ふきだまりスケッチ

えるさんが深夜クラスタの実力を見せつけるため(?)、生み出した物語。
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@sawaon

フリースタイルむかしばなし「ふきだまりスケッチ」

2011-02-05 01:03:41
@sawaon

終着駅についた時には、乗客はわたし一人だけだった。荷物を抱えて席を立つ。 かつて環状線だったこの路線は、視力検査に用いるランドルト環のように、北部の一帯が廃線となっていた。

2011-02-05 01:04:03
@sawaon

それも当然、この先はこの国でも有数の貧民街なのだ。スラムの人々は都心部へ続く路線など利用しないし、その逆もしかりだ。この駅も実態は操車場扱いで、よほどの物好きだけがここで降りる。自分でそう思う。お忍びでスラムに行く為に薄汚れた服を用意し、顔に脂を浮かせるお嬢様などそうはいまい。

2011-02-05 01:04:41
@sawaon

駅は高台にあって、スラムの中心部は坂を十分ほど下りたところにある。周囲に立つ建造物に人の気配はない。この辺りは『一等市民』とそうでない者を分つ境界線なのだ。この無人区域を抜けると、前時代は下町と呼ばれ親しまれた街になる。この国が未曾有の混乱に陥り、再建の過程で見棄てられた場所だ。

2011-02-05 01:05:49
@sawaon

貧民窟とは言っても、どうにか先進国と名乗り続けているこの国だから、最低限文化的な水準は残している。それでも、入り口に当たるアーケード街は商店がひしめき合い、看板には公用語よりも外国の言葉の方が多かった。

2011-02-05 01:06:05
@sawaon

軒先に並んでいるのも、パステル色の錠剤であったり、紙のふやけた古い週刊誌だったり、素性の知れない串焼きだったりする。しかし、わたしはここで違法ドラッグを買いにきたわけでも、下民の食事を珍しがりにきたわけでもないのだった。

2011-02-05 01:06:12
@sawaon

書き溜めここまで

2011-02-05 01:06:18
@sawaon

型落ちのカメラを法外な値段で売っている電器屋の角を曲がると、陽の当たらない路地に入る。 この通りは雑居ビルに挟まれている割に広く、また、ちょっとした更地がぽつんとあって、子供の遊び場にもなっていた。 わたしは更地の向かい側にあるビル、その閉じたシャッターに背を預け腰を下ろした。

2011-02-05 01:13:42
@sawaon

そして、ヨレヨレの布カバンからスケッチブックと鉛筆を取り出す。このスラムで、わたしは時々写生をしていた。特にモチーフがあるわけではないし、とりわけ描きたい風景があるわけでもない。それでも、ふと足が運んで、昼寝するホームレスやがちゃがちゃした商店の風景を鉛筆で切り取りたくなるのだ。

2011-02-05 01:13:57
@sawaon

ここのところは定点観測でスラムの子供を描いていた。前回来た時は、缶蹴りをしている姿のクロッキー。 スラムに出かけるとき口裏を合わせてくれる女学校の友人たちは缶蹴りを知らなかったので、おみやげついでに描いて見せてみようと思ったのだ。

2011-02-05 01:14:16
@sawaon

けれど、途中で物取りか、はたまた強姦目的の男が近づいてきた。やむなく肥後守を素早く相手の首筋に押し当てて追い払い、再開しようと思った時には、子供たちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまっていた。今日はその雪辱戦といったところだった。

2011-02-05 01:15:34
@sawaon

幸いにも子供たちは今日も缶を蹴って走り回っていた。何人かは、ポートレートの題材になってもらったから知っている顔だ。このスラムには不法滞在の外国人も数多く住み、結果として混血の子供も生まれる。人種のるつぼの底で、なにもかもは融解していくのだ。

2011-02-05 01:17:00
@sawaon

彼らの顔立ちは、時として非常に個性的で魅力のあるものになる。少年は線が細いのに精悍で。少女はあどけないのになまめかしい。それを確かに美しいと認めてしまう自分が、悔しくなるほどに。

