【「成長」「変節」のない思想⑤】天秤体制(バランスクラシー)を巧みに運営するのが、日本の政治家の主な任務

イザヤ・ベンダサン『日本教について~あるユダヤ人への手紙~』/「成長」「変節」のない思想/安保教授とバイカル博士/116頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【安保教授とバイカル博士】前述の行き方が、日本人の「思想」で、日本人は少しの「変節」も「成長」もなく、従って「偽善」もなく、この思想に基づいて、昔も今も、事件の大小に関係なく行動し続けてきたことは、明らかな事実です。<『日本教について/イザヤ・ベンダサン』

2016-05-01 17:52:03
山本七平bot @yamamoto7hei

②国内のさまざまな問題の解決は、大がかりな「大学問題」の解決というわけで、「言わせておいて片づけてきた」のです。 日本の驚異的な発展の原因の一つは、この「片づける」という方式によります。

2016-05-01 17:52:32
山本七平bot @yamamoto7hei

③従って、こういう体制すなわち「天秤体制」を巧みに運営するのが日本の政治家の主要な任務になるわけですから、政治家は常に空体語と実体語のバランスにのみ注意が向きます。 pic.twitter.com/9acwpYaoX5

2016-05-01 17:53:34
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山本七平bot @yamamoto7hei

④しかしこの行き方を、言葉によって解説したり論じたりすることが非常に困難なことは、言うまでもありません。 そこでまず、論じるよりも証拠を提出し、その証拠の内容を逐次解説した方が良いと思います。 まず面白い資料をお目にかけましょう。

2016-05-01 17:54:15
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤これは二葉亭四迷という作家が書いた『ひとりごと』という題の短い文章です。 もちろん雑文であって、文芸作品というわけではありません。 書かれたのは1905年9月7日頃と思われます。 するともう66年も昔のことですが、この文章は、まるで昨日の事件を記述したように見えます。

2016-05-01 17:54:46
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥当時日本は、アメリカの仲裁でロシアと講和し、開港以来の最大の難関を無事突破し、日露戦争に終止符を打ったわけです。 いずれにしろこの戦争は日本の勝利に終り、日本は独立を完うしただけでなく、サハリンの半分と満州におけるロシアの利権を獲得し、朝鮮を自国の領土同様にし、(続

2016-05-01 17:55:23
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦続>それが国際的に公認されたのですから、この予想外の成功に民衆が歓喜しているかと言うとそうではなく、この講和条約は屈辱であるから破棄せよといって民衆が大暴動を起し、首都は混乱に陥って、ついに政府はこの鎮圧の為、戒厳令を公布せざるを得なくなったのです。この状態は非常に不思議です。

2016-05-01 17:56:03
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧あの時期に講和に持ち込めたということは、戦費も武器弾薬も動員力もゼロになっていた日本にとっては、天の助けに等しいことでした。 もし民衆がこの状態を理解しないため暴動を起したのなら、その状態を正しく民衆に知らせるのが知識人・言論人の役目でしょうが、事態は全く逆でした。

2016-05-01 17:56:35
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨当時、東京帝国大学に「バイカル博士」というニックネームを奉られた教授があり、この人が 「バイカル湖まで日本の領土とすべきだ」 などという夢物語のようなことを強硬に主張し、また多くの新聞もこういった議論に同調するかのような強硬論を展開したため、一般民衆はこれに扇動され、(続

2016-05-01 17:57:00
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩続>政府がいたずらに軟弱なため不当な屈辱的講和条約を締結したと信じて、暴動を起した訳です。 これは1960年の日米安全保障条約改訂の時と非常に似ております。 「バイカル博士」や「安保教授」は常に日本で活躍し、今も活躍を続けて言論機関を通じて民衆に大きな力を振るっております。

2016-05-01 17:57:26
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪だが、こういった「教授」や「博士」の学問上の業績となると、私の知る範囲ではゼロです。 当時の日本の首相は桂太郎公爵でした。 では桂首相は、これに対してどう対処したでしょうか、 いや対処する前に、内心で何を考えていたでしょう。

2016-05-01 18:09:07
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫桂首相はおそらくこう考えていたにちがいない、と思われることを、二葉亭四迷は「桂首相のひとりごと」という形で発表したのです。これが次に引用する『ひとりごと』です。 …(「桂首相のひとりごと」本文引用省略)…

2016-05-01 18:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬…ここで、1960年の日米安全保障条約改訂時におけるあの騒動、アイクの訪日を阻上したあの混乱時における、岸首相の「ひとりごと」を同じ筆法で書いてみたらどうなるでしょう。

2016-05-01 19:09:08