- arishima_takeo
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「日本の学者は政治と名る籠の中に閉込められ、此籠を以て己が乾坤と為し、此小乾坤の中に煩悶するものと云ふ可し」(福沢諭吉『文明論之概略』)。あるある。
2016-05-30 17:53:36「福沢の実学は卑俗な日常生活のルーティンに固着する態度とは全く反対に、そうした日常性を克服して、知られざる未来をきり開いて行くところの想像力によってたえず培われるべきものであった」(丸山眞男「福沢に於ける「実学」の転回」)。なんでそうなるか知らないけどそうなるらしい。
2016-05-30 19:51:10「福沢の思惟方法に最も近く立っている西洋哲学を求めるならば、なによりもプラグマティズムだろう」(丸山眞男「福沢諭吉の哲学」)。へぇー。
2016-05-31 15:35:48「福沢は随所に人間を蛆虫に比し、「人間万事小児の戯」(明治二十五年十一月十二日、慶応義塾演説筆記、全集十三)と観じた」(丸山眞男「福沢諭吉の哲学」)。ウジムシ人間映画化決定。
2016-05-31 15:40:39「福沢は人生の全体を「恰も」という括弧につつみ、是をフィクションに見立てたことによって自ら意識すると否とを問わずヒューマニズムの論理をぎりぎりの限界にまで押しつめたのであった」(丸山眞男「福沢諭吉の哲学」)。またこの方向の話か。みんな「あえて」とか「かのように」とか言い過ぎだろ。
2016-05-31 15:44:29「政治とか学問とか、教育であれ、商売であれ、なんでもかんでも、それ自身が自己目的化する。そこに全部の精神が凝集してほかが見えなくなってしまうということ、簡単に言うとしれが惑溺です」(丸山眞男「福沢諭吉の人と思想」)。あれ、大澤真幸もオウム問題で似たようなこと言ってなかったっけ?
2016-06-01 15:47:36丸山眞男『福沢諭吉の哲学』読了。他六篇収。「惑溺」論が面白かった。惑溺とは「全部の精神が凝集してほかが見えなくなってしまうということ」。それ故「ブランク」や「留保」がなくなる。反対に福沢諭吉は、酒好きじゃないけど酒屋になる的な反惑溺の人、と丸山。…ところで、惑溺って何で悪いの?
2016-06-02 16:25:05丸山によれば、惑溺状態とは自然的傾向性に従属すること。だから、カント的には自由がないってことなんだろう。これを克服すると、「精神的な「開国」」がある。只、「動きすぎてはいけない」(=開き過ぎ繋がり過ぎダメ)千葉雅也なんかからすれば、寧ろアディクションいいじゃん、って感じだろう。
2016-06-02 16:30:33惑溺するからこそ、つながれるものもあるんじゃないだろうか。「精神的な「開国」」は公共性の問題にも接続するだろうが、でも何にも耽溺しない主体のいう公って一体なんなの?とか確かに思ったりもする。人間って誰しも恥ずべきところがあって、そのポンコツ感こそが寧ろ公共的だ、的な。
2016-06-02 16:36:52丸山眞男がTwitterやってたら、PC違反ツイートを見つけ次第マウントしてタコ殴りする超攻撃型ツイッタラーになってたかもな(笑)。でも、かといってPCが大切じゃないわけじゃないよ。
2016-06-02 16:39:16