なぜ神道無念流は突きや胴技を使わなかったか
- inuchochin
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幕末〜明治頃に書かれた神道無念流の聞書伝書が面白い。神道無念流が長竹刀を否定する理由や突き、胴を使わないどころか否定している理由も書かれてる。(なお伝統派神道無念流とでも言うべき戸ヶ崎系の伝書で今の古武道協会の神道無念流には当てはまらない話と思われます)
2016-05-16 12:34:28(神道無念流に突きと胴技が無い理由)突きと胴は決して真剣では無い技である。証拠として沼津小野順造という人(戸賀崎先生免許の人)が他流の人に「神道無念流はなぜ突きと胴が無いのだ?」と聞かれて「突きと胴は簡単で小手面は甚だ難しいので、小手と面を修行するのだ」と答えた。(続く
2016-05-16 12:38:56この小野某が言っている「面は難しいから面を修行する」という理論は他流や現代剣道でも言われてる話で、幕末からかなり広く一般化されていたんたまな
2016-05-17 02:23:33戸賀崎先生(神道無念流家元)がこれを聞き及び、小野氏を呼びだして言うには「突と胴技は真剣では出来ない。胴と突は学んでも無駄であるので当流では学ばないと答えるべきであったぞ。その証拠に徳川の世になり赤穂義士四十七士が吉良邸に押し入った際、敵味方皆素肌であったが(続く
2016-05-16 12:41:49敵味方、唯一人も突かれたものもなく、胴を切られたものもいない。 また浪士が桜田門で井伊候を討った際の話だ。井伊家の日下部某というもの千葉周作の高弟で突胴を得意とし十八・九歳ですでに有名な人だった。浪士も敵ながらあっぱれな腕だ、と言って討ち取ったほどの抜群の働きをした。(続く
2016-05-16 12:43:08浪士もこの日下部某に討ちとられた人、切られた人がいるが一人も突かれた者はなく、胴を切られた者もいない。 これは最近の話で知っているものも多いであろう。つまり突きと胴は真剣勝負ではありえない証拠である。」 と叱った。小野氏は失言を悔いて心得違を謝罪したそうだ。(続く
2016-05-16 12:44:02また別の話であるが、私の先生が語るに桜田門の際の浪士一人が肥後候に預けられている時に語った襲撃の話によると「私もいよいよ助からない。ここは胴を切り討ち死にしてやる」と思い、敵が上段に構えて打ち込んで来た際に「ここだ!」と思い胴を切るつもりで打ったところ、(続く
2016-05-16 12:44:38(胴ではなく)敵の小手を切り落とし、頭に切りつけ勝った。実戦ではどれだけ必死に斬り込んでも胴など切れるものではない、また刀の柄を長くすると柄で自分の胸を突いて息が苦しくなることがあるので柄は長くしてはいけない、と語ったそうだ。(終わり
2016-05-16 12:45:30@tetu162000 いまの神道無念流は根岸師範、中山博道師範と形や組太刀を工夫されて技を増やしたようで、岡田十松や戸ヶ崎熊太郎の神道無念流とはかなり変わってるようです。書籍を見ると関東派と名乗られていたようですし。
2016-05-16 22:00:49ウィキペディアを見ると神道無念流が胴を着けたのは斎藤歓之助が千葉に負けたから、とあったけどそうすると本当に幕末まで、しかも斎藤系以外の大多数の神道無念流は胴を着けなかったことに。ただ胴、突きを使わない戸ヶ崎系も明治後半には胴を着けてるんだけど。
2016-05-17 02:17:09「胴と突きは実戦では使えないから当流には無い」と言っていた戸ヶ崎系神道無念流でも明治三十年頃には胴を着けて基本の中に胴や突きも含めて稽古してる師範がいたし、武徳会成立後はさらに武徳会に近づいた稽古になっていったみたい。家元の戸ヶ崎家の道場も大正頃には閉じたみたいだし仕方ないのかね
2016-05-17 15:28:50この明治期から大正にかけて戸ヶ崎系神道無念流の特徴が消えて武徳会スタイルに近づいていくのも流派が消えて剣道が出来上がる歴史の一つなんだろうなあ。
2016-05-17 15:31:04