ある武術の奉納額について
- inuchochin
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帰宅。相心流の奉納額の写真だけど、撮影の許可は貰ったけど、ネットにupしていいのかの許可はもらってなかった。どうしたものかなあ。一応、八十八ヶ所に入る古刹のことだし、慎重になった方がいいか。あとで写真を見ながら概要をツイートすることにします。
2016-05-21 22:39:38本当は赤外線とか使うけど、簡単にできるのはちゃんとしたデジカメで全体だけでなく部分的に分けて撮って、画像ソフトでいじるくらいですね@SagamiNoriaki
2016-05-21 21:01:02@baritsu 二十年前は下からみたら字はなんとなく読めたのですが、暗かったのと角度の問題か、全然字がみえませんでした。一時間ほどしたらちょこちょこアップします。棒とか鎌とか貼り付けてあったりしますわ
2016-05-21 21:20:36と、なんか寝てた。20年ぶりにお寺にいったものだから、駐車場が寺のすぐ下にあるの忘れてて、階段下からトータルで五百六十段くらい登ってしまった。すぐ下の駐車場のこと思い出したの半分以上登ってからだものなあ…。
2016-05-22 03:00:20それで相心流の奉納額についての報告。まずお寺の人に三重の塔に奉納額がかかっているかの確認。写真みた限りはないみたいだし、すれ違った人に聞いても気がついてる人もいない。もしかして…と思ったら案の定「外した」とのこと。
2016-05-22 03:03:04続き)なんでも三重の塔が文化財だかなんだかになるにあたって「塔と関係ないものは外して」といわれて奉納額は今は本堂?の中にあるとのこと。塔までまた登らないですむので、むしろ助かると思ったが、なんだか少し納得がいかない。塔が来たから奉納したものなのに…まあ明治のだからなあ。
2016-05-22 03:06:05続き)それでまあ、奉納額、金網で近づけないようにしているけどお堂にあるとのことで、写真をとる許可をいただいて早速いってみる。確かに奉納額はあった。記憶にあるよりも大きく、木刀だの棒だのが貼り付けてある…が、文字がまったく読めない。
2016-05-22 03:07:45続き)距離と角度の問題なのか、暗さの問題なのか。それは解らない。ただ、とにかく武器を貼り付けてない部分が下半分にあって、恐らくはそこらに何か書いてるはずなのだが、見えない。書いてないようにすら思える。
2016-05-22 03:09:38続き)書いてる内容についてのメモや写真などはないのか、とお寺の人に尋ねたのだが、そういうのはない、とのこと。まあ仕方ないなあ。近所の郷土史家らしい人が知ってるかもだが、どうにも要領を得ない。さて困ったもんである。
2016-05-22 03:10:49続き)写真は撮影の許可もらったのでタブレットで金網越しに何枚か撮る。ただ、これネットにupしていいのかは聞いてなかった。問題はないと思うのだが、仮にも八十八ヶ所にも数え上げられる古刹であるし、聞いた方がご年配なので、許可いただいたとしてもネットは念頭にないだろうから、今回は断念。
2016-05-22 03:12:32続き)また何日か何ヶ月か、日をおいて改めて許可をいただくか、その郷土史家の方を紹介していただこうと思った。こちらから調べたのだが、郷土史家に詳しい古書店の方も知らなんだ。その書店さんの知る世代とは違うのかもしれない。
2016-05-22 03:15:26続き)額のサイズは目測で横幅三メートル弱。もっと短いかもしれない。縦に一メートルあるかな。左半分の構成は上から四尺の棒、同じサイズの棒に鎌ついたの。その下が細いに尺五寸くらいの棒。一番下が三尺の法杖?これ久武館さんの武道奉納で使用されたのと同じじゃないかな?
2016-05-22 03:22:29続き)二尺五寸くらいの棒のすぐ右横に小さな鎌があるけど、これはどうも鎖鎌だったらしい。鎖は塔にあった時に盗まれたと言われてた。他に薙刀もあったと思うが盗まれた、とのこと。確かに、何か以前にあったような記憶が、あるような…?
2016-05-22 03:24:20続き)続いて右半分。上から三尺?くらいの木刀が三本。ただし上二本はサイズがほぼ同じ太刀。形状がやや違うように見えなくもないが、これ野ざらしで歪んだだけかも…一番下の木刀が短いけど、だけど二尺五寸はありそうな…?その下が四尺の棒が二本。どういう組み合わせなのかよく解らない。
2016-05-22 03:28:22続き)改めて見ると、左半分の一番上には空白がある。恐らくここに薙刀があったものと思われる。しかし、棒にしろ刀にしろ、同じサイズのが幾つもあるのがよく解らん。奉納額もほかのものを知らんから断定できんが、こういうものなのだろうか?
2016-05-22 03:29:39まとめ)とりあえず奉納額が今も存在しているということに一安心。だけど在りし日の姿そのままに塔にあることを期待していた部分はあるので、そういう意味ではちょい残念。というか塔と関係ないから外せってのは乱暴だよね。塔がきたから奉納されたものなのに…これが江戸時代のものなら違っただろうか
2016-05-22 03:36:12まとめ2)とにかく確認しても文字が見えない。文字が書いてあるようにすら見えない。二十年とかで文字が消えたのか、そもそも前も墨跡だけが残って角度か何かの都合でそれが見えてただけなのかもしれないけど。記録とってる人はいる「かもしれない」ので、その人を探すしかなない。お寺にはないそうだ
2016-05-22 03:38:28まとめ3)相心流の事情とか奉納額を読めたらある程度解ったかもしれないのだが、その意味では残念。お寺の方もいつ頃に奉納されたのか、明治だとしか解らないご様子だった。そりゃああんまり興味ないからそんなもんだよね。
2016-05-22 03:40:57まとめ4)しかし薙刀に長柄の鎌、鎖鎌とか…色々とやってたのだな、この相心流…江戸柳生の流れを汲むという点では天心流兵法さんとかぶる。というか開祖の木村さんは宗矩公と十兵衛の弟子ということなので、時沢弥平の兄弟弟子だったんじゃね?
2016-05-22 03:44:00まとめ5)まあ同じく木村氏を祖とする柳生神影流はそんな併修は多くなかったようだし(未確認だけど)、ただの偶然なのだろう。相心流というのも天心流と名前の字面は似ているが…これも偶然だろうね。
2016-05-22 03:46:10文字だけのもあればたくさん物が付いてるのもありますね。あれは上達祈願だけでなく宣伝看板の要素もあるので @SagamiNoriaki
2016-05-22 03:59:43@baritsu なるほど。こういうのの写真など見たこともないし、詳細も知らないので、まったく無知な分野でした。ありがとうございます。
2016-05-22 04:03:04.@SagamiNoriaki 武術奉納額については数馬広二先生の「 碓氷峠・熊野神社の武術奉納額について」という論文があります。まぁ関東の一地方の例ですが… ci.nii.ac.jp/els/1100046271…
2016-05-22 05:58:50