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歴史学をめぐる議論5

歴史学と宗教学の違いから始まった議論や西洋史院生の留学についての話をまとめました。「歴史学をめぐる議論」http://togetter.com/li/8653、「歴史学をめぐる議論2」http://togetter.com/li/8916、「歴史研究における理論とその脱領域性――学問と人生?」http://togetter.com/li/9176、「思想史の中の history と theory、ときどき nature...」http://togetter.com/li/9514 も合わせてご参照下さい。
人文
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Mori Tatsuya @mori_tatsuya
英米哲学と歴史哲学については、渡邊二郎先生の放送大学教材の二冊 http://bit.ly/9ZbIzVhttp://bit.ly/cUmei1 が私の教科書でした。鬼のように注がついていて恐ろしい本だと思いながら読んでましたが、おかげで血肉になってます。
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Mori Tatsuya @mori_tatsuya
@mimimasumasu こちらもご教示ありがとうございます。やはり出発点はカーですね。IRではありませんが、私は彼の同時代の思想や理論を扱うのが目下の任務です。
Mori Tatsuya @mori_tatsuya
@mimimasumasu 思ったのですが、同一の政治的事件に対して複数の方法論でアプローチして相互のメリットを考えたり相乗効果を狙う研究は、歴史系と社会科学系を協働させるよい考えだと思うのですが、だめなんでしょうか。たとえばアリソンのキューバ危機分析のような。
Mori Tatsuya @mori_tatsuya
@mimimasumasu 世界システム規模の話になると困難でしょうが、いくつかグランド・セオリーがあって、個々の事例分析でそれらの成果を衝き合わせていくならば生産的な気がします。そんなに簡単なものではないでしょうけど。IRや社会学はなぜかケンカが多くて残念と思うのも事実です。
Mori Tatsuya @mori_tatsuya
@adamtakahashi 歴史以前のヒストリー。レオ・シュトラウスの『自然権と歴史』、カール・レーヴィットの『歴史の意味』の主題はそれだと思います。ただし彼らは19世紀的な意味での歴史哲学者で、探究は哲学的、つまり彼らにとっては実存的な問いだったと思います。歴史学の意味とは。
マルクス爺は旅芸人規制を憂ふ @MarkWatermanPhD
ハーヴァードに行く大学院生も減ってるのかな。学部生の場合、在米駐在員の数が減って(つまりその子弟も)アメリカの大学に高校から進む日本人が減った。
マルクス爺は旅芸人規制を憂ふ @MarkWatermanPhD
『「歴史学の理論と方法」とは歴史学者という専門家集団が備えるべき一連の行為の規則』←ここがガキなんだよな。「規則ではなくただの心構え」なんだよ。規則にしたらファッショじゃねーか。学問とは正反対(近頃の日本語で真逆)のアイディアであることをまだわかっていない。
マルクス爺は旅芸人規制を憂ふ @MarkWatermanPhD
それに言わんとしている内容ならすでに大人の専門家は心得たこと。
Keiko Grace Kobori @keikogk
自分は歴史学科から宗教学宗教史学科に移った。移った時にはたまたま出身大学の歴史学科が宗教を歴史学の立場から扱うのに適したスタッフがいないだけかと思って、やりたいことをやらせて貰える学科に移っただけだと思っていた。
Keiko Grace Kobori @keikogk
そして、宗教史学で出した成果は歴史学でもそれ相応に認めて貰えると思っていた。なぜなら宗教史学では歴史学の成果もきちんと認めているからだ。(歴史学の成果を十分に生かした研究が出来ているかと言えばそれはまた問題があるが。)
Keiko Grace Kobori @keikogk
ところが、歴史学科の教授は頑として「お前の研究は歴史学ではない」と言って認めようとしない。私が言う「認める」とは何も「歴史学研究と同じである」と言って欲しいのではなく、隣接分野として眼中に入れて欲しいだけだったのだ。でも、教授は眼中にすら入れてくれない。
