アマヤドリ 広田淳一による「俳優の演技が自己完結になってしまうことについて」

演技が自己完結しないために必要なことを、劇作家・演出家・俳優の広田淳一が語った。
舞台芸術 広田淳一 アマヤドリ 演劇 俳優 演技論
6
広田淳一 @binirock
ロングラン公演をやっていて、俳優の演技が自己完結的になっていってしまうことについて考える。複数回こなすうちに段々と演技はルーティン化してきてしまう。真面目な俳優ほど、自分の演技を無意識的に固めていってしまう。決定済みの何かにしていってしまう。そこから、どう逃れるか?
広田淳一 @binirock
もちろん共演者から刺激をもらうことは大切だ。いかに出力するか、ではなく、いかに受信するか、が大事。鐘を突くように演じるのではなくて、共演者の演技によって突かれて鳴り響く鐘のように演じなくては。では、独白のような台詞ではどうなるのだろう? 自己完結的な演技は独白に顕著に現れる。
広田淳一 @binirock
空間と会話すればいいんじゃないか、と僕は思う。これは抽象的なことじゃない。心がけの問題じゃない。具体的に、空間と会話する。それは、自分の声が響いている音に耳を澄ますこと。自分の言葉が世界を変えていくことを、ちゃんと目撃すること。
広田淳一 @binirock
演劇では、言葉が世界を切り拓く。暗闇の中で「朝になりました」と言っても映像では中々朝になってくれない。でも、演劇は違う。俳優が「朝になりました」と言えば、そこは朝なんだ。観客と共有するイメージの中に、確かに朝が訪れる。
広田淳一 @binirock
だから俳優は、自分の言葉によって世界が変化していくことをちゃんと目撃していてほしい。空間と会話する、ってのはふたつの空間に対峙するということ。ひとつは、物理的なその場所、ある一定の広さや湿度や残響音を産み出すその空間。もう一つは、観客と共有するイメージ上の空間。
広田淳一 @binirock
空間と会話する、それは俳優が空間に対して何かをもたらすことばかりではなく、その空間からまたフィードバックを受け取るということ。自分が手を入れたその、変化した空間を受け取って、また、手を入れていく。
広田淳一 @binirock
これは共演者と会話することと本質としては一緒だ。WSでもよく言うことだが、相手とコミュニケーションを取るということは、相手の中に自分の存在の痕跡を見出すということを含む。「私を見ているあなた」を、見ている私、を見ているあなた……という循環の中にコミュニケーションはある。
広田淳一 @binirock
演じる上で忘れてしまいがちなのは、自分がいかなる変化を相手に与えつつあるか、ということに注意を払い続けること。どのように受け止められつつあるのか、は日常において普通に、とても重要だ。でも、演じる際にはそれはしばしば無視される。なぜって、次の台詞が決まっているからね。
広田淳一 @binirock
相手にどんな影響を与えるのか、そしてその結果、相手がどんな反応をするのか、俳優はそれを「知っている」と誤解してしまう。相手の次の台詞は確かに台本に書かれている。でも、それは単なる文字情報だ。人間が言葉を受け取ることはもっとずっと、アナログなプロセスを経て進行していく。
広田淳一 @binirock
今、この瞬間にどれだけのものを込められるか。この場所に、どれだけのものを置いていけるか。なんだかんだで精神論で乗り切るしかない部分は大きい。俳優の精神力で、今、ここ、という時空をどれだけ特別なものに高められるか。その圧力は、俳優によってしか生み出せない。
広田淳一 @binirock
全部置いてくるつもりでやっていい。余力を残さずに全部出しきるつもりでやっていい。人間はちゃんと計算してしまうものだから、どれだけ出しきろうと思っても必ず、余力を残してしまうものだ。全力を出し切ったあとの心配しなくていい。そのあとのことは、そのあとに湧いてくる力で、どうにかなる。

