サリンジャー著『フラニーとズーイ』(読書メモ)

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未発育都市 @mihatsuikutoshi

【更新】サリンジャー著『フラニーとズーイ』(読書メモ) - Togetterまとめ togetter.com/li/954587 まとめました。 pic.twitter.com/ldwiMWYG2s

2016-03-26 19:04:56
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【読書感想】フラニーとズーイ #BLOGOS blogos.com/article/81988/聖と俗の区別すらない。…読者もまた、突然差し込んだものすごい知の光の中で茫然とするんだよ。いきなり目が開いて、何もかもが見渡せたような、そんな感覚ね」「この作品の最大の魅力は『文体』」

2014-03-10 18:48:12
未発育都市 @mihatsuikutoshi

サリンジャー著(村上春樹翻訳)の「フラニーとズーイ」 amazon.co.jp/dp/4102057048 を買って少し読みはじめたのだけど、何ていうか、いわゆる“文学”に特有の、映像を逐一スキャンして文章にしていく感じがじれったい。(。-_-。)

2014-03-11 20:51:37
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続き)それと、映像(風景など)が描写された文章を読んで、僕の頭に浮かんだ映像は果たしてその文章の中にあったものなのかどうか、という哲学的な問題について考えさせられる。

2014-03-11 20:55:49
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続き)また、“文学”では風景の描写と登場人物の心の中の描写があまりにもくっついている。客観と主観が渾然一体となっている。僕はどちらかと言えば、客観的な描写というものがあるんだという前提に立って、それを読むことを好むのだが、(続く

2014-03-11 21:04:16
未発育都市 @mihatsuikutoshi

続き)“文学”ではそのような近代化された視線を嘲笑っているかのようである。全ては作者の意のままに。というわけで、僕は“文学”は苦手だ。以上。 (。-_-。)

2014-03-11 21:06:47
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サリンジャー著「フラニーとズーイ」についてはBLOGOSのこの記事を参照。 / (再ツイート)【読書感想】フラニーとズーイ #BLOGOS blogos.com/article/81988/ 「…聖と俗の区別すらない。…読者もまた、突然差し込んだものすごい知の光の中で茫然とするんだよ

2014-03-11 21:23:27
未発育都市 @mihatsuikutoshi

ちなみに建築関係者には「聖と俗の区別」に固執する人が多い。とくに建築批評の分野では、それは「聖」か「俗」かという建築家社会で与えられた判断が必ず先立っていて、仮にそれが「俗」であっても「聖」なる人物によって批評された前例があるならば、それを評することが許されるというルールがある。

2014-03-11 21:31:42
未発育都市 @mihatsuikutoshi

@etketketketke こわいというか、すごい不自然ですね^^。

2014-03-11 21:45:54
未発育都市 @mihatsuikutoshi

言い換えると、この「聖と俗の区別」こそが建築家社会の本質である。これは日本に限ったことではなく、“建築”というものの概念の発祥がそうだったからである。

2014-03-11 21:56:00
未発育都市 @mihatsuikutoshi

@etketketketke そうです。教会からですね。もっと言えば、洞窟に描かれた壁画からです。

2014-03-11 22:04:25
未発育都市 @mihatsuikutoshi

自然を模倣した「自然模写建築」が最近、一部で流行っているのも「自然」が「聖」的なものであると人々が考えているからに他ならない。

2014-03-11 22:06:47
未発育都市 @mihatsuikutoshi

昨日、サリンジャー著「フラニーとズーイ」 amazon.co.jp/dp/4102057048 (村上春樹の新訳)の「フラニー」を読み終えたのだけど、次の「ズーイ」の冒頭を読んで驚愕した。(続く

2014-03-15 09:37:07
未発育都市 @mihatsuikutoshi

続き)この本を読み始めた時、僕は「何ていうか、いわゆる“文学”に特有の、映像を逐一スキャンして文章にしていく感じがじれったい」と感想をツイートしたのだけど、これはサリンジャーはわざとそのような文体で書いている、ということが判明した。(続く

