福島信夫の里巡り(岩谷観音・大鳥城・医王寺)
- ou_fujiwara4
- 2594
- 12
- 0
- 0
登場人物解説
佐藤季春(さとう すえはる):奥州藤原氏二代基衡の乳母子。継信・忠信の祖父世代(直接の祖父かは不明だが、同じ信夫佐藤氏)。基衡と時の陸奥守が争ったさい、基衡の身代わりになる形で命を落としている。
藤原清衡(ふじわら きよひら):奥州藤原氏初代。基衡の父。
藤原基衡(ふじわら もとひら):奥州藤原氏二代。季春の主。
旅立ちまで
奥州藤原氏bot構成員の藤原清衡と佐藤季春が福島に日帰り旅行に行くことになった経緯。
本編と関係無いので、めんどくさい人は飛ばしてください。
季春「おはようございます。とーとつですが! 今日は福島市界隈の佐藤家本拠、信夫のあたりに日帰りで里帰りしてきます。…佐藤家菩提寺の医王寺を夢で見まして、これはたまには顔を見せろという託かと思い、今日は基衡様の御用事もないですし、急遽行くことにしました」
2016-04-12 07:36:46季春「基衡様もお誘いしたかったのですが、眠い二度寝するから勝手に行ってこい、と言われまして……久しぶりの私の里帰りに気を遣っていただけたのかもしれません……私はむしろせっかくなのでご一緒したかったのですが……」
2016-04-12 07:42:14季春「一人で行く予定でしたが、早朝の平泉で思わぬ方とばったりお会いしましたのでお誘いしました……清衡様、随分早い時間から散歩なされていたようですがいつもこのような時間に?」 清衡「ああ、よく薄暗い時分から目が覚めてしまってな。私ももう800歳を超えておる年だから無理もない」
2016-04-12 08:00:33清衡「しかし、おまえの方から誘ってきたとはいえ私が同行して良かったのか? せっかくの里帰りだろうに」 季春「もちろんでございます! いま桜が満開でしょうし、ぜひ信夫の花をご覧いただきたく」 清衡「そうだな。私もあのへんの桜を久しぶりに見たい」
2016-04-12 08:05:13清衡「私も信夫のあたりは随分久しぶりであのあたりは不案内だが、そこを本拠としているおまえとなら何も案ずることはないな」 季春「申し訳ありません。私も今回の旅の頼りはコレです(´・_・`)」 「……」 pic.twitter.com/qnBetv0hNn
2016-04-12 08:54:40清衡「……おまえの本拠ではないのか?」 季春「左様ですが、なにしろ私の頭は七割が基衡様のことで占められ、二割が藤原家の他の方々のことで占められ、あとの一割で他のすべてを処理しているのでいろいろ忘れていることも多いのです(´・_・`) 」
2016-04-12 09:00:02こちらも大いに参考にさせてもらいました。
http://www.iizaka.com/join/(飯坂温泉オフィシャルサイト)
季春「ああ、でもやっぱり基衡様と離ればなれになるなんて辛いです。・°・(>_<)・°°基衡様、私がいなくなってもお身体をご自愛ください、ちゃんと召し上がってください、着替えは上から三番目の引き出しです。゜・(ノД`)・゜・」 清衡(´-`).。oO(日帰り旅行だったよな、これ?)
2016-04-12 09:40:18@ou_fujiwara4 基衡『うるせー! なに日帰り旅行で大騒ぎしてんだ! ゆっくり里帰りしてくりゃいいだろ! 俺を何だと思ってんだ⁉︎ ……で、着替えは何処だって?』 季春「上から三番目の引き出しの中でございます」
2016-04-12 09:45:08奥州藤原氏と信夫佐藤氏
清衡「いまのうちに信夫と佐藤家について説明しておこう。佐藤家は我ら藤原家と同じく藤原秀郷将軍を祖とする一族で、同族のよしみもあり私が奥州を治めるようになる過程で季春の親世代と縁を深めるようになった。やがて佐藤家は娘の一人を基衡の乳母として平泉に出仕させる」
2016-04-12 10:00:13清衡「この乳母の実子が季春であり、つまり季春は基衡の乳母子というわけだ。私たちの時代は実の兄弟よりも幼い頃から身近に仕える乳母子と親しくなることが多かった。季春は長じて、今の福島市一帯にあたり『信夫文知摺(しのぶもちずり)』という高級絹の産地でも有名な信夫郡の郡司となった」
2016-04-12 10:05:13清衡「基衡の従者の印象が強いが、郡司は国司の元で当地を治める地方官だ。それでも季春は国司よりも基衡の命を優先し、やがて国司と衝突することになる。季春のあり方は藤原家のような実力者が現地の実権を握り在地勢力がそちらの方に従っていく当時の時代状況をよく反映しているとも言える」
2016-04-12 10:10:15清衡「国司との対立で季春が死んだ後、基衡はさまざまな工作をして信夫を公地である郡から、その埒外にある荘園へと変えたようだ。季春の跡継ぎには後に義経殿の従者になった佐藤兄弟の父、基治が就いた」
2016-04-12 10:20:39季春「信夫は郡であったのでその範囲は広大ですが、今日は福島駅近くの信夫山と飯坂温泉周辺の大鳥城や医王寺を目指します。基治は『湯の庄司』とも呼ばれていましたが、それはあの飯坂温泉があるゆえです」
2016-04-12 10:24:09季春(´-`).。oO(福島の地図がある方は福島駅や飯坂温泉と国見町の位置を確認してみてください。阿津賀志山防塁が佐藤家本拠の背後に築かれた構図や、合戦で佐藤家が防塁から出て先鋒で戦った光景を理解できると思います」
2016-04-12 10:31:56岩谷観音
最初の目的地は福島駅からすぐ。福島の磨崖仏・岩谷観音。
奥州合戦で信夫佐藤氏とともに鎌倉軍と戦った伊賀良目氏ゆかりと伝わる。
季春「『岩谷観音』は福島駅から複数のバス路線が出ており、『岩谷下』下車です。福島駅バスターミナルから複数の路線が出ており10分余ほどでした。降りたら目立った案内版は無いのですが、山っぽくなっている方に向かって5分ほど歩いてください」
2016-04-26 18:42:59季春「すぐに本命の場所へ向かおうとしたのですが、本寺に参ってからだ、と清衡様に注意され、こちら一番高い所にある観音寺にご挨拶」 pic.twitter.com/CLtwMGrntU
2016-04-12 11:49:09清衡「岩谷観音の上には観音寺があり、大永元年(1521年)、岩下観音堂を建立した伊賀良目春顕の孫の僧侶宵海法印、俗名尾形春光の創建と説明版にある」 pic.twitter.com/LkbYWvQD1J
2016-04-26 18:46:35