杉江松恋氏による「ホームズ短篇についてのメモ」
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Honyaku_Mystery
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1/60「ボヘミアの醜聞」(冒険)。ある人物の心変わりがなかったらホームズは失敗していた可能性があり、展開はなんとかならなかったのか、とやや残念。準備期間短く本編を上梓したことが伺える。が、アイリーン・アドラーが残す印象は強烈で、キャラクターの個性が物語の瑕を救った典型的な例だ。
2016-05-29 11:09:25
「赤毛組合」2/60(冒険)。まったく新しいトリックを創出した点も素晴らしいが、登場人物Aが語る台詞の中で登場人物Bの正体を暗示する事実がさりげなく示される、といった手がかりのテクニックにも注目したい。ホームズが「本当に不可解な謎は平凡な見かけをしている」と語る箇所も興味深い。
2016-05-29 11:19:34
3/60「花婿の正体」(冒険)。一点して家族劇。ホームズ譚では社会の最小単位である家族の抱えた闇がしばしば俎上のものとされた。本編のトリックも家族の問題を土台にしており現代に通じるものを感じる。ホームズが人物観察について女性の袖口のような細部に注目すべきと持論を述べた箇所もいい。
2016-05-29 11:22:54
4/60「ボスコム谷の惨劇」(冒険)。長篇では既出だった、過去が追いついてきて殺人事件が起きるというパターンの短篇での初出。ある人物の評価が前半と後半でまったく変わって見える点と、ご都合主義で人物像をつぎはぎして適当な容疑者を作り上げることをホームズが批判する箇所がおもしろい。
2016-05-29 11:32:20
5/60「五つのオレンジの種」(冒険)。論理よりも得体の知れないものに追われる恐怖を描くことを優先したサスペンスで、ドイルの伝奇作家としての体質が出ている。山中峯太郎版では本件の失敗によってホームズは別荘に隠居し「ライオンのたてがみ」事件に遭遇する。最終巻ラス前の事件なのである。
2016-05-29 11:36:50
6/60「くちびるのねじれた男」(冒険)。人間消失のトリックが使われているが、ロンドンの街角で突然それが起こるという『新アラビア夜話』的導入に、真相がわかった後のオフビートな感じを組み合わせるという展開の妙味こそが本編の肝なのだと思う。阿片窟のホームズという名場面を含む。
2016-05-29 11:42:03
7/60「青い柘榴石」(冒険)。前作に続いてオフビートな一篇。雑誌発表順に見ると各篇には小さな共通項があり、それが鎖状に続いているのを感じる。本篇の場合は笑いで、視点人物を替えればスラップスティック・コメディである。最後のホームズの芝居がかった解決場面は今後も繰り返されるものだ。
2016-05-29 11:52:42
8/60「まだらの紐」(冒険)。「赤毛組合」もそうなのだが、作中に真相を示唆する手がかりが多数与えられており、作者が意識したかどうかは別として非常にフェアな一篇である。特に換気口の紐のあたりの書きぶりに関心させられた。「実際にはこんなことはない」的な瑕は多いが、それにしても傑作。
2016-05-29 11:56:37
9/60「技師の親指」(冒険)。犯行のあった館を特定させないために使われるトリックが単純だが非常に強い印象を残す。高額の報酬に誘われた人物がひどい目に遭うパターンの一作なのだが、他の作品と比べても結末に未解決の部分が多く、そのために不気味な読後感が残る。怪談としても読める内容だ。
2016-05-29 12:00:01
10/60「独身の貴族」(冒険)。『冒険』に収録された初期作品は内容が非常に多彩で、あまり被りがない。本編も「花婿の正体」に似てはいるのだが、真相はまったく別種のものである。私のお気に入りはホームズがホテルの請求書を見る場面で「証拠の別の意味を読み取る」能力の高さを示している。
2016-05-29 12:04:28
11/60「緑柱石の宝冠」(冒険)。前作「独身の貴族」とは、偽の手がかりとしての脇役が登場する、という展開上の共通点がある。前述した連鎖とはこういうこと。登場人物の多くが前半と後半で印象が変わって見えるという短篇のお手本のような作品で、結末を酷薄と感じる読者もいるかもしれない。
2016-05-29 12:20:43
12/60「ぶなの木屋敷の怪」(冒険)。若い女性が怪しい雇い主に悩まされるパターン。依頼人が自分のものとそっくりな髪の毛の束を発見するあたりの不気味さがよくスリラーとしても優れている。それでいて最後にアチャラカの展開もあるし。ホームズの田園こそ悪の巣窟であるという発言も印象的だ。
2016-05-29 12:24:36
