鯨供養碑と仔鯨殺しに見る日本人のクジラ観の多様性

今年4月、和歌山県が申請した「熊野灘の捕鯨文化」を文化庁が「日本遺産」に認定したけど、史実をたどると日本人のクジラ観ってそんな一面的なもんじゃないことがわかる。
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もんもん @hydehydesan

まぁ前も言いましたが鯨の供養塔に関しては「大きな恵みに感謝して鯨の墓や碑が建てられた」一面も有るのですが、それよりもむしろ「不漁に臨んで供養した」の方がよっぽど人間らしいとは思いますがね。 twitter.com/hydehydesan/st…

2016-05-11 00:32:00
もんもん @hydehydesan

個人的には豊漁期に多く建立するでは無く、むしろ「不漁に臨んで供養した」と言うのは、「恵みに感謝して」よりよっぽど人間らしい話しで、逆に好感が持てる様に思う。

2015-09-22 15:37:47
カメクジラネコ @kamekujiraneko

他に古式捕鯨地以外の寄り鯨(利用/未利用)の供養塔が各地にあるんだよね。鯨組の豊漁の謝礼あるいは不漁期の回復祈念はいずれもただの願掛けにすぎず、資源管理への具体的フィードバックになってない点が重要。「供養すれば来るかも」。クジラは「獲れば大金が稼げる〝余禄〟」の位置づけだから・・

2016-05-11 18:35:51

月光猫さん(@t_geckocat)の解説
主なテキストは『寄り鯨の処置をめぐって : 動植物の供養』(松崎憲三著、成城大学)

月光猫 @t_geckocat

@Takao5656p 自分で調べればと言いたいけど、例えば大分県臼杵市は食べる習慣のある地域と食べない習慣の地位域が混在。大泊や大浜字松ヶ鼻では寄り鯨も食べもせず、 殺しもせず。愛媛県沿岸では積極的な捕鯨は行われなかった。食べたのは寄り鯨が流れ着いた時だけ。など切りがない。

2014-04-04 05:24:00
月光猫 @t_geckocat

@Takao5656p 全国的に捕鯨地以外の湾岸地域では寄り鯨が漂着した時しか食さなかった。食さない地域もあった。内陸では食べる習慣の無い地域もあった。ソースは?全国の鯨の供養碑などを調べると地域と流れ鯨との関わりが分かるそうだ。一例がseijo.ac.jp/graduate/gslit…

2014-04-04 05:34:46
月光猫 @t_geckocat

@Takao5656p 「寄り鯨への実際の処置となると地域によって微妙に異なっていた。寄り鯨を逃がす手助けをしたり、決して肉を食べないとする地域がある一方で、海からの贈り物として入札したり肉を得て売り、大金を入手するという地位域があった。」とあります。

2014-04-04 05:42:36
月光猫 @t_geckocat

@Takao5656p サービスで!こんな例もあるよ。 宮城県気仙沼市唐桑町の例。「ある日の嵐の時、白い鯨二頭が、沈没しか かった船を両脇から支えるようにして岸に運んだという。それ以来、唐桑町の人は先祖代々鯨を食べない

2014-04-04 09:08:58
月光猫 @t_geckocat

@Takao5656p 「クジラが沖を通ると豊漁になるという認識は日本列島の各地で見られる。このためクジラを「エビス様」つまり豊穣の神として祭るところは多い。静岡県の御前崎のように、これを理由に鯨肉食をしなかった地方もある」と伊豆川浅吉氏の著書にもある。

2014-04-04 17:17:39
月光猫 @t_geckocat

@Takao5656p マイナーな例外的な話ではないです。takaoさんが言うような都市圏でも、江戸時代前期までは鯨肉は庶民には手が出ないほど高かった。鯛より高かった。地方で年にたまに上がる寄り鯨も役人が管理し値段決めていて、村人全員が食べられたわけではないと言う記述もある。

2014-04-04 17:39:33

茶坊主さん(@cha_bouz)による『思想・文化問題としての捕鯨・イルカ漁問題』〈駒澤大学・石川公彌子氏(‏@ishikawakumiko)〉の検証

石川公彌(くみもん) @ishikawakumiko

【告知】GEPRに捕鯨・イルカ漁に関する拙稿が掲載されました。日本と欧米の死生観、動物観、宗教観を中心に文化問題として論じたものです。ご意見、ご感想をお寄せいただけると幸いです→石川公彌子「思想・文化問題としての捕鯨・イルカ漁問題」 gepr.org/ja/contents/20…

