10周年のSPコンテンツ!

秀吉の中国大返し、秀次処刑時の家康…「行軍」の距離や移動速度で分かる、戦国時代のあの事件

戦国時代の高名な合戦や事件の際、電話もネットもない時代の戦国武将はしょっちゅう「書状」を出しているので、1日ごとの位置関係が分かったりするそうです。意外な人が「疾風、神速」だったり、逆にハイスピードと宣伝されていたものがそうでもなかったり… 「兵士は歩くのが仕事」とも言われ、ナポレオンの強さも直接の戦闘力以上に移動の早さだったとか… あとから一般的な歴史書や小説を読むときはついつい忘れがちな「位置関係」「移動速度・距離」から見ると、歴史もまた楽しいね、という話です。
歴史 豊臣秀次 徳川家康 豊臣秀吉 軍事史 軍事 真田丸 近世史 戦国時代 中世史
111
アリノリ @a_ri_no_ri
秀次事件時の家康の10日移動スクショ。三島(静岡)〜石部(滋賀)間の高速移動が前提とした上での細川忠興の「(家康は秀吉より)十倍も二十倍も速く動ける〜」発言だったら、説得力割増し。iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-224… pic.twitter.com/G4NXWFnEgJ
拡大
永遠のなつやすみ @dandonban
「移動と空間の想像力」のテーマも興味深いなぁ~ 近年のグローバリズムはもとより、地方と中央、江戸時代の鎖国と明治の文明開化、奈良時代のシルクロードの東端である日本など、時空間の移動でもありそう(* ´ ▽ ` *)! >2RT
梅村直仙水 @777ume777
@dandonban ツイートを読んで連想したのが、本能寺の変〜山崎の戦いを『24』のチッコンチッコン仕立てにしたら面白そうだなあということ。必然的に秀吉がバウアーになっちゃうけど“キレやすい”のは共通点だからまあいいか(単なる『24』好き)。
永遠のなつやすみ @dandonban
作品的にも時間感覚はとても大事ですよね。当時の移動速度を当てはめてみるのは興味深いかも。以前、高野山に幽閉されていた豊臣秀次の切腹命令が発せられた大阪との距離的に間に合わないと書いていた先生がいましたが、そういうのはサスペンス物に出来るかも^^; @777ume777
梅村直仙水 @777ume777
@dandonban ああ、本能寺の変〜大坂夏の陣(長いなw)をタイムトラベラーバウアー(拘る拘るw)が服部半蔵(襲名制なので時空を誤魔化せる意)に扮して歴史調整をしているとか。超人の割りには下支え苦労人という点で似ているんやないかなとw
永遠のなつやすみ @dandonban
ちょっとタイムスクープハンターの匂いも感じます^^; @777ume777
梅村直仙水 @777ume777
@dandonban そりは頭の片隅にありました…orz でもあの番組はNHKらしからぬチープ感が大好きだったりします。
アリノリ @a_ri_no_ri
徳川家康は秀次事件の際に、江戸から京に向かう途中で知らせを受けた。そのとき急いで京へ移動する速さが…史料によっては、UMAで1日100kmを超えるときがあって、今回の「押し通す」もあながち嘘ではないかも。#真田丸 超高速徳川家康。
史魚(NX 326 OldFriend) @shi3yu2
豊臣秀次切腹に新説…秀吉は命じず、身の潔白訴え自ら切腹か 国学院大准教授が「太閤記」に疑義 - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/west/west_life… | 昔の人の移動速度は徒歩や馬でも、現代人の尺度では測れない。

・・・・切腹に至る詳しい事情を物語る同時代の史料はないが、儒学者、小瀬甫庵(おぜほあん)が江戸時代初期に記した太閤記は「切腹命令」という文書を掲載。文書には石田三成ら五奉行が署名し、7月13日の日付がある。
矢部准教授はこの日付について、「京都から高野山までは約130キロの距離がある。登り坂も厳しく、歩いて3日はかかる。13日に書かれた命令書を持って高野山まで多くの兵を連れて赴き、15日に切腹させるのは難しい」と疑念を示す。

 そこでさまざまな史料にあたり・・・・・・(後略)