13/60「シルヴァー・ブレイズ」(回想)。「あの夜、犬はなにもしませんでしたが」「だから奇妙なんですよ」という有名な会話がある。要素が後半ですべて逆転して見え始める理想的なミステリーで「脚を引きずり始めた羊」など手がかりの与え方もいい。解決の見せ方は「青い柘榴石」パターン。
2016-05-29 12:31:36
14/60「ボール箱」(回想)。当初は単行本化が見送られたといういわくつきの一篇。たしかに最後で明らかにされる真相は男女の愛欲を生々しく描いたもので正典の中でも異彩を放っている。それだから最後のホームズの独白が心に響くのだが。物証から組み立てられる推論の鮮やかさにも注目したい。
2016-05-29 12:35:53
15/60「黄色い顔」(回想)。前作を家庭崩壊の悲劇だとすれば本作は崩壊へ向かう事態を食い止めようとする男の話。真相は十分今でも通用するもので、当時の読者が受けた衝撃は大きかったのではないか。読みどころの一つはホームズの推理に対してワトスンが「推測だらけだなぁ」とつっこむ箇所。
2016-05-29 12:42:26
16/60「株式仲買店員」(回想)。「怪しい雇い主」パターンの一作。気の毒な若者が突然首吊りを目撃してしまったりと先の読めない展開で読者を引き込む。なぜか書かされる誓約書など小技のサービスもあるが現代の読者には「失業者が好条件の職場に誘われる」という話そのものが吸引力になりそう。
2016-05-29 12:56:24
17/60「グロリア・スコット号」(回想)。「ホームズ青の時代」篇のその一。謎解きのメインは暗号文だが、これは単純なものである。若いころからホームズはホームズだった、という発見の楽しさと、トレヴァー老人の綴った告白記の無類のおもしろさがそれに勝る。因果応報譚の凄味もあっていい。
2016-05-29 13:00:28
18/60「マスグレイヴ家の儀式書」(回想)。「ホームズ青の時代」その二。暗号というよりは判じ物だが『宝島』で地図の謎が解かれたときのような昂揚感があり、冒険小説としてのホームズ譚の性格をよく示している作品。「物語の影でちょこちょこ動き回っている脇役」の使い方がここでも絶妙だ。
2016-05-29 14:35:39
19「ライゲイトの大地主」(回想)。文書解読ネタが三作連続したことになるが、本作はそれだけの内容ではない。主眼は犯人当てで、この人しかいない、という条件の限定がさりげなく行われているところが上手い。真相解明のための芝居はホームズのよく打つ手だが、本編では特に成功している。
2016-05-29 14:40:57
20/60「背中の曲った男」(回想)。『回想』所収の中では本編と次の作品が一段落ちる。いや、それでも十分おもしろくはあるのだが。月1本という連載ペースがそろそろ負担になりかけていたのだろうか。得体の知れない獣の足跡など、変わった要素はいろいろあるのだが真相は拍子抜けするものだ。
2016-05-29 14:47:08
21/60「入院患者」(回想)。ドイルが医学の知識を活かした作品で、「怪しい雇い主」パターン。「背中の曲った男」と本編には共通項があり、残念ながらそれは現代では少し時代遅れだ。しかし本編はホームズによる事件再現の語りに独自性があり、奇妙な小道具が使われるなど捨てがたい特徴がある。
2016-05-29 14:55:12
22/60「ギリシャ語通訳」(回想)。ホームズの兄マイクロフト登場話。プロットは「技師の親指」によく似ており、読者にもやもやとしたものを与えて突然終わる幕切れも共通している。しかし悪人たちにそれと気づかせずにギリシャ語でやりとりをするくだりなどは緊迫感がありスリラーとしては上等。
2016-05-29 15:13:16
23/60「海軍条約文書」(回想)。何度かホームズが挑むことになる「失せ物捜し」の一篇でマイクロフトの再登場もあり、通常回よりも分量が多くなっている。ミステリー的におもしろいのは紛失した文書の隠し場所とそれがそうなった経緯であり、手数を増やして書くと上手くお色直しができそうだ。
2016-05-29 15:20:51
24/60「最後の事件」(回想)。やはり「ライヘンバッハの滝」のエピソードは印象に残る。それもモリアーティ教授の人物像をホームズが語る前半部分があるからこそで、しかもホームズからの伝聞の形のみでその凄さが知らされる。悪役キャラの立て方のパターンを確立したといってもいい一篇である。
2016-05-29 15:25:08
25/60「空き家の冒険」(生還)。白眉はホームズがいきなり復活してワトスンが気絶してしまう場面である。大見得を切るでもなくあっさりと姿を表すという再登場の仕方をドイルがどのように思いついたのか非常に関心がある。他の案はなかったのだろうか。キャラクター小説のお手本のような一篇だ。
2016-05-29 15:34:32