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丸島和洋 @kazumaru_cf
録丸視聴終えました。僕は半沢直樹もリーガルハイも見たことが無いので、「古畑源次郎 『喋りすぎた男』」という感じで台本を読んでいました(苦笑)
丸島和洋 @kazumaru_cf
今回出てきた「手柄次第」という言葉は、秀吉が北条に沼田領裁定をやるから詳しい人物を上洛させよと命じ、板場岡江雪斎が上洛。豊臣政権が証文類を吟味した結果、同盟約条には「手柄次第」とあったという秀吉朱印状に基づくものです。
丸島和洋 @kazumaru_cf
これ、実は9話・10話の小道具を作る段階で吟味が必要な話でして。昌幸には家康から「上野は北条領と定めた」という通達がいっているのですが、この時の文面に「手柄次第」と書くわけには勿論いきません。
丸島和洋 @kazumaru_cf
しかしこの時の家康の命令としては「引き渡せ」というものが伝わって昌幸が怒る、という流れ。でも「引き渡せ」と書いてしまうと、ず~っと先の「沼田領裁定」の回で問題になる可能性がある、ということは、当然頭に浮かびましたから、文面に苦労した記憶があります。
丸島和洋 @kazumaru_cf
まあもちろん、今日のような対決はしてないと思うのですが(安土宗論のような事例もあるが)。鎌倉幕府以来、武家の裁判では「三問三答」という方法がしばしばとられました。訴人が主張を述べて証拠書類を提出し、訴えられた側がそれを受けて反論と証拠書類を提出する、これを3回やって結審。
丸島和洋 @kazumaru_cf
それをドラマで描くとなると、対決式にしないと絵にならないという感じですね。なお、証拠文書は「公験(くげん)」などというのですが、ちょっと言葉が難しいので。裁判に際しては、系図や絵図も提出されます。系図は、所有権の移動を示す証拠書類。絵図は、境目の位置の主張。
丸島和洋 @kazumaru_cf
まあなので、絵図や系図が裁許の場に出る事自体は珍しくないです。あんな効果音は流れませんが(苦笑)
丸島和洋 @kazumaru_cf
沼田領裁定のタイミングは、少し史実より遅らせています。これはストーリーテーリング上、落首事件→棄(鶴松)誕生(この間に刀狩りなど入る)と、沼田領問題→小田原合戦とで話をわけないと、話がいったりきたりして視聴者に分かりづらくなるため、ということで、考証側も諒解している事項です。
丸島和洋 @kazumaru_cf
今回の肝は、惣無事令というものが、「平和」を追求したものではまったくなく、「服従か滅亡か」の決断を迫るものであるということ。そしてその秩序に組み込まれれば、「勝手な戦争はしてはならない」ということです。
丸島和洋 @kazumaru_cf
真田領上野(狭義の沼田領=利根郡と、岩櫃領=吾妻郡を一括して「沼田領」と呼んでいます)ですが、2/3が北条、1/3が真田です。北条にわたったのが沼田のある利根郡で、真田に残されたのが幸綱以来管轄してきた吾妻郡です。だから信幸はまだ岩櫃城にいます。
丸島和洋 @kazumaru_cf
面積でみるとおんなじくらいなんですが、吾妻は山間部なので、石高にすると倍違うわけです。ドラマ上、昌幸は辞退していますが、2/3の替地は家康が信濃伊那郡箕輪領で与えています。ただ、交通の要衝であった沼田とは比ぶべくもない場所。
丸島和洋 @kazumaru_cf
沼田至近の地である名胡桃は真田のもとに残されました。このかわりに、吾妻郡の一部が北条に渡っています。判明している場所は中之条なのですが、この場所、真田領を通過しないと辿り着けない飛び地。しかも昌幸は、百姓を全員退去して無人にしてから引き渡しています。相変わらずです。
丸島和洋 @kazumaru_cf
なお名胡桃に先祖の墓があったかどうかですが、真田家が幕末に編纂した公式歴史書『真田家御事蹟稿』において、「御先祖の御廟所があるわけはない」とばっさりきられています。
丸島和洋 @kazumaru_cf
北条ですが、実は上洛をしようとしていました。ドラマでは、「対比」を描くために「時代の変化について行けなかった象徴」としていますが、12月上洛予定で旅費の調達を進めていました。ところが、秀吉が11月上洛と勘違い。え、まさかの勘違い。
丸島和洋 @kazumaru_cf
そのなかで、「名胡桃城事件」勃発です。信幸は実際には、寄親である家康に報告をしています。それが11/3。ちょうど、信幸が替地としてもらった伊那郡箕輪で知行割りを始めた日でした。
丸島和洋 @kazumaru_cf
「名胡桃城事件」ですが、正直な所確実な話がわかりません。真田側が城主と主張しているのが鈴木主水、北条側が主張しているのが中山です。北条氏直は中山某を小田原に召喚して事情聴取を行い(伝馬手形が残っています)、その結果を秀吉に報告しましたが、秀吉の怒りを解く事はできませんでした。