まとめ管理人 @1059kanri
秀次事件についての某先生の本に、秀次事件に付いての新説を発表した時、それについての2ちゃんの(多分戦国板の)スレに張り付いて観察していたと堂々と書いてあって、2ちゃんのスレをまとめている僕が言うのも何ですが、色んな意味でお勧めできないと思いw;
まとめ管理人 @1059kanri
秀吉の中国大返しについて『これを小和田哲男は強行軍とするが、1日に10キロ程度進むのが標準であったとでも言うのだろうか(略)(家康が)文禄2年に名護屋からの帰国を許された際には京から江戸まで11日で着いているので、1日約46キロの行程であり小和田の認識によれば超強行軍となる
アーティ・かろやかダイナマイト @Ertai_twit
@1059kanri 研究者同士でも著作の中で煽るみたいなことするんですね…
まとめ管理人 @1059kanri
@Ertai_twit これは煽りではなく、研究に基づいた「反論」ですね。表現は皮肉的ですがw
アーティ・かろやかダイナマイト @Ertai_twit
@1059kanri 小和田氏は大河ドラマの時代考証の頃から何か変だなと思っていたのですが、最近、歴史学者の剥き出しの人間性や感情に触れたことが多くて憂鬱になってます(^^;
ハーブ @author_herb
@1059kanri 少し視点の違う意見ですが。^^; 数千、万単位の軍勢の移動には、小人数のような移動速度は難しかったろうと思います。 盆正月や連休に起きる大渋滞を思いますと、軍勢の移動でも渋滞が起きて思うように進めなかったと思います。
まとめ管理人 @1059kanri
@thief_Herb まあ一応、軍勢の平均的な速度は1日40キロだったようです。秀吉の中国大返しもほぼその程度のスピードです
千鶴 @Tdr_moeguti4065
当時の移動日数の話になると、どうして京-高野間が3日もかかるんだ(・・?となるんだけどね(確か113-5kmだったよね)
アリノリ @a_ri_no_ri
1日の移動距離の参考:前にも載せた秀次事件の際の家康の超高速移動。三島から石部まで約320kmを3日で走り抜けた。『徳川家康文書の研究』より作成。実は書状の通りにすると、1日で150km近く移動する場所ができるため補正されている。 pic.twitter.com/JHH5iGOcNK
拡大
アリノリ @a_ri_no_ri
@a_ri_no_ri 徒歩で付き従った家来が伏見到着後に死亡。間接的な秀次事件の被害者となる。通常の1日の移動距離は出発して4日間は続けていた東京〜横浜〜横須賀〜小田原〜三島までの約30~35kmである。三島で秀吉からの書状を受け取り超高速移動スタート。
アリノリ @a_ri_no_ri
@gine_ya 当時はつまるところ人力頼みですので、情報伝達ですら命がけになるのですね。
アリノリ @a_ri_no_ri
家康がこうも超高速で移動した理由として、秀吉からの書状で急がされたのもあるだろうが、在京中の秀忠を秀次が人質にしようとしたという逸話もあるため、息子たちの身が心配だったのもあるだろう。
残りを読む(21)

