アドラーの共同体感覚と他者貢献について その2
- hokeypokey2012
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これを読んで、アドラー心理学に対する疑問というか違和感というか、少し明確になってきた。 ba-shi.hatenablog.com/entry/2016/05/…
2016-05-09 12:10:38#幸せになる勇気 @hokeypokey2012 「共同体感覚」に対する違和感がどうしても拭えなくて、「自己の拡張」という言い換えをすることで一旦は納得できた。
2016-05-09 12:19:42#幸せになる勇気 @hokeypokey2012 なんだけど、「他者との関係を仲間ととらえ~他者に貢献しようと関っていくことで得られる感覚」と書かれているのを読んで、ようやく合点がいった。
2016-05-09 12:21:05#幸せになる勇気 @hokeypokey2012 違和感があったのは「他者貢献」だ。「他者」と自己の関係で説明されていることに、ものすごい違和感があったんだ。
2016-05-09 12:22:08#幸せになる勇気 @hokeypokey2012 「他者貢献」は、「他者にとって価値ある存在」であるということを「自身の存在意義」にするためにすることだ。
2016-05-09 12:23:20#幸せになる勇気 @hokeypokey2012 これってつまり、「他者を使って自分の価値を根拠付けようとしている」ってことだ。これだと、他者にとって価値ある行動ができなければ、自身の価値もないってことになる。
2016-05-09 12:25:39#幸せになる勇気 @hokeypokey2012 そうじゃないでしょ。他者にとって貢献できようとできなかろうと、自身にとっての価値は揺らぐはずがない。揺らいでいいわけがないよ。
2016-05-09 12:26:47#幸せになる勇気 @hokeypokey2012 「貢献」つまり「役に立つ」ということで、それは利用や損得に繋がってしまう。そういうもんじゃないよ。誰かにとってどれほど役に立てなかろうと、それで存在意義が失われるなんてことはない。
2016-05-09 12:28:51#幸せになる勇気 @hokeypokey2012 「他者貢献」という考え方では幸せになれない。幸せになるためには、(他者を自己の拡張として)自己に対するのと同じように接することだ。ここが重要だ。
2016-05-09 12:35:53#幸せになる勇気 @hokeypokey2012 まず自分が単独で幸せになるように自己を導く。そして幸せになれたら、自己と同じように他者に接することで幸せに導く。そうでないとおかしい。
2016-05-09 12:53:32#幸せになる勇気 @hokeypokey2012 自己に対する姿勢と、他者に対する姿勢が異なるのはおかしい。異なっていいのであれば、「自分の人生は自分で決める」ということを、他者にも認める必要がなくなってしまう。
2016-05-09 12:58:48#幸せになる勇気 @hokeypokey2012 他者も同じように「自分の人生を自分で決める」のが正当だ。そのように接し、自分で決めるように導かなければ幸せにはならない。
2016-05-09 13:00:01#幸せになる勇気 @hokeypokey2012 これは単に「他者の役に立つ」ということではなく、「人間が幸せになる方法(考え方)」で生きるということだ。貢献できるとか役に立ったとか関係ない。
2016-05-09 13:01:50#幸せになる勇気 @hokeypokey2012 ようやくすっきりできた。これが違和感だったか。アドラー心理学は素晴らしいと思うけど、今の使われ方は現代的には古いか、あるいは中途半端なんじゃないだろうか。まだ完成されてないと言ってもいいかな。
2016-05-09 13:03:59#幸せになる勇気 @hokeypokey2012 「部分的に利用されちゃう」ってのも、仕組みとしてルール化されていないというか、概念と概念の関係が不明瞭で、単独でも成立するように見えちゃうからじゃないかと思う。
2016-05-09 13:19:36#幸せになる勇気 @hokeypokey2012 「幸せになるために欠かせない条件(ルール)」から、何がどれくらい違っているかギャップを見れば、分析のモノサシになると思う。
2016-05-09 13:22:57