4月8日 三笠の昔話

発明家二宮忠八さん没(1936) 第二次世界大戦:オストフィヨルドの戦い(1940)
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戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

今日はナチス・ドイツによるノルウェー侵攻作戦上で発生した「オストフィヨルドの戦い」の日(1940)です。 この戦いでは「陸上要塞が近代巡洋艦を撃沈する」という珍しい?出来事が起こっています。順に解説していきましょう。 #三笠の昔話

2014-04-08 21:37:14
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侵攻は北欧各国に対する侵攻作戦「ヴェーザー演習作戦」の一環として実施。ノルウェーの首都オスロを陸海空協働で電撃占領するという作戦でした、が・・・ オスロはオスロフィヨルド入り江の最奥。ノルウェーは入り江の各所に要塞を築いていました。 #三笠の昔話

2014-04-08 21:40:53
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独海軍は重巡ブリュッヒャー、ポケット戦艦(装甲艦)リュッツオウ(※ドイッチュラント改メ)を筆頭に小型艦艇を従え、フィヨルドを進軍。 艦隊が、オスロに差し掛かる最後の狭隘部「ドレーバグ水道」に差し掛かったとき・・ #三笠の昔話

2014-04-08 21:45:34
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ドレーバグ水道を守る「オスカシボルグ要塞」および水道に浮かぶ島々に設けられた攻撃施設から、一斉に艦隊へ向けて砲雷撃が浴びせられました。 狭い水道では回避行動もままならず、ブリュッヒャーは舵に被弾し操舵不能に。さらに陸上から放たれた魚雷が命中して横転沈没。 #三笠の昔話

2014-04-08 21:48:07
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陸上要塞から滅多撃ちされ横転沈没寸前の重巡ブリュッヒャーちゃん。対岸、ブリュッヒャーちゃん、そして手前の岩浜の距離感に注目のこと。 upload.wikimedia.org/wikipedia/comm… pic.twitter.com/liZVTs5A1e

2017-04-08 21:04:50
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後続のリュッツオウも砲塔などに被弾して一時撤退。 結局艦隊がオスロに到着したのは4月10日のこと。その時既にオスロ市街は空輸された陸上部隊により占領が終わり、艦隊はなんだかわからないまま重巡1の他小型艦艇数隻を全損する結果となりました。 #三笠の昔話

2014-04-08 21:51:13
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

まあ、簡単に言えば構図は「桶狭間」そのものです。細いところで身動きを取れなくして討ち取る。 独軍も、要塞があることはわかっていたのですから、事前に空爆なり艦砲射撃するなりしてオスカシボルグ要塞などは叩いておくべきでした。 #三笠の昔話

2014-04-08 21:55:48
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

しかし、独海軍はここからさらに「あたり目に祟り目」の憂き目を見ることに。 帰路、リュッツオウが英潜水艦の雷撃を受けて大破。沈みこそしなかったものの翌年までお風呂行きとなってしまいました。 #三笠の昔話

2014-04-08 21:59:55
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独海軍総司令レーダー元帥はこの北欧侵攻作戦で功績が認められたものの、多数の艦艇に被害が出たことでヒトラーの不興を買ってしまいました。 このことが、後のレーダー元帥罷免劇、そしてヒゲオヤジの独海軍総解体命令へとつながっていきます。 #三笠の昔話

2014-04-08 22:04:05
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

ちなみに撃沈されたブリュッヒャーちゃん。 アドミラル・ヒッパー級重巡2番艦で、妹には武勲艦プリンツ・オイゲンちゃん。艦の性能としては、まあ及第点だったのでは?と評されていますが、独海軍が取った通商破壊作戦にはあまり適性がなかった様子。

2014-04-08 22:14:42
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

運に関しては、開戦早々に沈んだこと、先代ブリュッヒャーちゃん(装甲巡洋艦)も、ドッガーバンク海戦(1915)で早々に被弾落伍し本隊においてけぼりを食らって撃沈されるなど、あまり運の良い艦名ではないようです。残念。

2014-04-08 22:16:56
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

実際に撃沈された艦体ですが・・・ 今もオスカシボルグ要塞跡の沖合いに沈んでおり、残った重油が浮き出しているため海洋汚染の心配があるとのこと。もしかすると、海の底で「環境汚染深海棲艦」化しちゃってるのかも・・・。早めに助けてあげたいですね。

2014-04-08 22:18:37
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

今日は、発明家・二宮忠八氏の命日(1936)です。 ライト兄弟より早く動力飛行機の原理を見いだしたとされ、近年再評価の動きが高まっています。 #三笠の昔話

2015-04-08 22:03:21
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

二宮さんは陸軍従軍時、空を飛ぶカラスが羽ばたかずに滑空する様子から「ベルヌーイの定理」による揚力機構を発案、さらにプロペラ動力と組み合わせることで無人飛行実験に成功。 しかし、研究を旅団長や参謀に相談したところ一蹴されてしまいました。 #三笠の昔話

2015-04-08 22:20:43
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この時の参謀が、後に「プロペラ髭」で有名?となる長岡外史大佐。 どんな髭かって?こんな髭。 #三笠の昔話 pic.twitter.com/xkHxyKNHoz

2015-04-08 22:23:13
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戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

こんな翼みたいな髭の人が飛行機の研究をはねつけた、というとそれだけでちょっとしたコメディではあるのですが。(当時もその髭があったかどうかは定かではありません) 後に飛行機が実用化されたあと、長岡大佐は自身の不明を二宮さんに詫びたとか。 #三笠の昔話

2015-04-08 22:24:58
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

軍では相手にしてくれないと判断した二宮さん、民間に就職して資金をためつつ動力飛行機の研究を行っていましたが、ライト兄弟の初飛行の報に接した後、ぱたりと研究をやめてしまったそう。 その後起業し、そこで得た資金で「飛行神社」を創設。 #三笠の昔話

2015-04-08 22:27:58
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

ところで話は変わりますが。 みなさん、「食塩」と聞くと、元・公社製の赤キャップをイメージされると思いますが、関西方面の方ですと「エン○ッチ」というお塩をご存知の方もいらっしゃるかと思います。 実はあれこそ、二宮忠八さんが起業した製塩会社の製品だったりします。 #三笠の昔話

2015-04-08 22:32:39
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

周りの理解不足にも屈せず飛行機への挑戦を続け、挫折してなお、人々の生活に欠かせないものにその足跡を残した二宮さん。 まさに不撓不屈、明治人の鑑であったかと思います。 本日はここまで #三笠の昔話

2015-04-08 22:35:17