コメント

ひとやすみ @dandonban 2016年5月29日
引用ありがとうございます。秀次切腹に関しては、執行人はあらかじめ高野山なり麓に待機していて、命令書だけが早馬(馬を乗り継ぎ時速20kmくらいは出るでしょうから、半日で届く)で届けられたでも説明が付くのですよね^^;
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2016年5月29日
dandonban ハイエルダールの「コンチキ号航海記」のように、実際に馬を使って実験してみてほしい。「高野山まで切腹命令書、何時間で届く?チキチキレース」…
ひとやすみ @dandonban 2016年5月29日
gryphonjapan 道路状況が変わってしまったので実地では難しいでしょうけど、古道を使った実験は出来るのでしょうね。ちなみに江戸時代はどの程度か?とググったら江戸・京都間を72時間、時速40kmとか。さらに飛脚では70時間の例が... 馬より早いぜ^^;⇒継飛脚の項を参照https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E8%84%9A#.E6.B1.9F.E6.88.B8.E6.99.82.E4.BB.A3.E3.81.AE.E9.A3.9B.E8.84.9A
こざくらちひろ @C_Kozakura 2016年5月29日
裁判所からダッシュで出てきて「死刑判決です」っていうだけの人が未だにいるんだから、決定事項だけを手短に伝えるための伝令が先行して、主文を伝える部隊は後回しでも問題ないと思うんだけど。符丁さえあらかじめ伝えておけば、簡単な意志伝達は狼煙でも間に合うんだし。
文里 @wenly_m 2016年5月29日
興味深い。そしてまだ議論が発展しそう。
游鯤 @yusparkersp 2016年5月29日
①謀反人相手とは言え、ずいぶんお手軽な通告だな。②中国大返し時代の山陽道と、家康が江戸に下った後の東海道とでは道路の整備状況が違いそう。
アルビレオ@炙りカルビ @albireo_B 2016年5月29日
C_Kozakura あれは裁判所の職員とかじゃないですw 訴訟のどちらかを支援していたグループが全員は傍聴できなくて、外に待機してる人たちに結果を知らせてるだけ。今ではマスコミに映像素材を提供するための儀式化しています
こざくらちひろ @C_Kozakura 2016年5月29日
さすがに裁判所の書院でないことぐらいは馬鹿じゃないんで知ってます。要するに、詳細を知ることと行動に移すための指示を知ることは区別して、連絡することは可能でしょ。と言いたかっただけの話ですよ。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2016年5月29日
この手の移動問題は道路の整備状況や兵士の鍛錬度合いの問題ではなくて、交通の要衝をどれだけ事前統治できているのかや伝令などを事前に用意していたかというシステム整備の問題として考えないと意味がない。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2016年5月29日
ナポレオンの時代になっても参謀のベルティエはナポレオンの指示を正確に前線に届けるために毎回100人単位の伝令を送り出していたそうで、有事となれば伝達スピードを人数でカバーする伝達方法のほうが理にかなってるはず。まあ、伝令は歴史の表舞台で語られることはないから、こういう技術論どまりの話になってるだけでしょう。
山北篤 @Gheser 2016年5月29日
個人の移動速度と軍の移動速度は全く異なるもので、比較してはならないものだと何度言えば分かるのだろうか。個人(特に馬とかあれば)の1日40kmは可能だが、軍の1日40kmはほとんど不可能に等しい難事。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2016年5月29日
日本、ことに戦国期における寸白は条虫による腹痛のみならず瘤など腫れ物一般を指すことが多いですが、当時において一般的に腰痛を意味することはありません。
アルビレオ@炙りカルビ @albireo_B 2016年5月29日
C_Kozakura それは失礼しました。事前に内容が決められていてトリガーだけ送る場合の高速通信には狼煙のような古典的手段もありますが、秀次のケースで使うにはちょっと大げさすぎますからね
こざくらちひろ @C_Kozakura 2016年5月29日
軍隊では一日三食煮炊きしないと食えない食糧だけを食べるわけではないので、よほどの重装備でなければ徒歩を前提にしても1日40kmの行軍自体は可能でしょう。ただ、軍隊はその性質上戦場で戦うことが主目的なので、そういう強行軍で移動することが理にかなわなかっただけのこと。行軍速度が伝令などと比べて大きく低下するのは、指揮系統の問題でも交通事情の問題でもなくて、警戒速度で移動するかどうかの話。現代であっても常に最大全速で移動する軍隊なんてものは、ゲームの世界を除けばありえない。
アルビレオ@炙りカルビ @albireo_B 2016年5月30日
中国大返しは長期の包囲戦を終えての帰り道なので、直前に大きな戦闘はなかったとはいえ兵は通常より疲弊してる状態での長距離移動というのは考慮しないといけないでしょうね。移動ルートへの事前準備はあまりできなかったろうし
アルビレオ@炙りカルビ @albireo_B 2016年5月30日
C_Kozakura それってすごいですね。たぶん組織編制のピラミッドを通じて伝達するのではなく比較的小規模な部隊にまで直接司令部から伝令を送ったということになる。野戦では部隊の位置も変化するので各部隊の動きを司令部でほぼ把握してないと無理っぽい。それに伝令が戻ってくる前に次の伝令を送る場合のためのバックアップ要員も必要なので、総数だとどれくらい用意してたんだろう…
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2016年5月30日
