「公立高の受験問題は教科書の内容以外からは決して出ない」ことを周知しよう・・・座学漬け社会から脱却しよう

ほとんどの子どもが塾通いするようになった社会。そのために座学漬けになり、座学以外の能力を磨く機会を逸するようになっている。受験への不安を和らげ、状況を改善するために、現状の分析を試みた。
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shinshinohara @ShinShinohara
トップレベルのスピードスケート選手がスピードスケートに必要な筋肉を集中的に鍛えた結果、転倒が増え、速く走れなくなったという話をNHKで見たことがある。周辺の筋肉が爆発的な筋力を支えきれず、うまく制御することができなくなったためだという。その後その選手はテレビで見なくなった。
shinshinohara @ShinShinohara
特定の筋肉だけを鍛えるとむしろバランスを失いやすいという教訓がこの選手から得られたのか、以後のスポーツ選手は、さまざまな動きをトレーニングに取り入れ、特定の筋肉だけでなく、様々な筋肉をバランスよく鍛えるようになった。怪我も少なくなり、結果を残せるようになっていったようだ。
shinshinohara @ShinShinohara
バブル経済をきっかけとして塾通いが増え、ゆとり教育開始で爆発的に塾通いが増えた。学校から帰ってきても塾。起きてから寝るまで座学ばかりの時間を過ごすようになった。しかも低年齢化が進んで、小学生もほとんどが塾通いするようになったという。塾に行かない子の方が少数派だと言う。
shinshinohara @ShinShinohara
しかし座学ばかり鍛えるというのは、まさにスピードスケートで主要な筋肉だけを鍛えた結果、かえって速く走れなくなった選手と同じことにならないだろうか。学校や塾で習うのは、文字情報ばかり。文字は情報のごく一部分しか載せられない伝達手段。そればかり鍛えるというのは、大いに偏りがある。
shinshinohara @ShinShinohara
いわゆる「ゆとり世代」に大いに同情的なのは、塾通いが激増し、私たちの世代と違って複数の友達と群れ遊びする経験をほとんどしないまま大人になってしまったのに、就職活動の際には「コミュニケーション能力」を求められたことだ。座学ばかりを鍛えたら座学以外の能力を求められた格好。
shinshinohara @ShinShinohara
私はバブルが始まる前に中学を卒業した年代である。その世代はまだお金のない家庭も多く、塾に通うのは成績がトップクラスでトップ高を目指す子か、あまりにも勉強しなさ過ぎて親が我慢ならずに塾に行かせたタイプの子かに二極化していた。そうでない中間層は塾に行っていなかった。

私は中学生の頃、成績的には「放っておくと全く勉強しようとしない」子たちの層に所属。成績は公立中学校のど真ん中。大学はもちろん不可能とされる成績だった。
中学3年生になって、成績が非常に良かったのに家庭の事情で進学をあきらめざるを得なかった友人から「俺の分まで頑張ってくれ」と言われたのがきっかけで勉強するようになった。
それまではテスト一週間前になると部活がないのをよいことに、一切テスト勉強をせずに外で遊びほうけていた。

点数は好きな理科だけ70点台で、他は30~60点台。
5教科平均は50点台。ちょうど学年の順位でど真ん中を浮遊していた。

shinshinohara @ShinShinohara
塾に行っていないのに塾通いをするトップ層と肩を並べる成績の子は、3分の1くらいはいた。だから「塾に行かなければ成績は上がらない」なんていう先入観念は、私の世代にはない。塾に行かなくてもトップの成績は可能であり、トップ高、トップ大学に進学は可能というのが私の世代の認識だ。
shinshinohara @ShinShinohara
また、私の世代は「遊ぶことも大事」ということが認識されていた時代でもある。勉強ばかりしている子は一目は措かれるものの、やや軽く見られる傾向があった。大いに遊び、大いに体を動かし、さらに勉強もしっかりとね、というバランス感覚を比較的持っていた、最後の世代かもしれない。
shinshinohara @ShinShinohara
しかし私の世代からわずか3年若くなるだけで、状況が違ってきたようだ。塾に通う子が増えた。一つにはバブル経済に突入し、経済的に余裕のある家庭が増えたためだろう。進学校に合格した同級生はみな塾に通っていた、というのが3学年下の弟談(弟は塾に行かなかった例外)。
shinshinohara @ShinShinohara
私の世代は「進学意識の高い一部のエリート」と「ほっといたら勉強するはずのない中学生」の二極だけが塾に通っていたが、3学年下の弟の世代になると、塾通いが増えただけでなく、私立志向が急速に強まった。バブル経済で懐が豊かになった親たちは、大学にエスカレーターで入れる私立を望んだ。
shinshinohara @ShinShinohara
大学を持たない私立は、進学に力を入れ始めた。特進コースを設置し、大学進学なら私立の方が有利ですよ、と盛んにアピールした。バブルで懐が豊かだった親は、私立の高い学費でも大学に進学できるのなら、と、私立に行かせたがるようになった。そうした進学熱の高まりが塾通いを増やした。
shinshinohara @ShinShinohara
塾の性質も、バブル前とバブル以後では決然と違う点がある。私の世代は「トップ校を目指すエリート層」を育成する塾と「放っておくと勉強しない子」を相手にする塾の2極だった。「そこそこ進学校」を目指す塾はあまりなかった。「そこそこ進学校」は、塾に行かずに勉強する同級生が多かった。
shinshinohara @ShinShinohara
しかし3学年下の弟になると状況が一変する。「そこそこ進学校」を狙う塾が多数出現した。トップ校も目指さないわけではないが、「まあこの高校に進めばあるいは大学に行けるかも」という高校への進学を目指すという、中間層をターゲットにした塾が生まれ始めた。
shinshinohara @ShinShinohara
中間層をターゲットにした塾の出現が、学校の授業に微妙な影を落とし始めた。私の世代までは、授業よりも早く塾で習ってしまうのは、トップエリートの生徒だけだった。クラスで2,3名だから、大半のクラスメートは学校の授業が初めての内容。だから授業の進行に塾が影響することはなかった。
shinshinohara @ShinShinohara
「放っておけば勉強するはずがない」子が通っていた塾は、当然ながら遅れがちな勉強をなんとか追いつくようにという講義だから、復習型だった。だからこうしたタイプの塾通いをする子供たちにとっても、学校の授業が、初めて習う内容となっていた。ところが。
shinshinohara @ShinShinohara
3学年下の弟の世代から生まれた中間層をターゲットにした塾の出現で事情が変わった。この中間層の塾は、授業を2週間ほど先取りして講義するところが多かった。学校の授業は、塾で習ったことの復習、おさらいをする場所に変わった。クラスのかなりの人数が、授業を受ける前に習っている、という状態。
shinshinohara @ShinShinohara
その結果「授業中退屈そうな生徒」がクラスのかなりの人数を占めるようになった。中間層は、成績トップの生徒のように授業中内職に余念がなく、常に研鑽を続ける、というほど勉強に打ち込んでいるわけではない。だから「先生、それ塾でもう習った~」という、中途半端な態度になってしまった。
shinshinohara @ShinShinohara
それでも「バブル期に中学生だった世代」はまだましだったかもしれない。この時代、ごく一部のトップ進学校を除けば、高校受験の試験は「中学校の授業で使う教科書の内容からしか問題が出ない」ことは常識だった。塾も教科書の内容を逸脱する授業を展開するとはうたわなかった。
shinshinohara @ShinShinohara
塾が用意する問題集や参考書も、学校の授業と教科書を意識したものだった。あくまで学校の授業と教科書をマスターするために問題集や参考書を勉強する、というのが基本姿勢。だから中間層をターゲットとした塾は、教科書や学校の授業をどこかしら意識した講義を行っていた。
shinshinohara @ShinShinohara
ところがゆとり教育開始からこの状況が一変する。「円周率は3.14ではなく約3と教えるらしい」という話が広く伝えられ、「学校の授業だけではまともな進学はできないのではないか」という不安心理を親たちに与えた。塾は残念ながら、その不安に便乗する形となり、生徒集めに奔走した。
shinshinohara @ShinShinohara
学校の授業はゆとり教育開始とともに平易で少ない内容を教えるようになったが、塾はゆとり以前の形態をとり続けた。親の不安に応えるために。 すると、中学生たちは「退屈そう」を超えて「くだらない」という態度を授業で示すようになった。
shinshinohara @ShinShinohara
「バブル以降、ゆとり以前」の頃は学校の授業のレベルと塾の講義のレベルが拮抗していた。だから塾が先んじて授業内容を講義していたとしても、生徒たちにとっては「ちょうどよい復習」も兼ねられたので、多少退屈には感じても、学校の授業はまだしも破綻しなかった。
shinshinohara @ShinShinohara
だが「ゆとり以後」は事情が違った。学校の授業のレベルがゆとりで下がったために、塾で習う内容とギャップが生じた。しかも塾で先に習ってしまう。「すでに知っているうえに、初歩的」な内容を教えようとする学校の授業は、塾通いをする子供たちには、退屈を通り越して辛かったかもしれない。
shinshinohara @ShinShinohara
思い返すと残念なのは、ゆとり教育は座学の量を減らし、遊びと家族と過ごす時間を増やすことで、座学以外の「筋肉」を鍛える狙いがあった。ところがその狙いとは裏腹に、塾通いを激増させ、学校から帰った後は習い事だらけで、むしろ子供たちを座学漬けにしてしまったことだ。
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コメント

ウミドリくん @umidori_kun 2016年4月16日
そのために必要なのは公教育の改善であって塾に自制を求めることではない。>公教育の使命は「公平な教育機会を子供たちに提供する」ことにあると私は考える。だとすれば、塾通いかどうかで学習レベルに決定的に差がついてしまう現状は、どうしても改善すべきである。
ウミドリくん @umidori_kun 2016年4月16日
高度な教育を強権によって抑制すれば全員が平等だという発想の行き着く先は、日本の学校を見限って帰国子女になるという選択。つまり留学の費用を賄える特権層の親から産まれた者だけが勝ち組になる超格差社会の到来ですよ。
ウミドリくん @umidori_kun 2016年4月16日
「公立高校では」というが、大学受験を見据えて私立の進学校に子供を入学させることを当然としている東京の中流層に、公立高校への進学を自明とする言説が説得力を有するとは思えない。東京では非東京の人間が想像する以上に私立学校の優越が根付いている。
ウミドリくん @umidori_kun 2016年4月16日
最後の懸念には同意しておく。「生徒ひとりひとりの個性を伸ばす教育なんて無理でーす」と平然と言い放つ質の悪い学校教育で、これからの入学試験が要求する高度な応用力を身につけられるとは思えない。本来インテリ適性のある予備軍ほど、いきなり受験戦争で営業員のようなスキルを求められて右往左往するだけ。
ウミドリくん @umidori_kun 2016年4月16日
放っておいても応用力なるものを身につける要領のいい遊び人が受験の合格枠を独占しないよう、塾が従来のインテリ予備軍を救う方向で尽力するのは当然のこと。それこそが教育の平等というもの。
ウミドリくん @umidori_kun 2016年4月16日
学校が怠ける以上は塾が補うしかない。
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