【本多勝一様への追伸⑤】争いはそれ自体罪悪である/靖国神社は西欧のイミテーション/~「争うこと自体を罪悪」とする日本の伝統的思想は、正義の「争い」に弱い~

イザヤ・ベンダサン『日本教について~あるユダヤ人への手紙~』/本多勝一様への追伸/争いはそれ自体罪悪である/233頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【「争いはそれ自体罪悪である」】以上のように申し上げれば、 では一体どうしろというのだ、われわれにどんな不義不正を見ても沈黙していろというのか という反論が当然かえってくるでしょう。<『日本教について/イザヤ・ベンダサン』

2016-05-16 23:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

②これについてはネヘミヤが記しておりますが、これはいわば冒頭に記した第二層に入りますので、別の機会に譲りたいと思います。 ただ最後に、このような問題を昔の日本教徒はどう考え、どう処理したであろうか、という点について、少しく触れて終りにしたいと思います。

2016-05-17 08:09:07
山本七平bot @yamamoto7hei

③元来日本教徒には 「争いはそれ自体罪悪である」 という断固とした哲学がありました。 これは非常に面白い思想です。 正義と不義との争いなどという考えは一切うけ入れない――何はともあれ「争うこと」が不義なのだ、 という考えです。

2016-05-17 08:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

④「喧嘩両成敗」という考え方はこれに起因し、また「勝てば官軍」も、この事への非常にアイロニカルな表現であり、義軍は存在しないという事でしょう。 「争いはそれ自体罪悪である」 という考え方からは聖戦(ジハード)とか義戦とかいった考え方、いわば十字軍的な考え方は一切出てきません。

2016-05-17 09:09:13
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤大東亜戦争を聖戦だといったのはあくまでも西欧思想からの借物であり、日本の軍隊と同様、イミテーションにすぎない、 と思います。 従って「大東亜戦争肯定論」というのがあるとすれば、これは西欧的な考え方であって、「争いそれ自体を罪悪」と考える考え方とは相入れないものです。

2016-05-17 09:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥そして「争うこと自体」が罪悪なら、争う両者が成敗をうけるのは当然であって、一方だけが処罰されることには、日本人は承服できない―― 赤穂浪士が義士となるゆえんでしょう。

2016-05-17 10:09:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦一方正義と不義(光と闇)があるから争いが起るのだ、 という考え方は、非常に古くから広く中東にあった考え方で、これがペルシャで思想化され、(続

2016-05-17 10:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧続>イスラエルのクムラン・エッセネ(二千年ほど前に死海沿岸で共同体を形成していたユダヤ教の一派。発掘文書『光の子と闇の子』等がこれを示す。)を通じて西欧に入ったことは、多くの学者が指摘しております。

2016-05-17 11:09:07
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨このグムラン・エッセネは、一部の学者が「プレ・クリスチャン」と呼ぶほどキリスト教に近い面がありますので、この思想がキリスト教に強く流れ込んでいるのも当然でしょう。 この考え方は十字軍から階級闘争にまであります。

2016-05-17 11:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩しかしこれも日本教の思想と同様に人類の思想の一つにすぎません。 そしてこの思想には「イザヤ書〔註:人間の正義は瀆(けが)れた布切れに等し〕」という強力な歯止めがないと大変な事になります。 明治以来、それまでに日本になかったこの思想を導入しながら「歯止め」は入って来なかった。

2016-05-17 12:09:11
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪そしてかろうじて「歯止め」の役目をしたのが 「争うこと自体が罪悪である」 という日本の伝統的な考え方でした。 そして日本の軍部が何よりも敵視したのが、実はこの伝統的な日本教的考え方であったのは、本多様と同様で、それは『戦陣訓』が物語っております。

2016-05-17 12:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

①「争うこと自体が罪悪」と考えれば、争わないことが正義ですから、一方が正義で一方が不義という考え方はなくなり、敵・味方という考え方もなくなります。 日本人の最初の大規模な外征といえば「朝鮮の役」ですが、この戦争の後、島津義弘が高野山に碑を立てております。<『日本教について』