ナポレオン戦争を描いた「勇将ジェラール」シリーズでも主人公はしばしば伝令役だったな よく考えれば敵陣に突撃して十人討ち取るより重要な役なのだな
@a3dayo 2016年5月30日
海外の例ですと1578年に騎兵1300名歩兵4000名からなるスペイン兵が2月から3月にかけて北イタリアからフランドルまでの約680マイル(1088キロ)を32日で踏破した記録があります。 1日あたり34キロを移動したことになりますが、同じルートを移動した軍隊の平均が48日であることを考えると特殊な例といえるため、1日で平均40キロというのはかなり難しいと思います。
真砂 @okayasumasa 2016年5月30日
gryphonjapan まあ、孫子の昔より重要視されてる話ですしね。 伝令というよりスパイがらみの話だが、可能な限りの情報確保、敵に誤情報を与える(間接的に行動を誘導する)ことといった話は戦に限らず万事において極めて重要
亜山 雪 @ayamasets 2016年5月30日
徒歩なのか馬なのか話が混ざっている?
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2016年5月30日
4月に先行して、 @opinel432 さんがまとめた【秀吉の中国大返しから始まった行軍速度の話 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/959483 】というまとめがありました。このまとめからリンクを張り、現在行けるようになっています。
伺か with kawahara @bochi_bochi_888 2016年5月30日
中国大返しに先立つ250年前、陸奥国から京都まで5万率いて半月そこそこで駆け抜けた陸奥守北畠顕家という鬼がいらしゃいましてな。小説で読んでびびりましたがほぼ史実らしいのに腰が抜けた。
伺か with kawahara @bochi_bochi_888 2016年5月30日
軍は行軍するだけで損耗していくものです。急げば隊はばらけ再編するのに時間を要する、食い物が無ければ調達にいってはぐれる。勝手に略奪いって帰ってこないとか返り討ちとかもあったでしょう。大返しが偉業なのは軍が軍として投入できる体裁を保ったまま200キロを10日で突破したという古来まれなことですから情報伝達や小部隊の異動とは速度の比較は意味が無い。それを踏まえて北畠顕家の話を調べてみると寒気がするくらいの鬼ですこの方。
BIRD @BIRD_448 2016年5月30日
日本で全員が馬に乗っている部隊が実戦やったのは日露くらいだったような?ayamasets
山北篤 @Gheser 2016年5月30日
軍を軍として移動させるには、隊列を組ませないといけない。隊列を組んで歩くと、2列縦隊で、前後1m位あけて歩く。すると、1時間に8000人しか出発できない。実際には、隊と隊の間とかロスを考えると、5000人がせいぜい。つまり、3万人が出発するだけで6時間もかかるんだよ。4列縦隊でも3時間だ。
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2016年5月30日
そういえば突然思い出したのだが、田中芳樹氏がファンの集いで「疾風ウォルフの艦隊は、なぜ速いんですか?」と聞かれ「なぜだろうなあ…情報の伝達とか補給がしっかりしてるからかなあ…」と、別に理由は考えてなかったらしいと(笑) 外伝3が載った別冊に収録 。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2016年5月30日
通常、万単位の人間を移動させるときに一本道なんか通らないんですよ。信長の桶狭間が逸話として残るのは、そこを越える際にはどうしても一本道を通らざるを得なかったからです。だから万単位の大軍であろうが、出発までに数時間なんてことは普通に起きない。ホノルルマラソンだって、全員がスタートするのに2時間もかかったりしないんですから。普通の大軍は何手にも分かれて、合流地点での集合時間だけを決めて、後のルート選択や時間管理は各将に任せたのです。だからこそ、関が原に遅刻した秀忠みたいなのが実際に出るわけです。
ひとやすみ @dandonban 2016年5月31日
gryphonjapan まとめの産経ウエスト記事を読み直すと、2ページ目に⇒秀次切腹の情報を最初に朝廷へ伝えた「御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)」文禄4年7月16日条には、「関白殿 昨十五日の四つ時に御腹切らせられ候よし申す 無実ゆえかくのこと候のよし申すなり」(引用終わり)とあり、翌日には高野山から京都へ情報伝達が出来ているようですね。
=== @damatamaya 2016年6月6日
このいろんな条件を考慮せず「中国大返しの移動距離はたいしたこと無いそれより家康のほうがすごい」って言ってるアリノリって人のタイムライン読んでみたら超徳川贔屓で豊臣disなんだよなぁ・・・ なんていうか、自分の主張に都合のいいデータに飛びついてそのあとは思考停止ってのはあまり美しくないとおもう
はよ @hayohater 2016年6月18日
街道整備って家康以降の江戸幕府の仕事と一般的には認識されてるけど、織豊時代はどうだったんでしょうね。
二条肝兼 @IamNotUs 2016年6月18日
北畠顕家の通った跡はぺんぺん草だったという話だから(太平記だから話半分としても)、食糧徴発もしっかりやりつつ移動したってことですな。
花咲正直(鬼退寺桃太郎) @hanasakimasanao 2016年6月18日
秀吉の大返しがスゲエと思われたのは「信長の横死で秀吉の軍勢が散り散りになる」と思われてたからじゃないのかなと(´・ω・`)<「え?ほぼそのままの軍勢率いてんの?」みたいな驚き
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする