【本多勝一様への追伸②】ブランド氏の謝罪と本多様の謝罪/無意識の前提/~ヨーロッパ人と日本人では「謝罪」という言葉の意味内容が全く異なる~

イザヤ・ベンダサン『日本教について~あるユダヤ人への手紙~』/本多勝一様への追伸/ブランド氏の謝罪と本多様の謝罪/無意識の前提/219頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【ブラント氏の謝罪と本多様の謝罪】本多様は、南京で次のように挨拶されたと「公開状」に記しておられます。 【南京大虐殺が行なわれていた当時、私はまだ幼児でした。仰るように、確かに”一般人民”としての幼児の私には、この罪悪に対して直接の責任はありません。】<『日本教について』

2016-05-14 17:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

②【本質的には、中国の民衆と同じく、日本の民衆も被害者だった。ですから私は、同じ日本人の罪悪であっても、私自身が皆さんに謝罪しようとは思いません】 あいさつのうち、まずこの部分だけを取り上げてみましょう。 これは私には非常にわかりにくい文章です。

2016-05-14 18:09:05
山本七平bot @yamamoto7hei

③と申しますのは、本多様はまず「直接の責任はない」と仰っていますが、それにつづく文章を読みますと「間接的にも責任はない」ことになるからです。 従って私はこの文章を「責任がない」の意味に解します。

2016-05-14 18:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

④この短い文章の中に、聖書の民すなわちヘブライ・キリスト的宗教の民には、到底考えも及ばない不思議な考え方があります。 例をあげましょう。 このあいさつを読み返したとき、私は、西独のブラント首相を思いました。 氏のことは御存知と思います。 氏は反ナチの闘士でした。

2016-05-14 19:09:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤氏がもし戦時中ナチに捕えられたら、ワルシャワのユダヤ人以上に残酷な拷問をうけた上で虐殺されたことは疑いの余地がありません。 当時の氏は、ワルシャワのユダヤ人および多くのポーランド人と同様に殺される側におりました。

2016-05-14 19:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥本多様が南京虐殺当時「幼児」であったのは本多様の意志と無関係の事で、これはただ「偶然、時間的・場所的に虐殺に関係し得ない位置におかれていた」というにすぎませんが、それだけの理由で「直接に責任がない」…と言い得るなら、ブラント氏は本多様以上にそう言い得る筈です。

2016-05-14 20:09:16
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦ではここで本多様のあいさつを、ワルシャワのブラント氏にあてはめてみましょう。 【ワルシャワの大虐殺が行なわれた当時、私は反ナチの闘士でした。仰るように、あなた方と共に殺される側にあって戦った私には、この罪悪に対して直接に責任はありません。】

2016-05-14 20:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧【本質的にはポーランドのユダヤ人と同じく、ドイツの民衆も被害者であった。ですから私自身が皆さんに謝罪しようとは思いません】 となります。 ではブラント氏は、こういう「本多式」のあいさつをしたのでしょうか? 外電をお読みください、説明は不要でしょう。

2016-05-14 21:09:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨もう一つ例をあげます。 ナチが降伏した直後、強制収容所から解放されたドイツ人があります。 その中に有名な「ドイツ教会闘争」すなわち反ナチ闘争をしてきた人々がおりました。

2016-05-14 21:38:53
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩この人々もワルシャワのユダヤ人同様、また多くの他の強制収容所に入れられた人々同様の運命にあったわけですが、この人々が、解放されると同時に「本多式」のあいさつをしたでしょうか?