2016-05-17 13:09:06
山本七平bot @yamamoto7hei

②一種の慰霊碑でしょうが、彼はこれで、敵も味方も日本人も朝鮮人も明人も差別なく、すべての戦没者を慰霊しております。 私は世界中の戦勝碑や慰霊碑や無名戦士の墓を全部調べたわけではありませんが、これは、当時として非常に珍しい行き方と思います。

2016-05-17 13:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

③こういうことが出来たのは、島津義弘に明確な「思想」があった証拠でしょう。 靖国神社が問題になっておりますが、この神社は西欧の模倣だと私は考えております。

2016-05-17 14:09:23
山本七平bot @yamamoto7hei

④と申しますのは島津義弘の伝統が生きているなら、そして「国を守った英霊を守れ」というのなら、それぞれの国の兵すなわち清国兵も露国兵も中国兵もアメリカ兵も合祀されていなければならぬはずですから。

2016-05-17 14:38:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤そしてこういうことは、絶対に下らないことではありません。 それが生きている人間を逆に規制していくのですから―― だが、日本の普通の民間人には、驚くほど明確にこの伝統が生きております。

2016-05-17 15:09:16
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥あるアメリカ人は、硫黄島に供養に来た日本人僧侶が、日本人もアメリカ人も差別なく骨を集めて供養したことを、感動をもって語っております。 伝統に根ざしているものは残り、根ざしていないものは、政府が梃入れしても、いずれ消え去って行くでしょう。

2016-05-17 15:38:53
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦ただいずれの思想にも弱点があるように、 「争うこと自体を罪悪」とする思想は「争い」に弱い のであります、 今も、今までも。

2016-05-17 16:09:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧そこで争いは正義と不義の争いであり、私は正義の側に立っているのだと強弁する人が現われれば、その人は西欧的考え方に立ちながら、相手には「争う事は罪悪だ」という日本的考え方を強要する事になり、従って一般的日本人、「争い自体を罪悪」とする人々はこれと争う事が出来なくなります。

2016-05-17 16:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨従って、この立場に立つ多くの無名の日本人は、おそらく、本多様には何の反論もできないでしょう、 かつて軍部に対した時と同じように。 従って、 正義と不義が争うという考え方に基づき、自分は正義の側に立つと主張する人は、イザヤの言葉を忘れてはならない と存じます。

2016-05-17 17:09:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩従って最後にもう一度申し上げます―― 本多様も私も含めて 「われらの正義は、(みな)瀆(けが)れた布切れに等し」。

2016-05-17 17:38:49
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪〔追記〕この『本多勝一様への追伸』を書いたのはロッド空港事件が起る五ヶ月ほど前であった。 もちろん私は、聖書世界の伝統的な考え方であるイザヤ書の思想の一部を、日本教的考え方と比較しつつ紹介したのであって、何かを予言したわけではない。

2016-05-17 18:09:01
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫しかし、 自らを「殺される側に、虐げられる側に立つ者」と妄想し、常に「正義=瀆(けが)れた布」を口にする者は必ず流血に至る というイザヤの言葉は、私がそれを紹介した数力月後に、文字通り一言一句たがわず現実のこととなった。

2016-05-17 18:38:49
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬『諸君!』で読んだ岡本公三と『週刊文春』の記者との対談の一部と法廷における彼の供述とは、まるで数式のようにイザヤの言葉の正しさを証明している。 これは私には、当然に予想されたことであった。

2016-05-17 19:09:03
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭従って私は、事件後、多くの報道機関からの問合せには一切応ぜず、『諸君!』九月号に以下のような『読者へのおことわり』を掲載するに止めた。 結局は『追伸』の宛名に「岡本公三」という名を加えれば、それですべてを言いつくしているはずだからである。

2016-05-17 19:38:50