2011-02-05 01:18:07
@sawaon

思考を中断して、意識を画面と風景とに集中させる。絵を描くのではなく、彼らを切り抜いて詳細を保存しようというようにだ。フィクションであってはならない。自分の色を出してはならない。ただ、ありのままを残すように鉛筆を走らせる。

2011-02-05 01:22:57
@sawaon

本当は、大雑把なラフスケッチよりも写真におさめた方が合理的なのだろう。 もちろん、こんな場所で『父』からもらった骨董品のライカなんて構えてしまえば、ハイエナの鼻先に餌をぶら提げるようなものだとは分っている。

2011-02-05 01:52:12
@sawaon

それでも、子供たちの嬌声やいろいろの表情まで抜き出せたらと考えてしまう自分には、スケッチが不適当のように思えた。

2011-02-05 01:52:19
@sawaon

一通り描き終え、移動するかそれとも帰るか決めかねながら立ち上がる。すると、アーケード通りの反対側、集合住宅の密集する方から少年がかけてくるのが見えた。 これから空き地の仲間たちに加わるのだろうと思ったが、彼はそうではなく、一目散にわたしの方に近づいてきた。

2011-02-05 01:52:37
@sawaon

条件反射で身構えるが、間合いの少し手前で少年は立ち止まり、頭を下げて息を整えはじめた。どうやら、わたしに用があってきたらしい。 わたしは彼が落ち着くまでの間、その浅黒く華奢な腕を眺めていた。おそらくは純血。そうでなくとも近い民族同士でしか血は混じっていないだろう。幸か不幸か。

2011-02-05 01:53:12
@sawaon

顔を上げた少年は、見上げるようにしてわたしを見た。瞬間、彼の表情に動揺の色が浮かんだが、すぐに睨みつけるような顔になり、口を開いた。 「あんた絵描きだろう」 その声は嗄れて、やや震えた響きを持っていた。変声期に特有の嗄声だ。

2011-02-05 01:53:26
@sawaon

「まあ、一応」 「ここで子供の似顔絵を描いたな?」 「モデル料は払ったけれど」 彼の問いには詰問の色が見え、わたしは眉をひそめる。だが、彼は咎めようというのではなかった。

2011-02-05 01:53:37
@sawaon

「じゃ、じゃあ! 女の子を描かなかったか? 髪は短い、目が緑がかかってここにほくろがある」 まくしたてるように言って、彼は自分の口元を指差した。 「どうしてそんなことを訊くのかな」 我ながら、残酷な質問だと思った。少年は分かるように歯噛みし、それでも言った。

2011-02-05 01:54:13
@sawaon

「その子がいなくなったからだ。誰も行方を知らない。探すのに顔を教えるものが必要だ。けど、写真なんてない。あんた、何度かここにきて絵を描いてたろう。もしかしたら、肖像を持ってるんじゃないかと思った」 肖像なんて立派なものはわたしには描けないよ。そんな冗談は、しかし口をつかなかった。

2011-02-05 01:57:24
@sawaon

わたしは、彼のいう「その子」を知っていた。手に持っているスケッチブックの中には、素描ではあるけれど本人を判別するには十分な人物画もある。 けれど、それを彼に渡してしまっていいものか、躊躇してしまうのだ。

2011-02-05 02:35:43
@sawaon

よく覚えている。よく整った顔立ちで、北欧系に由来するのか、色素の薄い髪と翡翠のような目が印象的な子だった。 鉛筆画だから黒鉛の濃淡でしか残っていないけれど、その妖精めいた色彩は一度見たら忘れない。

2011-02-05 02:35:52
@sawaon

心臓の鼓動が大きく聞こえる。ビルの影で涼しいくらいの場所なのに汗が頬を伝う。拭う気力すらなかった。……スラム街には混血児が多い。彼らは、人を虜にする容姿を持つ者もいる。それに目をつけて、はした金で子供を買う物好きな富裕層がいることも知っていた。わたしは、その当事者だから。

2011-02-05 02:37:21