2016-05-14 22:09:15
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪確かにブラント氏はナチに捕えられていたわけではありませんが、この人々は、ユダヤ人と全く同じようにナチに捕えられていたのです。

2016-05-14 22:38:55
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫もし南京を例にとるなら、当時の南京に日本人居住区があったと仮定し、そこの日本人は日本帝国陸軍に反対し、そのため中国人と同じように日本軍に虐殺され虐待され、その中で生き残った人々が中国軍に解放されたというに等しい状態です。

2016-05-14 23:09:12
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬本多様の考え方からすれば、この人達こそ、まさに「中国の民衆と同じく…被害者だった」のですから「同じ日本人の罪悪であっても…皆さんに謝罪しようとは思いません」と言える筈です。 ところが、解放されたこの人々の第一声は「全世界への謝罪」でした。 ブラント氏の態度も同じです。

2016-05-14 23:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭本多様は、御自分のあいさつを、この人々の謝罪に比べて、どうお考えになりますか。 あくまでも自分のあいさつが正しく、この人々が間違っているとお考えになりますか。 間違っているとするなら、どの点が間違っておりますか。―― というように本多様を追及しようとは思いません。

2016-05-15 08:09:16
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮この方法をとれば、いずれの場合も必ず、 西欧の方が日本より倫理的水準が高いからだ、 という結論になってしまいます。 この論法は詭弁でしょう。

2016-05-15 08:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

①【無意識の前提】では問題はどこにあるのか。 第二層に入ると言葉という媒体が逆に障害になるから躊躇した、 と申しましたのはこのことです。<『日本教について/イザヤ・ベンダサン』

2016-05-15 09:09:14
山本七平bot @yamamoto7hei

②ここでは「謝罪」という言葉の意味内容が本多様とブラント氏では全く違っているのに、同じ言葉を使わざるを得ないため、両者とも互いにそれから先へ進みえなくなるのです。 この問題は、謝罪という言葉を横文字で表記することによって解決できる問題ではありません。

2016-05-15 09:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

③言葉とはいわばその単語の一つ一つに、その言葉を使う民族の全経験が、歴史が集約されているものですから、ブラント氏の謝罪と本多様の謝罪とをまず伝統にそって比較しなければなりません。

2016-05-15 10:09:01
山本七平bot @yamamoto7hei

④この場合一番困るのは 「(ヨーロッパ人の)ブラント氏が自分に責任がないのに謝罪したのだから(それのまねをして)日本人もやはり謝罪すべきだ」 という考え方です。 勿論こうはっきりいう人はおらず、様々な美辞麗句は連ねますが、言っている事の内容は結局、今のべた通りなのです。

2016-05-15 10:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤もちろん本多様にも、前便で申し上げましたように、形をかえた同じ考え方があるわけで、これが、日本の伝統を取りまく様々な層の表層をなしており、それがかえって、すべてをわからなくしております。

2016-05-15 11:09:07
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥従ってここで、この部分すなわち表層を除去して両者の言葉を並ベてみますと、次の通りになります。 本多勝一氏…責任がないから謝罪しない 教会闘争の人々とブラント氏…責任がないが故に謝罪する ではこのクイズをどう解くべきでしょう。

2016-05-15 11:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦本多様に 「なぜ、責任がないと謝罪しないでよいのですか」 と質問すれば、本多様はおそらくけげんな顔をされ、 「なぜって、当たり前じゃないか、責任のないものが何で謝罪する必要がある。そんなことは議論の余地のない自明のことだ」 と仰るでしょう。

2016-05-15 12:09:05
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧本多様にとっては確かにその通りであり、また多くの日本人にとっても自明のことと思います。 「おれは当時、生れてもいなかった。そのおれに戦争責任があるって?冗談じゃない。謝罪だって?ばかも休み休み言ってくれ。責任があるのは戦争中の大人だけだ」 ということになるでしょう。

2016-05-15 12:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨これは日本人にとって、疑問の余地のない、微動だにしない確固たる考え方です。 一種の哲学、あるいは宗教的信仰とさえいえるほど、断固としてこれが信じ切れるには、これに「無意識の前提」があるはずです。 ではドイツ教会闘争の人々やブラント氏に同じような質問をしたらどうでしょう。

2016-05-15 13:09:04
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩やはり同じように 「責任がないが故に謝罪すること、それは当然のことで、議論の余地のない自明のことだ」 というでしょう。 ここにもやはり「無意識の前提」があります。 従ってこの人達も、その考え方が何に基づくかを説明できないわけです。

2016-05-15 13:38:52