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第6章 学習指導要領における英語教育観の変遷(特別寄稿) 小泉 仁 cuc.ac.jp/~shien/terg/ko… これ面白いです。こうなったら国語と英語授業のせめぎあいをテーマに何か書き下ろして小林秀雄賞をもぎ取ってやるしかなさそうです。
2016-04-28 12:40:362) >太平洋戦争終了後,連合軍最高司令官総司令部(GHQ)は,日本占領政策の大きな柱の一つとしての,教育制度改革を強力に進めた。総司令部は,1946年3月,軍人スタッフに専門的助言を与える目的で,アメリカの著名な教育指導者たちを日本に招聘した。
2016-04-28 12:56:273) >この使節団を迎えるにあたっては,日本側も教育家による委員会を設置し対応したが,この委員会が日本側としての報告書作成を担当した。
2016-04-28 12:57:434) >古賀(2000)は,この日本側委員会を構成するメンバーの質の高さと彼らの積極的な取り組みを評価し,その報告書について「それまでの日本の教育における画一主義,記憶中心主義,教科書中心主義が指摘され,
2016-04-28 12:58:355) >明くる昭和22年(1947年)3月31日に学校教育法が,5月23日には学校教育法施行規則が公布されたが,『学習指導要領一般編(試案)昭和二十二年度』については,それに先立つ3月3日に印刷,20日付けで発行されている。
2016-04-28 12:59:177) >序文の記述ぶりと,法的な状況,および 次の項で詳しく触れる本編各章の構成を見る限り,教育課程の作成は,地域,生徒の実状,教師の創意工夫などを考慮しつつ各学校で行う,という当時の文部省の姿勢がある。そのための参考資料としての学習指導要領(試案)の性格は明らかである。
2016-04-28 13:01:198) >「付録」として,発音を取り上げている。「アメリカ音に習熟されたい」と書いているのは,この指導要領だけである。あの時代ならではのことだろうか。この「付録」以外に言語材料に言及した場所はない。
2016-04-28 13:01:599) >学校現場での教育課程編纂のための参考資料としての性格は,昭和27年3月に発行された『中学校高等学校学習指導要領外国語科英語編(試案)昭和26年改訂版』にも引き継がれた。しかしこの改訂で特記すべきことは,総ページ数759ページ3分冊という,膨大な量である。
2016-04-28 13:02:3510) >福井(ditto)は,これは,当時の英語教育における指導法の乱雑多岐な様子や,教員の資質のばらつきなどから生じる混乱を鎮め,かつ,指導の質を引き上げようという意図をもって書かれた,きわめて啓蒙色の強いものである,と述べている。
2016-04-28 13:02:5611) >全体的に,直接教授法の影響を強く受けていると感じられる部分が多い。例えば,国際交流の会の設営と実施など,平成10年度版にある「総合的な学習の時間」の例としても相応しいような,実践的な言語使用場面も紹介されている。
2016-04-28 13:04:0612) >現在の学習指導要領と教科ごとの指導要領解説や指導書を合わせ,さらに実践指導資料集などを加えたようなものである。
2016-04-28 13:04:3413) >この31年度改訂版については,やはり,解説的内容を含んだもので,大筋では26年度版の性質を受け継いでいるが,理論的な解説については大幅に簡略化されている。簡略化されたが故に,現在の,「学習指導要領解説」に表現方法などが似通ってきた感がある。
2016-04-28 13:07:2015) >自由作文などの創造的活動も例示されてはいるものの,昭和26年改訂版にみられた,授業の枠に納まりきらない総合的な言語活動は整理され,各授業時間内に限定できる操作的な活動ばかりが残されたという印象は否めない。
2016-04-28 13:09:0616) >学校教育法施行規則の改正に対応し,教育課程の内容を規定する最初の学習指導要領として書かれたものが,33年度版(中学校)と35年度版(高校)である。
2016-04-28 13:10:2017) >ルールブックとしての体裁を整えるため,具体的な例示を極力抑え,箇条書きの,整然とした表記になっている。
2016-04-28 13:11:1918) >従前の指導要領に含まれていた,理論的解説や指導法など具体的なことがらにかかわる内容は,別に「中学校外国語 [英語] 指導書」「高等学校指導要領解説外国語 [英語] 編」という刊行物のかたちで出版されることになる。
2016-04-28 13:11:4119) >昭和20年代の指導要領に強く影響を与えていたオーラル・メソッドの色あいは薄くなった。語彙や文法項目が残り,しかも,「内容」の項の冒頭に掲げられたため,これらの指導要領は,いわゆる「文法シラバス」としての性格を明確に備えたものとして,世に示されることになったのである。
2016-04-28 13:13:5320) >昭和40年代前半は,教育に関して社会が,極めて大きく揺れ動いた時期であった。ベトナム戦争,43年を頂点とした大学紛争,44年の高校紛争が学校教育における不安を増幅していた。制度の上では,教科書広域採択制が,昭和41年に開始された。
2016-04-28 13:14:5921) >昭和43年(1068年)6月の教育課程審議会答申を受けて,学習指導要領の改訂が行われ,小・中学校のものについては,昭和44年4月,高校は45年10月に告示された。
2016-04-28 13:16:2422) >この指導要領に対応する「中学校指導書外国語編」(1970)は,内容を基本的事項に精選,集約し,その学年配当をなだらかにしたことを説明し,また,生徒の能力差に対応した指導ができるようにしたと書いている。
2016-04-28 13:17:2223) >2) 昭和52年改訂(中学校)と53年改訂(高等学校) >① 概要と構成 >この改訂のキイ・ワードは,中学校での週3時間体制と,高等学校での総合英語と各分野別科目の導入であった。
2016-04-28 13:18:2424) >中学の外国語(英語)は,週3時間となり,指導内容,特に言語材料は大きく削減され,文型は37種が22に,文法項目は21が13項目になり,例えば関係副詞や現在完了進行形などが高校へ回された。 ああこのときにそうなったのか。
2016-04-28 13:19:3125) >昭和53, 54年版の授業時数と内容の大幅削減には大きな議論を呼んだ。この10年間を踏まえたのが,平成元年改訂版である。
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