西村 佳哲(@lwnish)さんの、「枠組みを気にしないで、働いたり、遊んでしまう人たち」の特徴の話。

西村 佳哲(@lwnish)さんの、「枠組みを気にしないで、働いたり、遊んでしまう人たち」に関するツイートをまとめました。
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西村 佳哲 @lwnish

たいていの人は働くとき、あるいはあそぶときも、その場の枠組みを理解して、その中でどう働くか、どう遊ぶか、という動きをとる。主体性の高い人でさえ。

2016-04-09 09:26:58
西村 佳哲 @lwnish

空気を読むのも、事情を察するのも、背景を理解するのもうまい。ちゃんとしている。

2016-04-09 09:38:27
西村 佳哲 @lwnish

まったくもって悪くないのだけど、こういう高能力な人たちは、世界をよりトリートメントしてゆくだけ...と書くとネガティブに聞こえるかもしれないが、機能すればするほど、この社会というか世界を、より高度に洗練された「これまでどおり」にしてゆくように見える。

2016-04-09 09:39:51
西村 佳哲 @lwnish

僕はアートやアーティストについて語るのが苦手で、出来るだけそれを避けていると思う。それは「アート」という単語が、アートマーケットのそれと重なってしまいやすいからだ。昨日友人と話していて、彼女が留保なく「アート」という単語を使えているのがすごく不思議だった。

2016-04-09 09:45:22
西村 佳哲 @lwnish

僕は「アートはどうでもいい」と言いたいくちで、でもアーティスティックな人たちがたまらなく好きだ。どうでもよくなんかない。で、その人たちはむしろ、いわゆるアーティストではないことの方が多い。

2016-04-09 09:49:22
西村 佳哲 @lwnish

枠組みを気にしないで、働いたり、遊んでしまう人たち。

2016-04-09 09:50:44
西村 佳哲 @lwnish

枠組みは「結果として」再構成される。それが目的ではない感じ。

2016-04-09 09:57:32
西村 佳哲 @lwnish

フレームワークの解体やつくり直しをうたって働いたり、遊ぶ人たちは、より能力高く空気を読んだり、事情を察したり、文脈を把握しているに過ぎないというか。悪ではないけど、それは世界が革新されたり、つくりなおしているように見えて、より上手に整えているだけというか。

2016-04-09 09:57:42
西村 佳哲 @lwnish

それほど面白くない。

2016-04-09 09:58:10
西村 佳哲 @lwnish

なので、まちづくりや地域のなんたらに召喚されて、なんらかの課題解決に貢献しようとしている(ように見える)アーティストの姿を見かけると、とても不思議な気持ちになる。「それはあなたたちでなく、デザイナーの機能だよね」と思うので。

2016-04-09 10:02:01
西村 佳哲 @lwnish

そんなふうに思うんだよね。

2016-04-09 10:04:17
西村 佳哲 @lwnish

定義も役割もかわってゆくものだと思うからまあいいんだけど、たとえば「リンゴ」という言葉の抽象度の高さ(めいめいの頭に浮かぶリンゴの姿は多様であるのと)と同じように、会話の中に「アート」って言葉が入ってくると、全力で困るんだよね。「どのたぐいのそれの話!?」となってしまって。

2016-04-09 10:09:56
西村 佳哲 @lwnish

んでまあ、黙って刺身を黙々と食べると。しかも吞めないからヒマなので、より黙々食べると、翌朝が満腹でやっかいです。これからは口を挟もう。頭働かせて、ちゃんと言葉つくんないとな。「あー」とか言ってないで。

2016-04-09 10:13:09
西村 佳哲 @lwnish

「枠組みを気にしないで、働いたり、遊んでしまう人たち」の特徴は、無償性です。

2016-04-09 10:15:24
西村 佳哲 @lwnish

障害者アートと称される物事も、自分にとっていちばん大切で「くる」部分は、無償性だな。人に認められようとか、問題を解決しようとか、目的と成果というご褒美をじぶんのはたらきに重ねてこないところ。

2016-04-09 10:19:16