都現美で「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」の内覧を拝見。都立の美術館という性質を逆手に取り(表現の)“規制”を参加作家たちが巧妙に見せている。特に藤井光と橋本聡には驚かされたが、結局全ては公権力の箱の中での出来事か。 pic.twitter.com/ninB9bIIZh
2016-03-04 20:18:33当然ながら“規制”をテーマにすること自体は賛成だし必要であるとは思う。しかしそれを極めて「規制する側」に近い場所で行うということに参加作家がどれだけ自覚的でいるのかが気になるところだ。
2016-03-04 20:57:21あるいは自覚的だからこそ都現美でやったのかもしれない(これが私立美術館であれば意味は大きく変わるはず)。しかし今回館が展示を“許可した”ことで都現美は過去のセンサーシップに対するある種のエクスキューズを手に入れたのではないか。 pic.twitter.com/bTVgFbIbds
2016-03-04 21:01:04今回のMOTアニュアルはARTISTS' GUILD共同企画の為かなり実験的な作品が多い内容。既存の価値観や社会規範、芸術・公の美術館としての在り方に一石を投じ問題提起を行う作品の殆どが、展覧会の「全体性」で埋没してしまっている中で群を抜いていたのは藤井光かな…
2016-03-05 07:34:27作家だから?全体より個々の作家の表現力に目がいっちゃう。古屋誠一は好きだけどこの展覧会に存在する意味は最後までわからなかった…
2016-03-05 07:40:22「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」の英題は「Loose Lips Save Ships」(第二次大戦時にアメリカのプロパガンダとして使われたフレーズ Loose Lips Sink Shipsのもじり)と知る。時に英語表記は展覧会理解の助けになるが、これはとても面白い。
2016-03-05 09:44:45芸術家集団による『キセイノセイキ』展を現美で。観客の既成概念をぶち壊す挑発的な作品の数々。規制のため(?)実現していない都立戦争資料館を、展示品なしで試作(藤井光)、匿名で語る戦争の記憶の暴力性を示す映像(小泉明郎)が印象的。 pic.twitter.com/erHBqfmaEQ
2016-03-05 14:18:17『キセイノセイキ』展は美術館の規制もあぶり出す。金網の柵を乗り越えようと観客に呼びかける作品が、乗り越えNGとされたり、刃物の展示がアクリル板で覆われたり。ウォーホル作品の引用が著作権がらみで待ったされ、戦争映像には年齢制限が。 pic.twitter.com/dhPuXto93A
2016-03-05 14:29:02“ポルノはOK 政治的な批判はあんまり” ダン・ペルジョヴスキ《Dear Museum...》@ MOTアニュアル2016 instagram.com/p/BCkrbFRG9K_/
2016-03-05 22:36:19「キセイノセイキ」では本展自体の内部的な「規制 regulation」は可視化されているが「検閲 censorship」は可視化されていない。たとえば橋本聡くんの作品で「協議中」とされていることは観客を危険に晒さないための制限=「規制」ばかり。
2016-03-06 09:15:22でも本展の会場内にひとつだけ何らかの「検閲」的な介入の痕跡かもしれないと思える要素があった。あやうく見過ごしそうになったけど。。。
2016-03-06 09:17:13この「要素」から敷衍して見るとき藤井光さんのインスタレーションもまた別の顔を見せるようにも思う。どちらも共通の様式を持っているから。
2016-03-06 14:24:15MOTアニュアル2016「キセイノセイキ」。美術館という制度や権威が崩壊した後の、美術館に多少とも同情的なアーティストたちによる「制度批判」という印象。かつての制度批判ほどの過激さはないが、昔は美術館や美術という制度が確固としてあったからできたのだろう。
2016-03-06 19:38:45美術館自体が敵だというよりも(そもそも美術館の企画なわけで)、美術館が様々な圧力に晒され時にはその圧力に屈している状況を明らかにし少しでも改善するきっかけを探る試みだと理解した。MOTアニュアル mot-art-museum.jp/sp/exhibition/…
2016-03-06 19:40:55そういった意味で、ジミェフスキの≪繰り返し≫は、この「キセイノセイキ」という企画の意図・態度が象徴的に表現されている作品かなと思った。
2016-03-06 19:56:27藤井光さんの作品において死はパブリックに表象されえず、古屋誠一さんの作品では死はプライベイトに表象されていることの対比は、展覧会の意図は関係なくちょっと考えてみたいところ。
2016-03-06 20:12:51「キセイ」「規制」と言うけれど、その問題は究極的には「死」をいかに扱うのか、表象するのかというところに行き着くのではないか。藤井、古屋作品だけでなく、横田徹や橋本聡の包丁など、展覧会全体になんだか死の匂いが漂っていた感じがする(言い過ぎかもしれないけれど。)
2016-03-06 20:34:18