広田淳一 @binirock
再び、演技が自己完結してしまうことについて。あなたは共演者が見えていない、一人でお芝居をしちゃってる、ひとりよがり、自己完結、あなたの演技は「届いていない」、そういった指摘は具体的にはどんな現象に対して言われているのか? そこから、どう逃れられるのか?
広田淳一 @binirock
一人で演じてしまうこと、それには肉体的な問題と、精神的な問題と双方がある。まず肉体的には、単純なことだが、見ていない、という問題が大きい。見て、聞いて、感じ取って、受け取って、動く。その習慣が身についていないと、自分の覚えたことをアウトプットするだけになってしまう。
広田淳一 @binirock
今、ここで、受け取ることが必要だ。何かをもらうこと、それは難しいことじゃない。複雑なことじゃない。ちゃんと、息をする。呼吸する。特に、息を吐くこと。緊張で硬くなってしまった体から、力を抜いていく。つまり、脱力すること。筋肉をゆるめ、眉間に寄ったシワをほどく。
広田淳一 @binirock
共演者と、観客と、空間と、ちゃんと呼吸できるようになるために、体をゆるめてリラックスする。稽古の段階では、あえてとてもゆっくり、ラクに、いつもより小さな声で演じてみるのもいいだろう。外部に、感覚を開いていく。出力を下げて、入力を高める。
広田淳一 @binirock
それは単に情報を入手するということじゃない。安部公房の『箱男』じゃないけれど、自分というボックスの中から外部を覗くようにして情報を入手してもダメだ。自分もまた、その空間を構成する一部である。その人間関係を構成する一員である。見られている自分、を、自覚する。怖いけど。隠れない。
広田淳一 @binirock
隠れないこと。それは、自分が影響を与えつつある世界、を、受け取り続ける、ということ。自分と相手役、あるいは世界とが呼吸している状態の中で演じられるように。そのために、見る、聞く、感じ取る、受け取る。
広田淳一 @binirock
どうしてそれができないのか? どうしてそれが怖いのか? ここからは精神的な問題。まずは、自分が何を守ろうとしているのか、無意識に守ってしまっているものを見つめる。守ろうとして、強張っている筋肉に、精神に、気づく。
広田淳一 @binirock
人間は自分を守りたい。当然だ。自分はちゃんとできるんだ、踊れるんだ、理解しているんだ、わかっているんだ、賢いんだ…。誰だって、そういう、良いものとして、自分を認めてもらいたい。すなわち、自尊の感情、というものが人には必ずある。プライド、と言ってもいい。それに、気づく。
広田淳一 @binirock
自分はちゃんとできるんだ、ということを証明したいから、人は失敗が怖い。期待されている、というプレッシャーは、成功しなければ、という強迫観念に繋がる。責任感の強い人ほど、その怖れは強くなる。成功したいという野心もあるだろうけど、それよりも、失敗したくない、という怖れが強敵だ。
広田淳一 @binirock
失敗したくない、という強迫観念は、こうしなければ、ああしなければ、という「べき思考」に連なる。それは時に人間に力を与えてくれるが、義務感や焦りは、表現からやわらかさと自由、遊びと楽しさとを奪う。怖くて、焦って、なんとか失敗しないようにと演じてしまう。
広田淳一 @binirock
どうやったらそこから自由になれるのか? 容易いことではないけれど、「出来ているフリ」なんてもんは全部バレてしまうんだ、ということを覚悟するしかない。
広田淳一 @binirock
他人から何かを受け取って動きたい、コミュニケーションの中でパフォーマンスを産み出したい、一人ではやりたくない、ウソはつきたくない! …でも、本番で、何も感じることができなかったらどうする? テンションがあがらなかったらどうする? ウソでも成立させなくちゃ、と俳優は焦ってしまう。
広田淳一 @binirock
そこで焦っても無駄なんだ、ということを覚悟しなければ。ウソは必ずバレる。呼吸していない演技が、他者を、空間を巻き込んでいくことはない。だから、たとえ本番であれ、何も受け取れなかったら、受け取れなかったことを、受け入れるしかない。諦めるしかない。残念だが、そうするしかないんだ。
残りを読む(8)
「#演劇」

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?

ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする