正方形、Instagram

まとめました。
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201508

浦野玄馬 @10aka_

8/5、藝大大学会館「身体のトポロジー」。 利休の茶室に想を得た1820mm立方の7つの部屋それぞれに7人(組)の作品。 また、それとは別に壁面には茶室と同じ素材の正方形のパネルを支持体にした各作家による作品があり、正方形が展示を貫く一つのフォーマットとなっている。(→)

2015-08-10 22:23:03
浦野玄馬 @10aka_

本展が採用する正方形・立方体フォーマットの中性性・等方性は、建築空間としての物理的スケールを希薄にし、主人と客人、作品と鑑賞者との関係性という別次元の構造から成る空間を構成する。 だからこそそこで問題に成るのは距離重視のユークリッド幾何学ではなく、接続関係に注目する位相幾何学だ。

2015-08-10 22:24:26
浦野玄馬 @10aka_

「その時の空間は、もはや寸法を持たない全く別レイヤーの輪郭を持つのではないだろうか?」 「1820×1820×1820mmの空間は、その身体によってどこまで拡張、あるいは縮小することができるだろう。」 m.facebook.com/events/1129627…

2015-08-10 22:25:00
浦野玄馬 @10aka_

躙り口を模した狭い入口に強制的に屈めさせられる鑑賞者は、その空間の(翻って自身の身体の)スケールを、天井との背比べによってではなく、一度屈折した膝を頭上に気を払いつつ再び伸展させる運動の過程として、まさに体験するのであり、物理的スケールは主客の関係性の内に昇華される。(→)

2015-08-10 22:29:09
浦野玄馬 @10aka_

しかしその対称空間はともすれば、人間の方のどうしようもない非対称性を浮き彫りにするはずだ。当然人間はサイコロではない。重力に従って上下の、進行方向に合わせて前後の、内臓の配置の都合から左右の別が存在する。(→)

2015-08-10 22:30:25
浦野玄馬 @10aka_

そもそもなぜ立方体内で展示が、展示物と鑑賞者という二者の関係が成立し得るのかと問うて、それは単純に人間が上下方向に長細い(立方的に非対称)からだ。 「起きて半畳寝て一畳」というならば、差引き半畳分、平方して床面の3/4、立方して空間の6/8が展示物のために確保されるからだ。(→)

2015-08-10 22:33:26
浦野玄馬 @10aka_

すると茶室の立方体とは、ただ距離の内に消え去るべき消極的存在に留まらず、むしろ鑑賞者-展示物系によって充填されるべき空欄として、鑑賞者の2/8と展示物の6/8とを抱き合わせるパッケージとして、積極的な役割を担っているのではないか。

2015-08-10 22:34:07

201510

浦野玄馬 @10aka_

机上の紙面の手書き文字にはペン軸をつたい紙の繊維の隙間へ流れ落ちるインクの重力を感じるし、PCの画面上の文字にもそのディスプレイの傾斜に沿った重力の残滓が辛うじて残るけれど、机上に平置きされたスマートフォンやタブレットの文字は全くの根無し草で、いつも私の意識の上を滑り抜けていく。

2015-10-12 21:49:10
浦野玄馬 @10aka_

平置きされたキーボードから文字を拾って、垂直的なディスプレイのスクロールの上に流し込んでいく、というのが私の中で納得のいくあり方な。

2015-10-12 21:53:56
浦野玄馬 @10aka_

やはり私はケータイで小説は書かれへんわ。。(書かない)。

2015-10-12 21:56:13
浦野玄馬 @10aka_

重力といえば、私がInstagramの正方形が好きなのは多分、その無重力性、等方性ゆえなのです。そこには横長の地を掴み地平線に沿って滑り落ちていくような重力も、縦長の上方に伸びていくような反重力も存在しない。

2015-10-12 22:08:58
浦野玄馬 @10aka_

あの写真ならば水平に、机の上にばらばら広げて、机の四辺を囲む人々がてんで勝手に取っ替え引っ替え眺めていられる。

2015-10-12 22:12:55
浦野玄馬 @10aka_

この感じ、今日聞いたシンポ「時差の中の榎倉康二」(「Reflection:返礼―榎倉康二へ」関連企画)での話とも関係あるのかもしれない。 たしか大日方欣一氏による論考で、榎倉の6×6判の写真作品を「解体」的写真として考察しているらしい。確かに正方形の写真は特有の遠心性をもつ。

2015-10-12 22:28:56

201605

浦野玄馬 @10aka_

なろうことならTwitterでもInstagram に写真を上げるようにつぶやけたら、といつも思う。正方形の言葉。

2016-05-04 21:30:58
浦野玄馬 @10aka_

正方形とは何か。長さの異なる隣り合う二辺の一方が他方に常に「余り」という外部(1 : 1+nのn)を参照し続ける長方形とは全く異なる自己完結的母型こそが正方形である。そこではスケールは霧散し、つまるところそれはひとつの針穴である。

2016-05-04 22:03:15
浦野玄馬 @10aka_

私がInstagramの正方形に見る歓び、それは言うなれば「点景」、しかし幾ばくかの広がりの片隅に添えるパセリのようなそれではない、添景ならざる点景、自立的で、無責任で、あたかも針先のような、「刺す」かのような凝集、ひとつの絶句だ。

2016-05-04 22:12:53
浦野玄馬 @10aka_

前にも言ったとおり、『斜陽』冒頭、お母さまの「あ」のその一点において既に全ては結末しているのであり、その他の御託の全ては一言で、失敗なのだ。

2016-05-04 22:18:36
浦野玄馬 @10aka_

それでも必要悪として言葉を尽くすとき、多分私は底辺を広げるために同時に高さ方向にも煉瓦を積み上げ、結果として面積が拡がった正方形が最終的に1:1へと精算消尽していくようにやりくりするのである。

2016-05-04 22:22:55
浦野玄馬 @10aka_

それゆえこの正方形にして針先は、複数の文脈を一息にぷつりと貫く性質を持つ。それは転移の条件なのだ。

2016-05-04 22:25:42
浦野玄馬 @10aka_

例えば不忍池《身体を失いながら卵(産卵されたうち1つは一方向にしか進むことを得意としない奇形)を拾う方法》を縁取る2m×2m×2mの立方体もまた、そのような世界への転移の装置である(因みにそんな不忍池氏を私が初めて知ったのは同氏のInstagramページでのことだった)。

2016-05-04 22:33:22
浦野玄馬 @10aka_

不忍池《身体を失いながら卵(産卵されたうち1つは一方向にしか進むことを得意としない奇形)を拾う方法》(2015) www2.kb2-unet.ocn.ne.jp/ask/2016/furuk…

2016-05-04 22:35:17
浦野玄馬 @10aka_

私はいつだってひとつのことしか言っていない。

2016-05-06 12:52:29
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