2014-03-15 09:39:25
未発育都市 @mihatsuikutoshi

続き)【読書感想】フラニーとズーイ blogos.com/article/81988/ に「この作品の最大の魅力は『文体』」と書いてあることの意味をやっと理解した。「フラニー」のパートはわざとややたるんだ文体で書かれている。そして次の「ズーイ」のパートの冒頭で一気にぐいぐいっと(続く

2014-03-15 09:41:17
未発育都市 @mihatsuikutoshi

続き)加速する。このコントラストは鮮やかである。というか、これを際立たせるために「フラニー」のパートはあのような文体にしたのだろう。また、そのパートの文体はある意味、スノッブである。というか、わざと“文学らしい”文体でサリンジャーは書いている。そして、そのことが(続く

2014-03-15 09:45:09
未発育都市 @mihatsuikutoshi

続き)その「フラニー」のパートで書かれている物語(大学生のフラニーが彼氏のレーンとレストランで会話しているだけ)の内容と呼応しているのだ。フラニーにはレーンがスノッブな野郎にしか見えなくなっている、という物語がスノッブな文体で書かれているのである。サリンジャーはすごいと思った。

2014-03-15 09:49:55
未発育都市 @mihatsuikutoshi

フラニーはスノッブな現実世界に嫌気が差している。フラニーはレーンにこう語る。文字には書かれていない法律みたいなものがあるのよ」「みんながやっていることはすべて――なんと言えばいいのかしらーーぜんぜん間違ってないの。意地悪くさえないし、必ずしも愚かしいというわけでもないの(続く

2014-03-15 09:59:14
未発育都市 @mihatsuikutoshi

続き)ただちっぽけで意味がなくて、そしてーー気が滅入っちゃうだけ。でもいちばんまずいのは、もしあなたがボヘミアンとか、そういったとんでもないものになったとしても、それはそれでまたしっかり画一化されちゃうということなの。ちょっと違った風にではあるけれど(続く

2014-03-15 10:01:37
未発育都市 @mihatsuikutoshi

続き)やはりみんなと同じになってしまう。そう語るフラニーに対して彼氏のレーンは「君は自分が天才だと思っているわけ?」とつっかかる。フラニーは答える。「私はただ、溢れまくっているエゴにうんざりしているだけ」「うんざりしてしまうのよ」。

2014-03-15 10:05:20
未発育都市 @mihatsuikutoshi

そして、「フラニー」のパートの最後が示唆しているように、現実世界に嫌気が差したフラニーは宗教世界にのめり込んでいく。このパートが書かれたのは1955年なのだけど、おそらく日本ではそれから30年遅れた(オウム真理教が台頭した)1980年代の時代の空気に近いのではないかと僕は思う。

2014-03-15 10:13:30
未発育都市 @mihatsuikutoshi

次の「ズーイ」のパートはまだ読み始めたばかりなのだけど、この本のアマゾンの内容紹介によると、「エゴだらけの世界に欺瞞を覚え、小さな宗教書に魂の救済を求めるフラニー。ズーイは才気とユーモアに富む渾身の言葉で自分の殻に閉じこもる妹を救い出す」という展開になるらしい^^。(ズーイは兄)

2014-03-15 10:19:38
未発育都市 @mihatsuikutoshi

あと、サリンジャー著「フラニーとズーイ」には、この本を翻訳した村上春樹の「特別エッセイ」が別紙で挟みこまれているのだけど、ネットではここで読める。 / <村上春樹 特別エッセイ>こんなに面白い話だったんだ!(全編) shinchosha.co.jp/fz/fz_murakami…

2014-03-15 10:24:51
未発育都市 @mihatsuikutoshi

この本は「議論小説」(登場人物が議論しまくっている小説)と呼ばれているのだけど、何となく、僕が学生時代に読んだジェイムズ・ジョイス著「若い芸術家の肖像」 amazon.co.jp/dp/400322552X のことを思い出しました^^。そういう“懐かしさ”のある本です。

2014-03-15 10:30:58
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