佐藤正美Tweet_20160316_31

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佐藤正美 @satou_masami

青春時代に抱いた夢を実現した人は幸いです。でも、おおかたの人たちは、様々な条件(社会の経済状態、家庭の事情や個人の教育状態など)が折り重なって、いつしか、その夢も褪せてくるのではないでしょうか。それでも、夢の灯は、たとえ、かすかになっても、消え入ることはない、と思いたい。

2016-03-23 14:40:03
佐藤正美 @satou_masami

夢が明るい性質を帯びていることは確かだけれど、いっぽうで、夢に対する憧れは、「浪漫」という言葉を使ったとたんに、やや「哀愁」のニュアンスを帯びるようですね。夢を抱いているのだけれど実現できそうもないし、でも、捨てることができない、というジレンマが哀愁感を帯びるのかもしれない。

2016-03-23 14:43:57
佐藤正美 @satou_masami

年配のひとが、長い人生体験を楯にして、若いひとが抱いている夢や理想を、「甘い」とか「世間を知らない」というふうに、切り捨てる態度に対して、私は怒りを感じて異議を申し立てたい。「若い」というのが、若いひとの取り柄です。年配のひとも、かつて、若者として、未知数だった。

2016-03-23 14:47:09
佐藤正美 @satou_masami

未知数としての青春のなかで、理想や夢という曖昧なものを懸命になって育てている若い人たちを見下げる態度は宜しくない。「甘い」とか「世間を知らない」という言葉は、年配のひとが自らの人生を振り返って、悔恨として出てきたのかもしれないけれど、次世代の人たちに対する助言ではない。

2016-03-23 14:51:36
佐藤正美 @satou_masami

若い人たちは、夢を、臆することなく、気負うことなく、平然と語ることのできる人になってほしい。

2016-03-23 14:52:30
佐藤正美 @satou_masami

私は62歳です。62歳にもなれば、みずからの力(知力、技術力)が、どのくらいに「甚少」であるか、ということを落ち着いて観ることができます。今後、以前の力を超える状態になることは、まず、ないでしょうね。

2016-03-23 14:55:24
佐藤正美 @satou_masami

人生のなかで、過去が増大し未来が減少して、みずからの力(知力、意力、体力、技術力)が確実に落ちるしかない、ということを知るのは、つらい。しかし、肉体の老朽は、かならず、知力にも連鎖します。

2016-03-23 14:58:45
佐藤正美 @satou_masami

人生を lifecycle として観ることもできるでしょう。Lifecycle があるということは、それぞれの年齢には、それぞれ、ふさわしい(あるいは、その年齢でしか やれない)営みがある、ということですね。若いひとが老成ぶっているのは真面目くさった冗談でしかない。

2016-03-23 15:04:45
佐藤正美 @satou_masami

みずからが歩んでいた人生を振り返ってみれば、lifecycle のなかでは、途絶えもなければ、飛躍もない、ということに気付くでしょう。なぜなら、「時」は継続して流れ、無意味な現実などないから。

2016-03-23 15:07:31
佐藤正美 @satou_masami

今できること(今しか、できないこと)を、よそ見しないで、今、やること(勿論、このことは自戒の念を込めて綴っています)。道元禅師は、よそ見しないで専念することを、「只管(しかん)」というふうに――たとえば、「只管打坐」というふうに――、おっしゃいました。

2016-03-23 15:11:50
佐藤正美 @satou_masami

「時刻」には、アナログ表示とデジタル表示がありますが、(デジタル表示がモーメントそのものを示すのに対して、)アナログ表示は、「時刻(モーメントの進行)」を距離として示します。日々の生活はモーメントが堆積した距離であるとして考えることができますね。

2016-03-23 15:14:51
佐藤正美 @satou_masami

「長い未来が長い期待である」ならば、我々は、うっかりすると、日々の生活を顧みないで、一足飛びに、バラ色の人生を夢想するかもしれない。遠大な夢を抱きながら、かえって、日々の生活を、うかうか暮らす虫のよさが我々にはあるようです(「我々」のことではなくて、私だけのことかもしれない)。

