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古代ギリシア・ローマの狼 ―神話、人々、そして人狼―

「屋敷の周りには、山に棲む獅子や狼がいたが、これはキルケが恐ろしい薬を盛り、魔法によって獣に姿を変えた者たちで、人間に向って躍りかかったりすることがないばかりか、長い尾を振って立ち上がってくる」(ホメロス『オデュッセイア』10巻212-215節、松平千秋訳) 古代世界の人々が狼をどう見てきたか、どんな記録があるのかを古典古代の史料から検討します。
歴史 アポロン 古代ギリシア 狼と香辛料 古代ローマ ギリシア神話 人狼
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アザラシ提督 @yskmas_k_66
この前もちょこっとつぶやきましたが、今月から『狼と香辛料』の続編が始まりましたね。ワタクシが学部生だったときにアニメが放送され、院生だったときに原作が完結したので、なんとも感慨深いものがあります。
アザラシ提督 @yskmas_k_66
で、その『狼と香辛料』の続編についてつぶやいたとき、フレイザーの『金枝篇』にホロの元ネタがあるとも申し上げたのですが(twitter.com/yskmas_k_66/st…)、あとで少し気になってしまって、果たして本当はどうなのか調べなおしてみました。
アザラシ提督 @yskmas_k_66
その際、古代における狼関連の神話や狼変身譚に関わる史料や研究資料を整理できたので、せっかくですし古代ギリシアやローマの時代の狼について『狼と香辛料』の設定を引き合いに出しつつ、まとめておこうとおもいます。 pic.twitter.com/FAmcVRn4YT
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アザラシ提督 @yskmas_k_66
(1)まずは神話や宗教から始めるのがいいでしょう。『狼と香辛料』の物語開始時、ヒロインのホロは「豊穣をもたらす狼の神」として、村の人々から崇拝されていました。
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(2)狼の神というと、エジプトのウプウアウトや日本の真神(まかみ)が挙げられますし、北欧神話のフェンリルやマーナガルム、『カレワラ』の鉄を生み出した狼など、各地の神話に狼を見出すことができます。ですがホロは、「わっちは神なんて偉いもんじゃありんせん」と言います。

 世界各地の狼の神や神話についてはラガッシュ, G.『オオカミと神話・伝承』大修館書店 1992, 3-26頁を御参照ください。真神および日本の狼信仰は、平岩米吉『狼』池田書店 1981, 84-99頁にまとめられています。鉄を生み出した狼についてはリョンロット, E.『カレワラ(上)』岩波文庫 1976, 107-114頁。

捕縛されたフェンリル
図版出典: Wikimedia Commons 「The binding of Fenris by D Hardy」

アザラシ提督 @yskmas_k_66
(3)実際のところ、ホロの元ネタになったのはこうした神ではなく、ドイツに伝わる穀物の精霊「小麦狼」や「ライ麦狼」のようです。地域によっては『狼と香辛料』第一巻に出てきたように、麦を最後に刈った者が「狼役」に選ばれたり、収穫祭において麦束を狼の形に編んで飾ったりしたようです。

 作者である支倉凍砂氏はある対談において、ホロの元ネタは『金枝篇』の一節だと語っています(藤島康介『藤島康介のキャラクター探求室』一迅社 2010, 68頁)。確かにフレイザーの『金枝篇』には、小麦狼とライ麦狼のほか、「穀物の母」「穀物の乙女」の伝承、さらに収穫時に最後に麦の束を刈ったものが「狼役」に選ばれる風習についての記述があります。これらを組み合わせて生み出されたのが「賢狼ホロ」なのでしょう(Frazer, J.G., The Golden Bough Volume VI, London, 1912, pp. 131-170, 270-275 (邦訳: フレイザー, J.G.(神成利男訳)『金枝篇 穀物と野獣の霊(上)』国書刊行会 2012, 94-118、178-182頁); 植田重雄 『ヨーロッパの祭と伝承』 講談社学術文庫 1999, 256-262頁)

アザラシ提督 @yskmas_k_66
(4)で、古代ギリシアの神話において狼はどういうポジションだったのかというと、わりと重要な役割を演じることがありました。例えばレトという女神は子どもたち(アポロンとアルテミス)を産む際に、狼に化身して極北からやってきたといいます。(アリストテレス『動物誌』580a11-23)

 レト、アポロン、アルテミスの三人の神が一揃いになった神話は古くからあります。まずホメロスはアポロンとアルテミスがきょうだいであり、それぞれレトの子であることを示しつつ詠っています(『イリアス』1.35-36; 20.70-71; 21.470-471; 24.608-609)し、ヘシオドスも三者がどういう血縁関係なのか整理しています(『神統記』918-920)。他の作家や詩人も、三者の血縁関係や親子関係を理解していました(『ホメロス讃歌』3.12-7; バッキュリデス 断片20d 5; アポロドロス『文庫』1.4.1; コルトス『ヘレネの誘拐』34-35; ヒュギヌス『神話集』53, 140)。
 また、狼は彼ら以外にも、アフロディテやレアの随伴者の立ち位置を与えられることもあったようです(『ホメロス讃歌』5.69-72; 14.4)。ローカルなものとしては、アドリア海沿岸の都市で信仰された“太陽神”の使者でもあったようです(ヘロドトス9.93)