2014-02-17 17:28:44
茶坊主 @cha_bouz

石川公彌子先生(@ishikawakumiko)の論考「思想・文化問題としての捕鯨・イルカ漁問題」についてまとまりのない感想メモ。

2014-02-17 22:39:39
茶坊主 @cha_bouz

①まず、「欧米諸国でも捕鯨はさかん…乱獲・資源壊滅」と言う点。これは「19世紀の欧米」と題されていることから、近代捕鯨を指すものと解される。が、16世紀末から始まる近代捕鯨の歴史を表す記述としてやや乱暴。欧州近代捕鯨は少なくとも11世紀には遡れるバスク捕鯨に直結している。

2014-02-17 22:40:09
茶坊主 @cha_bouz

② 又、米近代捕鯨はメイフラワー号自体が捕鯨船だったことに加え、当然、それ以前から先住民は捕鯨をおこなっており、入植した白人が半強制的に捕鯨乗組員に使うことになった。欧米とも「伝統」という点では古い(近代捕鯨以前に触れれば紀元前3千年ころから北欧では定期的な捕鯨が存在推測

2014-02-17 22:40:42
茶坊主 @cha_bouz

③米近代捕鯨は確かに鯨を特別視しなかったが、捕鯨産業自体は極めてアメリカ的な産業として称賛されてきた。

2014-02-17 22:41:08
茶坊主 @cha_bouz

④次に、「日本列島では縄文時代から…食糧」という点。既述したように、食料として利用してきたのは日本だけではない。また、遺跡について言えば、朝鮮半島からも同様に出土している。

2014-02-17 22:41:28
茶坊主 @cha_bouz

⑤ 文献については挙げられている『吾妻鏡』で鯨油採取の記述については、『四条流』に示される食材としての鯨より日本でも鯨油の方が中心だった点。加えて、鯨肉を利用したために、欧米が鯨油で採算がとれず止めた一方で日本は乱獲を継続できてしまった面がある。

2014-02-17 22:41:46
茶坊主 @cha_bouz

⑥そして、「宗教上、動物の死と向き合った」で挙げられている折口のエビス神としての鯨について。鯨を信仰の対象にすることからは二つの帰結、鯨を恵みとして鯨自体を頂くことと鯨は他の魚を呼び込んでくれるので捕獲タブ―となること

2014-02-17 22:42:04
茶坊主 @cha_bouz

⑦ さらに、鯨供養について言及されているが、この様な擬人化による供養が鯨の濫獲を自制する知恵より「供養したからとっていい」と甘えにつながったのではとの疑問。

2014-02-17 22:42:41
茶坊主 @cha_bouz

⑧最後に、全体として「日本の捕鯨」とひとくくりに記述しているが、“「日本には捕鯨文化がある」と「捕鯨は日本の文化である」との違いは大きい”(関口雄祐)という視点から、疑問を感じる

2014-02-17 22:43:09
茶坊主 @cha_bouz

⑨確かに、日本にはに日本は古くから捕鯨があり、食文化もある。だが、「日本の捕鯨」とひとくくりにできるのか。食に関して言えば、とることがタブーとされ・食べることがタブ―とされる地域もある

2014-02-17 22:43:27
茶坊主 @cha_bouz

⑩ 又、鯨肉食自体が明治以降に政治的に進められてきた、「文化の多様性・多元性」を壊した結果が、実は日本の捕鯨・鯨肉食だという面は否定できないのでは。さらには、明治以降の日本の捕鯨によって朝鮮のコククジラが絶滅に近い状態に追いやられていっことも無視できない。

2014-02-17 22:43:59
茶坊主 @cha_bouz

⑪ 「欧米と日本」という観点から捕鯨を論じることが、本当に豊かな捕鯨・鯨文化理解につながるのか疑問。シーシェパードが欧米の反捕鯨を代表させるのかという点も含めて。(以上

2014-02-17 22:46:12
茶坊主 @cha_bouz

関口雄祐著『イルカを食べちゃだめですか?』(光文社新書)より引用。 鯨肉食普及の政治性や鯨供養の負の側面に関しては渡邊 洋之著『捕鯨問題の歴史社会学』(東信堂)参照、捕鯨の歴史については森田勝昭著『鯨と捕鯨の文化史』(名古屋大出版)を主に参照。

2014-02-17 22:50:05

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