2016-03-23 15:17:54
佐藤正美 @satou_masami

「長い過去が長い記憶である」ならば、過去の「時間」を距離とみなして振り返るのは、年老いた兆候なのかもしれない。

2016-03-23 15:18:58
佐藤正美 @satou_masami

私は、心理学を学習したことがないので、「精神」について、巧みに まとめることができないのですが、「精神」そのものは、進路をもたない力だし、「身体」と「精神」は一如だと思っています。

2016-03-23 15:26:40
佐藤正美 @satou_masami

「精神」が、もし、「知・情・意」を まとめる概念であるのなら、「精神」は、「反応と作用」という現象として現れるでしょう。もし、「精神」そのものが進路をもたない力だとすれば、外(そと)から及ぼされた作用が進むべき道を示してくれたら、おおかた、満足するのではないでしょうか。

2016-03-23 15:30:49
佐藤正美 @satou_masami

「計画」を作成したら――それを実現するために、「身体」を地道に使わなければならないのだけれど――、それでもう、満足してしまいやすい。行為のみが精神を具体的な形にするし、計画を具体的な形にするのですが、逆に、「計画すること」と「途中で止めること」は とても簡単な行為のようです。

2016-03-23 15:34:50
佐藤正美 @satou_masami

「考える」という営みは、なんらかの「身体的な」形として現れるようです。たとえば、彫刻つぃて、西洋では、「考える人」(ロダン作)があるし、東洋では、(弥勒菩薩の)「半跏思惟」像があります。逆に、思考を停止した「身体的な」形が、命令を仰ぐ際に取る「直立不動」の姿でしょうね。

2016-03-23 15:40:08
佐藤正美 @satou_masami

集中力は長続きしない。集中力には、つねに、緩急のリズムがあるようです。したがって、集中力は、断続しながら通算値として示される注意力です。集中力を断続しながら巧みに使うには、集中力の現れと次の集中力の現れとのあいだには、「無用のようにみえる」無為の休息がなければならない。

2016-03-23 15:43:11
佐藤正美 @satou_masami

「集中力がない」と、嘆く人たちがいますが、「集中力がない」のではなくて、集中力を活かすための「無為の」休息を、巧みに作ることができない、ということではないでしょうか。

2016-03-23 15:45:38
佐藤正美 @satou_masami

鋭い着眼点を提示していながら、つまらない論文がある。対象への愛情がないからだ。対象に対して、どこかで、全身全霊の commitment を避けているからだ――だが、感動しながら考えるというのは、とても難しい、、、。

2016-03-23 15:51:21
佐藤正美 @satou_masami

いい仕事とは、現状を徹底的に掘り下げ、新しい改善を導き出すことのできる仕事をいう。と同時に、いい仕事とは、その仕事から、それが係わっている全体の構造を想起できるほどのスケールの大きさがなくてはならない。

2016-03-23 15:55:21
佐藤正美 @satou_masami

私は、生涯、ひとつとして、いい仕事を できないで終わるかもしれない(62歳にもなれば、確実に そう感じる)。が、それでもいい。「これが私の誠意だ」と言い切れる仕事であれば、それでいい。

2016-03-23 15:58:02
佐藤正美 @satou_masami

人生においては、それぞれの人々に、それぞれの劇(ドラマ)がある。でも、それは演劇よりも劇的ではない。承認欲求の強い人は、他人を見下すことが多い――「私は(他の人たちに比べて)違う」という自惚れと egotism。

2016-03-23 16:02:33
佐藤正美 @satou_masami

待ち切れぬ焦りから、他の事に着手し、多忙であることが実りあることだと思い込んで、私は不安を安直にスリ替えてはいなかったか。私は、挫折を蒙るであろう悲惨な結末を弁明することなく、黙って直視できない意気地なしなのかもしれない。

2016-03-23 16:07:19
佐藤正美 @satou_masami

伸ばせる才能は伸ばすがよい。と同時に、比例して、短所も伸びるだろう。そして、弁明することなく、平然と非難を浴びよう。「作家は書くものが勝負である」とは、そういうことだ。私は、自らの欠点に病むことを、もう、止そう。

2016-03-23 16:10:35