レトと子どもたちの像
図版出典: Wikimedia Commons 「Metropolitan Richart Latona」

アザラシ提督 @yskmas_k_66
(5)これに関連して、ローマ時代の作家アントニノス・リベラリスが伝えるものに、レトがアポロンとアルテミスを出産した後、狼によって川まで導かれたというものがあります。後にレトは、川が流れるその地を「リュキア(狼の国)」と名付けました(アントニノス・リベラリス『変身物語』35)。
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(6)補足しておきますと、古代ギリシア語で狼のことは「リュコス(λύκος)」というので、それにちなんでレトは地名を決めたわけです。

 レトにまつわるこの話は紀元前2世紀の作家ニカンドロスや、リュキア地方(現、トルコ共和国南西部のアンタルヤ県とムーラ県のあたり)の一都市であったクサントス出身の作家メネクラテスが書き残したものをアントニノスが引用したもので、少なくともヘレニズム期くらいまで遡ることのできる神話のようです。レトとリュキアを結びつける神話はオウィディウスからも確認できます(『変身物語』6.316-381)。
 当のリュキア地方においては、明確に三人の神が同時に言及されている文字史料はないものの、クサントスから出土した紀元前4世紀中頃に作られたギリシア語・リュキア語・アラム語からなる「三言語併用碑文」や、ピナラという都市から出土した紀元前3世紀の碑文で「レトとその子どもたち」という表現が確認できます。ちなみに、アポロンが生を受けたとされるデロス島には、紀元前2世紀に作られたアポロンとアルテミスとレト(?)に捧げられた像がありました。
 三言語併用碑文に関してはMetzger, H. et al., Fouilles de Xanthos Tome VI: La stèle trilingue du Létôon, Paris, 1979にギリシア語(pp. 31-42)、リュキア語(pp. 53-76)、アラム語(pp. 136-157)の原文及びフランス語訳と解説が載っています。なお、松本克己「クサントスのレートーオン出土の三言語併用碑文とリュキア語研究の現状」『オリエント』26-2, 1983, 95-118頁には原語と日本語の対訳(99-103頁)があります。ピナラの碑文はKalinka, E. (Hrsg.), Tituli Asiae Minoris II: Tituli Lyciae linguis Graeca et Latina conscripti Bd. II, Wien, 1930の520番の7-8行目を、デロスの碑文はRoussel, P. et Launey, M., Inscriptions de Délos Tome IV, Paris, 1937の1527番の5-9行目をそれぞれご参照ください。

クサントスの劇場跡
図版出典: Wikimedia Commons 「The Roman theatre, built in the mid-2nd century AD, Xanthos, Lycia, Turkey (8825114404)」

アザラシ提督 @yskmas_k_66
(7)そのレトの子アポロンは音楽・医術・弓術などの神となったわけですが、彼はまた様々な聖獣に化身し、時代や地域によって色々な神と同一視され融合してきました。一例として、アポロンには「リュケイオス」という添え名が与えられ、“狼のアポロン”として祀られることもあったようです。

 「リュケイオスΛύκειος」という添え名は古典文献のほか(アルクマン 断片49; アイスキュロス『アガメムノン』1257; ソフォクレス『エレクトラ』7などなど…)、古代地中海世界のあちこちで信仰されたアポロン・リュケイオス(狼のアポロン)の神殿や金石文から見出すことができます。アポロン・リュケイオス信仰があったと窺えるポリスは、
①アゾロス(Béquignon, Y., “Études thessaliennes XI”, Bulletin de correspondance hellénique, 88-1, 1964, p. 396)
②アテナイ(アリストファネス『平和』356; クセノフォン『ギリシア史』1.1.33などなど。最近出た研究文献にJameson, M.H., Cults and Rites in Ancient Greece, Cambridge, 2014, pp. 50-61。このアテナイのアポロン・リュケイオス神殿の近くで、哲学者アリストテレスは散歩をしながら哲学を深めたといいます。)
③アルゴス(パウサニアス『ギリシア案内記』2.19.3-4; Inscriptiones Graecae IV 559, 658; Charneux, P., “Inscriptions d'Argos”, Bulletin de correspondance hellénique, 77-1, 1953, pp. 387-392; Foley, A., The Argolid 800–600 B.C., Göteborg, 1988, pp. 139-40)
④シキュオン(パウサニアス『ギリシア案内記』2.9.7)
⑤メガラ(Inscriptiones Graecae VII 35)
⑥メタポンティオン(Inscriptiones Graecae XIV 647; Arena, R., Iscrizioni greche arcaiche IV: Iscrizioni delle colonie achee, Rome, 1996, nos. 56-58, 67, 72)
…といったところが挙げられます。

