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石部統久 @mototchen
芸道における型・かた について - Togetterまとめ togetter.com/li/519150 @togetter_jpさんから
ツイートまとめ 芸道における型・かた について 芸道における型・かた についてまとめました。 1430 pv 15
みんみんぜみ @inuchochin
『型』と『形』、今の武道武術の場合は「鋳型では無く作用を持った生きた形である」などの理由で『形』が使われてる場合を見るけど、大正頃の古流師範の剣道書には「型は基本であり原理原則である。型には有形無形の勝敗の原理があり、それがないものは型にならず形に終わる」と型の方を使っている。
みんみんぜみ @inuchochin
『型』と『形』に関して、カタに対する態度・考え方はどちらの字を使うか、伝授に時間をかけるかどうか、等々の問題とも関係があるような気がする。ある程度覚えたらどんどん教えて短期間で流儀のカタは教えてしまう流派やその逆の流派が、カタの位置づけを同じものと考えているとは思えないし。
みんみんぜみ @inuchochin
『カタは全員が習う基本で、極意は稽古して自得するもので具体的なカタとして極意のカタは無い』流派と、『修行の進み具合に合わせて順序立てて学んでいき、極意のカタも存在する。』流派、二つに分けられるわけじゃないけど、流派によってどっちよりか違う印象。
武術屋@元・東京‘古流'武術研究会 @bujutsu_ken
うーん、うーん。 よその流派の演武を見ていても、型の意味を巧妙に隠しているので中々理合いが分からない。 まあ当たり前なのですけれど。
武術屋@元・東京‘古流'武術研究会 @bujutsu_ken
うちの型にしたって、「型」の中にある「技」が見えにくいようになっていて、海外の門弟の方なんかはよく「この技の意味が全然わからない」と言っています。 私が型をやると、よく宗家に「そこまで大サービスで見せるな」って言われてしまいます。 どうしても身に着けた「技」を見せたくなるのです。
武術屋@元・東京‘古流'武術研究会 @bujutsu_ken
「型」を見せる演武においては「型」しか見せちゃダメなんです。 「技」は型の動きに内包された枝葉の技術。 「型」はひとつですが、「技」はひとつの型の中にいくつもの種類が含まれ、新たに生み出され続けていきます。 「型」通りのやり方では実際に通じない、という時の具体的な使い方が「技」
武術屋@元・東京‘古流'武術研究会 @bujutsu_ken
型通りにできるよう修行します。 型通りにするためには様々な「技」を練らねばなりません。 でもひとつの「技」に片寄りすぎると「型」から外れます。 「型」から外れてしまった「技」は柔軟性の無い物となり、万能性を喪います。
武術屋@元・東京‘古流'武術研究会 @bujutsu_ken
例えば「潜り投げ」の型があるとします。 型通りにやるのは難しいので、簡単にできる崩し方を盛り込んだり、体の動きをシンプルなものにして、力の強い相手を投げられるように「技」として身に着けました。 そしたら、海外の巨漢を相手にしたとき、味わったこともないほど強い力で押えこまれました。
武術屋@元・東京‘古流'武術研究会 @bujutsu_ken
そこで、工夫してさらに強い力に対する「技」を研鑽したら、巨漢を投げ飛ばせるようになりました。 次に、大変体の柔らかい非力な女性を相手にしたとき、今度はバランスと柔軟性がありすぎて、全然崩すことができなくなりました。どうしても改善できません。 これが「技の片寄り」です。
武術屋@元・東京‘古流'武術研究会 @bujutsu_ken
力の強い相手に技をかけてやろう、と思うばかりに、力の無い相手に対する技がおろそかになってしまったのです。 治すために、それまでの技を封印して、型に戻ります。 やっぱり難しい。だから、とにかく滑らかに動くことだけを意識して、ソフトタッチな技を追求することにしました。
武術屋@元・東京‘古流'武術研究会 @bujutsu_ken
そうしたら、ある日その女性が何の力も込めない自分の技でふわりと浮きました。 でも、その技では巨漢は投げられません。反対に、以前の技では女性を投げられません。 散々悩んで工夫していたら、いつの間にか巨漢と女性を同じ感覚で投げ飛ばす事が出来るようになりました。
武術屋@元・東京‘古流'武術研究会 @bujutsu_ken
なんだ、できたじゃないか。そう思い、自分の姿をビデオで確認してみると、そこに映っていたのは「型」にすごく近い動きをする自分です。 様々な相手。色んなやり方、考え方。思いつく限りの技術を多方向に追及して、さらにその多方向の技を全て融合したど真ん中にあるもの。 それが「型」なのです。
武術屋@元・東京‘古流'武術研究会 @bujutsu_ken
先程のは例え話です。 私はまだ片寄った「技」をいくつか身に着けただけで、そもそもひとつの型にたいする「技」の引出しが少なすぎます。 ひとつひとつの「型」から、それぞれに沢山の「技」を身に着け、最後にはそれをひとまとめにして「型」に還る。 そうなって初めて、「型通り」になるのです。
武術屋@元・東京‘古流'武術研究会 @bujutsu_ken
「型」は完成図。 「型」を体現するには、不完全な「技」を塵芥のように積み重ね、それをドロドロに溶かしてひとまとめにしなければなりません。 そして、その時にできた「型」には、まったく新しい「技」が含まれている場合もあります。 その新しい「技」は新要素として「型」をさらに洗練します。
武術屋@元・東京‘古流'武術研究会 @bujutsu_ken
そうして、長い年月と多くの人の努力、個性を経て、「型」は形を変えずに中身をより濃く、より深く、より洗練されたものへと変えていくのです。 中身があふれたら、器である「型」の方が変わる事もあるでしょう。 「型」の尊さとは、連綿と受け継がれ、磨かれてきたその歴史にあります。
武術屋@元・東京‘古流'武術研究会 @bujutsu_ken
ただ「型」を守るだけでは、いずれ「型」は形骸化し、死んでしまいます。 より高みをめざし、強さを求め、時に頓珍漢な方向に走ってしまったとしても、「技」の練磨をするのです。 それでも「型」を忘れず、「技」におぼれる事無く。 そうして、型を未来に向けてより洗練していくのが大事なのです。
武術屋@元・東京‘古流'武術研究会 @bujutsu_ken
私たちは伝統を畏れ、敬わねばなりません。 ですが、同時に伝統を恐れず、新しい事を挑まねばなりません。 でなければ「型」は単なる「動作」として、その「中身」を喪ってしまいます。 「型」をただ守るのではなく、育てていく。 それが伝統武術を学ぶ者の目指すべき所だ、と私は思うのです。

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