Keiko Grace Kobori @keikogk
勿論それは自分の勉強が足りないのだ、ということはわかったし、それで一所懸命に勉強した。その結果わかったことは、歴史学と宗教史学との間には目指す物に大きな隔たりがあり、その隔たりが手法にも影響を与え、それゆえにお互いが認め合わないのだ、ということが分かって来た。
@shishin51
歴史学ではなく宗教史学の論文だから、「お前の研究は歴史学ではない」という評価は別に間違っていないと思う。しかし、歴史学がそれ自体で完結しうる学問かどうかという話とは違うよな。>  @keikogk
Keiko Grace Kobori @keikogk
いや、日本の歴史学の一部は特に古典古代史においては宗教史学を全く無視するが、欧米の歴史学研究者は古典古代史であっても宗教史学も視野に入れるし、宗教史学では歴史学の研究成果を用いつつ、独自の視点を打ち出す、という関係が世界レベルでは築かれている。
@shishin51
@keikogk 歴史学の基礎が史料批判だとすると、宗教史学の基礎って何だろう。扱う素材が宗教になるだけで、歴史学と同じだと思ってたよ。
noby @nob_de
二つの間を架橋するのが、keikogkさんのお仕事でしょう。RT @keikogk ...その結果わかったことは、歴史学と宗教史学との間には目指す物に大きな隔たりがあり、その隔たりが手法にも影響を与え、それゆえにお互いが認め合わないのだ...
Keiko Grace Kobori @keikogk
では、歴史学と宗教史学とは何が違うのか? 簡単に一言にまとめて言ってしまえば自分でも言い切りたい言葉はあるが、自分で言いながらそれは不十分だ、というのがわかっている。なぜなら結局自分は手法的には歴史学で訓練を受けても、歴史学が目指している物が分らないからだ。
Keiko Grace Kobori @keikogk
いや、自分の中では歴史学とはこういうものだろう、という考えはある。しかし、周りと話していても、人によって千差万別で、自分の「歴史学観」が実は自分の思い込みに過ぎないのでは? という気がすることが多い。そこで自分の歴史学観の立ち位置を知ろうと苦闘しているが、まだ分らないでいる。
北野 風夫 @jx0
@keikogk 多数の人が宗教を意識せずに暮らしている国を日本の他に知らないのですが、そういう国の例も含んでいますか?含んで初めて、「世界レベル」と言えるように思うのですが。他に例がないなら、日本と世界レベルが一致することはあり得ないのではないでしょうか。
永本哲也@『ミュンスター宗教改革』発売 @saisenreiha
ぶっちゃけこういう自文化中心主義者の歴史学者は、結構いると思われます。
Keiko Grace Kobori @keikogk
因みに、自分は歴史学とは過去にあった出来事を、今現在手にしている資料から読みとれることで再構成する物であり、巷説に反証するもしくは学術的な再確認する成果を出すこともできるが、史料の限界に阻まれることも多いと思っている。
横山和輝 @ecohis
唯物史観や大塚史学だけを"経済史"だと考えている経済史家も少なくない。 RT @saisenreiha: RT @keikogk ところが、歴史学科の教授は頑として「お前の研究は歴史学ではない」と言って認めようとしない。
@shishin51
乱暴かもしれんが、歴史学=史料批判でいいんじゃないの?史観なんて話をするとイデオロギーになる。まあ、ヘーゲルが悪いんだけど。> @keikogk いや、自分の中では歴史学とはこういうものだろう、という考えはある。
@shishin51
史料の限界=歴史学の限界でいいのでは?RT @keikogk 因みに、自分は歴史学とは過去にあった出来事を、今現在手にしている資料から読みとれることで再構成する物であり、巷説に反証するもしくは学術的な再確認する成果を出すこともできるが、史料の限界に阻まれることも多いと思っている。
永本哲也@『ミュンスター宗教改革』発売 @saisenreiha
この事実認識から「歴史と理論」の話が始まった。 RT @keikogk いや、自分の中では歴史学とはこういうものだろう、という考えはある。しかし、周りと話していても、人によって千差万別で、自分の「歴史学観」が実は自分の思い込みに過ぎないのでは? という気がすることが多い。・・・
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