丸島和洋 @kazumaru_cf
おそらく、名胡桃城内で主導権争いがあり、中山側が北条氏に支援を求めたのでしょう。北条としては、頼られた者を保護するのは戦国大名のある種の義務ですから、それに応じる。ところが、それが「真田領名胡桃奪取」となってしまい、秀吉の作った新しいルール下では「不法」になってしまった。
丸島和洋 @kazumaru_cf
まあこんなところだと思っていますが、氏政の動き、氏直の弁明内容、どれもじっくり検討する必要があるもので、すぐには答えは出せません。ただ、「猪俣邦憲が暴走して」というのは、「猪俣」という苗字に「猪」という文字が入っていたため、江戸時代に「田舎侍の猪武者」とイメージされた結果。
丸島和洋 @kazumaru_cf
いずれにせよ、「天下人が作る新しいルール」に対応できたかどうか、という話でした。上杉景勝が苦渋の思いで従属した描写と対比すると、「戦国大名が天下人に屈する」ことの重みを、私としても見せつけられた感じがしています。
丸島和洋 @kazumaru_cf
三成の作った裁定書案(声に出して読んでいるけどナレーションに被さって消えた)には、沼田を含む三分の二を北条に、岩櫃を含む三分の一を真田とし、名胡桃は三分の一に含むものとする、替地は家康が用意するといった内容が書かれています。
丸島和洋 @kazumaru_cf
さて、小田原城は既に惣構えが完成し、武田信玄との戦争以来二度目となる「総動員令」が発令されています。これは北条氏が「御国の危機」と判断した場合、出陣義務のない百姓を何人か出陣させるよう、村々に触れ回ったもの。すでに名簿登録済みです。
丸島和洋 @kazumaru_cf
対象は15~70の男子。これは村の成人として寄合に参加する年齢と一致し(上限は60の場合が多いですが)、ようするに村側に最初からある名簿から抜き出せというもの。武装は鑓か弓か鉄炮を自費調達。ということは、百姓も鉄炮を用意できて当たり前というのが当時の認識。
丸島和洋 @kazumaru_cf
氏照は、寺院に対して梵鐘の提出を命じています。鋳つぶして鉄砲玉に転用することが目的です。
丸島和洋 @kazumaru_cf
今川・朝倉・武田といった大戦国大名が滅んだとき、当時の人たちはもの凄い衝撃を受けたようです。いずれも国衆・家臣の離叛が相次ぎ、信長自身が驚くほどあっけない滅亡でした。それを北条は見ていたわけですが・・・。
丸島和洋 @kazumaru_cf
打ち合わせで、名胡桃を「オフ」にすると聞いた時は驚きましたが、「信幸もみていない」事件なわけでして、そのほうが確かに混乱のなかで信幸が下す決断の冷静さが映えるんだなぁと得心しました。
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コメント

Shouji Ebisawa @Ebi_floridus 2016年6月6日
個人的には、更科六兵衛がいつ出るかが気になる(出ない)
Bernoulli【浮上中】 @civilmarvelous 2016年6月6日
あー、大ちゃんが死んじゃった(やる夫スレ感) しかしまぁ、要るところと要らないところの見極めと割り切りが素晴らしいな三谷さんは。
文里 @wenly_m 2016年6月6日
Ebi_floridus 西田敏行さんが元気に活動できていたら可能性が微レ存だったかもww
愚者@ C97申込済 @fool_0 2016年6月7日
あと付け加えておくとこの時期の伊達政宗は凄まじい勢いで勢力を伸ばしており、1584年に父:輝宗から家督を譲られた時は70万石ほどだったのが1590年の小田原征伐の頃には150万石近くまで所領を増やしています(ちなみに同時期の豊臣が400万石、徳川が約180万石、北条が200万石ほど)。秀吉が政宗を危険視し、同時に北条が援軍を当てにしていたのも当然だった訳です。
सतूप(浮屠) @bot25026838 2016年6月7日
オチの政宗が小田原どころか宇都宮遅参までして(其の後も色々やらかして)生存しているのが不思議を通り越してファンタジーに思えてくる。フィクションならボツなんじゃないだろうか?
सतूप(浮屠) @bot25026838 2016年6月7日
civilmarvelous 今年はウルフ(パンダ)いっぱいですね!
Kawai_Yusuke @fiddler_K 2016年6月7日
惣無事令は「「平和」を追求したものではまったくなく、「服従か滅亡か」の決断を迫るものであるということ」
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