識しようとするから、如何にか=方法が逆に欠如態=雑念になるだけ。@BeTakada
2016-01-03 18:05:39ハイデガーの言う超越論性というのは、日本人がすぐに問題とは志向意識することだ、と転倒するのとは正反対に、問題こそ意識できず、脱自的に去来するものであり、それに被投的に巻き込まれるから実存していられる、といった程度のことで、どこが難しいのかさっぱりわからん。@BeTakada
2016-01-03 18:05:18そうです、つねにハイデガーの、図式こそ超越論的であり、無は論理学的な問題ではない、というカント書の超越論的図式性から、眺めやっていればいいのです。上から目線です。志向できる意識的問題など単なる頽落です。問題は脱自的に去来するだけです。@BeTakada
2016-01-03 17:51:30@sunamajiri はい、剥がれ落ちたものも、オントロギーシュに現有によってもたらされるという謂ですね。いま私が遡行するのは単に論者により異なる語意を確認したいという意味に於いてです^ ^ 出掛けてきますm(__)m
2016-01-03 17:48:09ここは枢軸的です。twitter.com/sunamajiri/sta… 志向意識は問題を志向できない。問題は欠如態となった地平=根源にのみ、去来していると言っているのだから。@BeTakada pic.twitter.com/piZNvrMDal
2016-01-03 17:33:50カント書の根拠付けの第五段階をアップしておきます。GA3-113-126 bit.ly/1NYtTcP 無が論理的無ではなく超越論的無(無問題であること)であるとは、このことです。@BeTakada pic.twitter.com/rTeZN6dFSS
2016-01-03 17:09:41カント書から頽落ないしは遡行すべきではないのです。通常は欠如態となった最高原則の規定集(論ではない規定=図式を措定し直す図式に言及すること)を遂行的(実行的)に言表しているのですから。しかも、ハイデガーに語らせると明瞭で、誰でも把握できるというだけのことです。@BeTakada
2016-01-03 17:28:06しかし、時系列的に、GA26第一部(モナド論と同一律批判)、補論=転回、第二部=メタ存在論、そしてGA3カント書の超越論的無(無問題であること)に対する超越論的図式性の方が、より積極的です。twitter.com/sunamajiri/sta… @BeTakada
2016-01-03 17:14:30ハイデガーのモナド論批判は、GA26第一部でやりまくってますよ。@BeTakada 謂わゆる剥がれ落ちたものとモナドはアプリオリ的に同義かと、その経緯をみたいと思ってます^ ^
2016-01-03 17:11:55