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小学校の国語で〈日本語〉はどのくらい教えられているかⅣ - Togetterまとめ togetter.com/li/962150
2016-04-14 07:27:272)小5国語の分析に進みます。これtogetter.com/li/959218の応用編です。
2016-04-14 07:28:523)「-である」「-ということもできる」「-にちがいない」は外国人には説明が難しい語法。これもまた明治の言文一致運動の落とし子。 pic.twitter.com/ld4eVg1LQ9
2016-04-14 07:35:194)たとえば「-である」は江戸時代に学者が講演するときに使った言い方で、それが明治期に書きことばに採用された。もともとが講釈用なので書き手の顔が強く出てしまう弱点があり、連発するとくどくなる。
2016-04-14 07:37:295)翻訳でいつも気を遣うのは語尾です。「-である」は原則として一段落につき一回、それもたいていは段落の末尾で使うようにしています。あとは主に「-た」を使う。
2016-04-14 07:44:576)洋ものは一段落がやたら長くてぎゅうぎゅう詰めなところがあるので、日本語訳では複数の段落に分けなおすことが多い。その際にいつも思い悩むのは、どこで区切ったらいいのかの判断です。それはつまりどこで「-である」を使ったらいいのかの判断にいつも思い悩むということです。
2016-04-14 07:50:177)「-る」と「-た」をモザイク状に組み込んでいくスタイルは漱石の『三四郎』で完成したとかなんとか。
2016-04-14 07:52:018)漱石は「-た」を英語の過去時制とは違ったニュアンスで使っています。「-る」も現在時制のニュアンスではなく。
2016-04-14 07:55:4610)明治になってロシア文学イギリス文学ドイツ文学ほかいろいろヨーロッパ言語による小説が日本で翻訳され、その翻訳文体から〈日本語〉が模索されていきました。
2016-04-14 07:58:1911)「-だった」「-た」「-だったのである」「-である」等、ヨーロッパ言語の時制をなんとか咀嚼すべくいろいろな語尾が発明され、今に至っています。
2016-04-14 08:01:1012)書き手の顔を薄めるための、反対に顔を打ち出すためのゲームとしてみることもできます。
2016-04-14 08:02:1015)子どものころから作文は好きでひとよりたくさん書いてきたこともあって、この語尾の問題にはやはり早くから気が付いていました。
2016-04-14 08:07:4916)この語尾の問題は、黒板に書いて教えるよりも、子ども達にたくさん書かせてみて体感させて、それから謎解きしてあげる教え方が効果的だと考えます。
2016-04-14 08:08:5320)ここから先はもうtogetter.com/li/959218で論じた以上のものを付け加えるまでもないと考え、自己引用で進めます。
2016-04-14 08:14:07