西住あずLOVEさんと語る「太平洋戦争中の日本陸軍」の兵器体系と戦車の話(SUDOさんもちょっとだけ出てきます)

旧陸軍の軍事史でいつも呟いている、あずさんに、自分(よろず軍オタ)がふと思いついた疑問を返信して語ってみました。 結構興味深い討論になったのでまとめてみました(一部読み易くする為に時系列を無視しています)。
軍事 ガルパン 火砲 日本陸軍 戦史 戦車 太平洋戦争
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三井紀秀@ガダルカナル戦史研究中 @nakachandaisuki
太平洋戦争中の日本陸軍は火力戦をしたかどうか。ガダルカナル攻防戦を例に挙げると、全滅した一木支隊は正面敵陣地に対し機関銃による制圧射撃を実施している。砂州方面に主攻を変えたのは迂回するため。最終的には米軍陣地からの機関銃射撃で頓挫するが、もちろん、これは銃剣突撃ではない。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@nakachandaisuki と言う事は、歩兵分隊携行の96/99式軽機関銃(あるいは11年式)が日本陸軍歩兵部隊の主火力と言う解釈でよろしいのでしょうか? 38式小銃のイメージがあるから今まで無視されていた様な気もします。
三井紀秀@ガダルカナル戦史研究中 @nakachandaisuki
@Seto_Zyunin どれが主火力となるのかについては判断は難しいです。ただ、日露戦争以後、歩兵直協火力は下るにつれて増強されていきます。軽機関銃から始まり、擲弾筒、歩兵砲、速射砲、戦車という具合に、歩兵を支援する火力が付けられていきます。
三井紀秀@ガダルカナル戦史研究中 @nakachandaisuki
@Seto_Zyunin 昭和15年歩兵操典で特に重要視されたのは、速射砲です。強固な敵陣地の機関銃座を撲滅するために、この速射砲を活用しようとしました。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@nakachandaisuki なるほど。でも速射砲の目標が機関銃座…戦車となっていない時点で日本陸軍の限界が垣間見えるような。 どうも対米開戦前の日本陸軍って対歩兵戦闘に偏重している様な気がします。
三井紀秀@ガダルカナル戦史研究中 @nakachandaisuki
@Seto_Zyunin ちょいと調べてる途中なんですが、軽機関銃、速射砲、自動砲、それぞれに役割分担をしています。開戦前の日本陸軍は対歩兵戦ではなく、対戦車戦を結構重視してます。歩兵戦に偏重と見えるのは、支那事変の戦訓からだと推察いたします。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@nakachandaisuki 遅くなったのにどうもです。 やはり、支那事変の影響は大きかったのでしょうか。あと対戦車戦は重視していても火砲製造能力の制約が大きかった(民間企業を大砲製造に育成していない)気もします。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@nakachandaisuki 確かに…その辺の違いがどれ位あったのか、自分も調べてみたいです。
三井紀秀@ガダルカナル戦史研究中 @nakachandaisuki
@Seto_Zyunin 昭和18年の戦術学教程を見ると、軽機関銃は歩兵の近距離火力支援、自動砲は対戦車戦闘、歩兵砲、速射砲は脅威となる敵火力点が目標になってます。これは明らかに対ソを意識したものになってます。対する米軍はまた違う戦術でせめてきてるはずです。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@nakachandaisuki 返信遅くなりました。 対ソを意識しているのは当然でしょうが、でも自動砲って…まさか97式自動砲の事では…。(呆けている)
三井紀秀@ガダルカナル戦史研究中 @nakachandaisuki
@Seto_Zyunin それですよ。支那事変中期から太平洋戦争中にかけては、歩兵が持つ簡便な対戦車火器として積極的に導入を図ってます。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@nakachandaisuki うわっ…やはり20mm自動砲だったんだ…何と言うか当時の世界の趨勢と見比べるとシャレにならない…。
三井紀秀@ガダルカナル戦史研究中 @nakachandaisuki
@Seto_Zyunin そこらへんはどうでしょうねえ。ヨーロッパとアジアでは状況ちがいますし。ノモンハンでは有効だと証明されてしまいましたからねえ。ヨーロッパのほうが異常。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@nakachandaisuki しかし、結果的に戦車の技術的発達のメインが欧州、そして独ソ戦になってしまいましたからね。それは陸軍にとって大誤算だったと思います。戦車の生産を絞って航空機に集中投資しただけに。
三井紀秀@ガダルカナル戦史研究中 @nakachandaisuki
@Seto_Zyunin 加登川氏は戦車から航空機に生産重点がシフトされたことを嘆いていましたが、このシフトは正しい判断だったと思います。ヨーロッパと違い大規模な戦車同士の戦いはアジアでは実現しにくいですし、制空権なければいくら強力な戦車があっても無意味です。
三井紀秀@ガダルカナル戦史研究中 @nakachandaisuki
@Seto_Zyunin ノモンハン事件に参加したソ連の戦車は、日本側の94式37ミリ砲で簡単に撃破されています。この事が日本には過剰な自信を、ソ連側には痛切な反省を与えました。これにソ連側はドイツとの戦車戦を経験し、より強装甲な戦車を開発、同時にアメリカもですから、不幸だわ……
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@nakachandaisuki その意味で、日本側は戦車開発技術の方向性をノモンハン以降決定的に間違えましたね。
三井紀秀@ガダルカナル戦史研究中 @nakachandaisuki
@Seto_Zyunin 実は調べてみると、戦車開発についてはノモンハン前からの方針が影響しています。独立第一旅団の戦訓が結構、あとまで尾を引いているように思えます。川沼挺身隊の時にすでに関東軍は、戦車に対して見切りをつけています。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@nakachandaisuki 川沼挺身隊>熱河作戦時の川原挺身隊の誤りではないでしょうか?
三井紀秀@ガダルカナル戦史研究中 @nakachandaisuki
@Seto_Zyunin すんません、間違えました!初心者が適当なことを言ってしまぃした!
三井紀秀@ガダルカナル戦史研究中 @nakachandaisuki
@Seto_Zyunin 戦車の用法が、機動戦重視なのか、陣地戦重視なのか。教範を見るとどちらかというと陣地戦重視、つまり歩兵直協の移動式砲兵火力がメインになります。対戦車戦については、歩兵砲あるいは自動砲、対戦車爆雷、肉弾戦になります。
三井紀秀@ガダルカナル戦史研究中 @nakachandaisuki
@Seto_Zyunin このような状況ですから、対戦車戦は二次的になります。しかし、ややこしいのは、対戦車戦も考慮されていた点です。これは遭遇戦を想定したものと思われますが、戦車関係者の要望に応える形になったようです。
三井紀秀@ガダルカナル戦史研究中 @nakachandaisuki
@Seto_Zyunin さらに、日本陸軍用兵側は、戦車に機動性を求めます。自動車化した歩兵に追随できるだけのスピードを求められ、これに対応するためには重量の軽減が必須となります。この事から、装甲と砲火力を妥協します。ただ、チハ車に関して将来的に砲変更を前提にした設計がされます
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@nakachandaisuki 一方で、独立第一旅団の戦訓に関しては当時の状況や東条の指揮ぶりを考えると「戦訓にしてはいけない」例だと思いますが、機械化部隊を臨時編成で賄うべきだと言うのは同じ頃にドイツ軍でも言われていたので、無知蒙昧と片付ける訳にはいかないでしょうね。
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