図版出典: Wikimedia Commons 「Lycian Apollo Louvre left」

アザラシ提督 @yskmas_k_66
(8)狼とアポロンの関係を仄めかす比較的古い史料に、黒海北岸の小島から出土した獣骨があります。ここにはアポロンの名はありませんが、「弱き狼、強き獅子、親切な射手、医者の力、賢きイルカ」といった彼に関わる聖獣・モチーフが刻まれています pic.twitter.com/RlliOMhEm8
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 この獣骨は黒海北岸の小島、ベレザニ島から出土した、紀元前6世紀の第3四半期に年代決定されるものです。例によって解釈は難しいですが、アポロンに関わる聖獣、モチーフ、そして彼の誕生日にしてシンボル数の"7"が刻まれていることから、アポロンの恩寵による都市の形成・統合・発展を意味するのではないかと考えられています。べレザニ島はやがてオルビアというポリスに統合されることとなりますが、ベレザニやオルビアでは紀元前6世紀前半からアポロン・イエトロス(医神アポロン)信仰が、そして紀元前6世紀の終わり頃からはアポロン・デルフィニオス(イルカのアポロン)信仰が導入されたと考えられています。
 獣骨に刻まれたテキストはDubois, L., Inscriptions grecques dialectales d'Olbia du Pont, Genève, 1996, pp. 146-154を御参照いただければと思います。テキストの解釈はВиноградов Ю.Г. Политическая история Ольвийского полиса VΙΙ-Ι вв. до н. э.. М., 1989. С. 78–80; Solovyov, S.L., Ancient Berezan, Leiden, 1999, pp. 96-97; 篠崎三男『黒海沿岸の古代ギリシア植民市』東海大学出版会 2013, 176-9頁。アポロン信仰については前述のDuboisのpp. 107-116およびVinogradov, J.G., Olbia: Geschichte einer altgriechischen Stadt am Schwarzen Meer, Konstanz, 1981, S. 20-22; Vinogradov, J.G., Pontische Studien: kleine Schriften zur Geschichte und Epigraphik des Schwarzmeerraumes, Mainz, 1997, S. 77-80; Vinogradov, J.G. und Kryžickij, S.D., Olbia: eine altgriechische Stadt im nordwestlichen Schwarzmeerraum, Leiden, 1995, S. 109-111。
 アポロンの誕生日についてはヘシオドス『仕事と日』771; ヘロドトス『歴史』6.57。他にも、アイスキュロス『テバイ攻めの七将』800-801でも、"7"を冠する謎めいた名称と共にアポロンの名前が言及されています。

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コメント

今日が終わりの始まりの日 @__blind_side 2016年4月25日
人肉を食べたことにより狼になったというくだりを読んで、パプアニューギニアのクール―病を思い出しました。あと、父を匈奴に殺され野に捨てられた烏孫の昆莫が狼から乳を与えられたという伝承について触れていたモノを以前に読んだ時、このまとめでも取りあげられているロムルスとレムスが真っ先に頭に浮かびました。
巫俊(ふしゅん) @fushunia 2016年4月25日
この前、地元の狼の故事について話していたら、「オオカミの骨を見たよー」とお母さんの横にいた小さな子どもに言われました。子どもの中には、まだまだオオカミが生息しているのですね。リュケイオスと聞いて、何故かケーリュケイオンが浮かびましたが、こちらはつながりは無い言葉でしょうか?
アザラシ提督 @yskmas_k_66 2016年4月25日
__blind_side コメントありがとうございます。 ふむふむ、昆莫の話は存じ上げませんでした。動物に救われた/育てられた話はユーラシア大陸のあちこちにあるんですね(゚∀゚)  古代ローマ史の本村凌二先生はローマの建国神話には「狼に象徴される何らかの事実が潜んでいるのでは?」と述べておられましたから、今後も色々な地域の神話と比較した研究が出てくるかもしれません。
アザラシ提督 @yskmas_k_66 2016年4月25日
fushunia こんにちは、コメントありがとうございます。  巫俊さんの地元の狼の故事というのがとても気になります…!  ケーリュケイオンですが、これは伝令が使う杖でして、アポロンではなく伝令の神ヘルメスと結び付けられることはあります。ただ、古典史料の中にあまり登場しないので(ヘロドトス『歴史』9.100; トゥキュディデス『歴史』1.53.1; クセノフォン『アナバシス』5.7.30)、狼との関連は…。う~ん…何とも…(;^ω^)
今日が終わりの始まりの日 @__blind_side 2016年4月25日
yskmas_k_66  本村凌二先生は競馬場の達人で馬券を買っている姿は拝見したことがあったんですが、『馬の世界史』をはじめとした著書は読んだことが無かったので、近々読んでみたいと思います。
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