
鯨供養碑と仔鯨殺しに見る日本人のクジラ観の多様性
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kamekujiraneko
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もんもんさん(@hydehydesan)による解説
主なテキストは『捕鯨Ⅰ/Ⅱ』(山下渉登著、法政大学出版局)、『くじら取りの系譜―概説日本捕鯨史』(中園成生著、長崎新聞新書)

202p~205pに掛けて鯨の胎児の埋葬(羽刺の羽織(九州)や子供の着物(土佐)に包んで埋葬したり)や鯨供養(供養塔作ったり戒名(しかも院殿 大居士)付けたり)に触れているが、墓や供養塔に関しては中園氏の指摘に興味深いものがある。
2015-09-22 15:33:47
「建立の直接的な動機には、一年に何頭の鯨を取ったとか、通算捕獲数が何頭に達したなどの記念的意味を込めて建立した例もあるが、不漁に臨んで過去の捕獲に対する反省心から建立による供養をはかった例もあるようである。」
2015-09-22 15:34:23
「元禄年間の集中建立の時期は、第三章で触れたように、明暦~寛文年間の突然の豊漁期から一転して不漁になった時期にあたっている。」
2015-09-22 15:34:48
「また『鯨の墓』による、全国的にみた鯨供養塔の建立は一七世紀六基、一八世紀八基、一九世紀二二基、二〇世紀九基、不明九基で、建立のピークは網掛突取捕鯨法が発展していた一八世紀でなく一九世紀であり、とくに衰退期の一九世紀後半に一二基も建立されている。」
2015-09-22 15:35:06
例えば土佐では洗米と清酒を供えて祀り七日間番人をつけたとか、胎児は殊更意識して葬っているが、それは「生まれる事さえ出来なかった」というある種の哀れみandそれ故の罪悪感から来るものだろうし、
2015-09-22 15:36:59
五島・福江島の黒瀬では鯨が取れる度に恵比寿様の石像を造って祀ったり(くじら取りの系譜Ⅰ159p)他方では寄鯨や流鯨の墓も有り「大きな恵みに感謝して鯨の墓や碑が建てられた」(捕鯨Ⅰ 204p)一面も勿論有るだろうが、
2015-09-22 15:37:29
個人的には豊漁期に多く建立するでは無く、むしろ「不漁に臨んで供養した」と言うのは、「恵みに感謝して」よりよっぽど人間らしい話しで、逆に好感が持てる様に思う。
2015-09-22 15:37:47
これは太地に限らず、洋の東西関係無く産業化された古式捕鯨においては共通事項だった<子持ちを積極的に仕留めてた ていうかこんなのある程度捕鯨勉強したのなら常識では?
2015-10-03 02:15:05
例えば反捕鯨・捕鯨クラスタ(そんなクラスタ有るのか知らんが)の中ではある意味有名な三浦浄心「慶長見聞集」における「鯨子を深く思ふ魚也。故に親をばつかずして、子をつきとめいかしをく」
2015-10-03 02:15:36
鯨組には「山見番」と言って鯨の来遊を見張る役が有るがそこでは「鯨は泳ぎ方や潮の噴き方で種類がわかるという。したがって、合図も鯨の種類によって異なり、やってくる方向や『子連れかどうか』(『』引用者強調)なども同時に知らせた」(捕鯨Ⅰ 163p)
2015-10-03 02:16:30
生島組の羽指踊では「掛け添え掛け添え旦那さま組よナアナア、親も掛け添え子も添えて」(180p) 同じく生島組の羽指歌では「さても見事な御組の網よ、勢美の子持ちも寄りかかる、イヨイヨイヨ。今宵祝ひて明日勢美掛けよ、これもいわいの御利生かな、イヨイヨイヨイヨ」(194p)
2015-10-03 02:17:50
太地においては「産楽捕鯨突 定」という子持ち鯨の捕獲法に関する定書が残っていて、「親子のうち子に銛を一本突いたら、それ以上子に突かず親を突く」や「親を先に突いた時は、次に子を突くがその時は二本迄で三本目を突いてはならない(突いたら罰金)」
2015-10-03 02:18:29
「それにより子を突き殺して親を捕り逃がしたらその羽指は当捕鯨期間中仕事から外される」などの細かい定めが有ったらしい(195p)
2015-10-03 02:18:48
太地の絵図を紹介、解説しているサイトですが親子鯨捕ってたと普通に書いてますね。 cypress.ne.jp/taiji/ezu2.html
2015-10-03 02:19:22
「本朝食鑑」では「母鯨は身をもって子をかばい、たいへん愛借するので、まず先に子鯨に銛を付け、半死状態にしておいて、母鯨を捕獲してから子鯨を捕るのが、鯨捕りの『定法』だとしている」との事で、
2015-10-03 02:19:55
益富組の捕鯨書「勇魚取繪詞」には「鯨は子を思う情が深く、中でもザトウが一番である。ザトウ鯨の子持ちが網にかかったら、まず子に万銛を一本突いて、銛網で子鯨を確保しておく。そうしておけば、たとえ親鯨は網をのがれていってもまた必ずもどってくる」と有るそうな(196p)
2015-10-03 02:20:17
子が生きている限りは何度でも戻ってきて助けようとしたり、息が弱ってくると雌が胸びれに子をのせて憐れみいたわったりするそうな。 (なお雄はそうなったらもう助からんやろとばかりに逃げていく模様)
2015-10-03 02:20:52
「西海鯨鯢記」の著者である谷村友三によると、親子鯨がともに倒れるときは漁夫も「悲嘆スル」そうな。 これもまた捕鯨の業ある側面だろう。
2015-10-03 02:21:12
業と言えば、「羽指の夢に親子鯨が現れて命乞いをするが無視して捕った結果悲劇的な結末を迎える」因縁話が結構有るそうな。 山口県長門市青海島通浦では、鯨組の親方の夢に現れた挟み子鯨の願いを無視して翌日親子三頭とも捕ったため、親方の家は途絶えた。
2015-10-03 02:21:50
佐賀県の呼子でも同様に親子鯨が夢に現れ、翌日子鯨だけを捕り家に帰ったら銛が我が子の胸に刺さって死んでいた。 などの話が有るらしい(198p)
2015-10-03 02:22:11
供養碑を建てると言うのもこの一種の業から来ているのだろうが、これに関しては中園氏の指摘に興味深い物が有る。 twitter.com/hydehydesan/st… twitter.com/hydehydesan/st… twitter.com/hydehydesan/st…
2015-10-03 02:24:17
子持ち鯨ばっかり殺していると「今より後の世、鯨たえ果ぬべし」と言った三浦浄心や、一産一子の鯨類において子鯨ばかり捕っていたら年々減っていくのは当然とした「西海鯨鯢記」の著者谷村友三、かなり慧眼だったし、よっぽど自然の事考えていたのでは?
2015-10-03 02:36:08
鯨の供養塔に関しては、中園成生氏によれば建立は古式捕鯨の豊漁期よりも、むしろ衰退期になってからの方が多いらしく「不漁に臨んで過去の捕獲に対する反省心から建立による供養をはかった例も有る」ようで有る。 twitter.com/hydehydesan/st…
2016-05-11 00:29:16