【戦国時代】侍女のお仕事と側室について(追加あり)

【戦国時代】侍女のお仕事と側室について、のまとめです
143
さくらこ@国民民主党推し @karin_mducks

侍女の仕事はたくさんあります。まず、誰に仕えるかによっても違ってきますね。きりが少し前にやってましたが、裁縫もやりますよ。料理も掃除もやります。これに正室付きの侍女になればその日に着るお召の準備、整髪などが加えられます。まあ、西洋のメイドとさして変わらないかな。

2016-06-06 21:17:20
さくらこ@国民民主党推し @karin_mducks

ところが殿方付きの侍女となると、これに夜伽の仕事が加えられたりします。もちろん、夜伽の仕事は殿方からお声掛けがない限りはできません。ただし、通常は夜伽をする前に正室へ前もって許可をもらっておく必要があります。

2016-06-06 21:19:29
さくらこ@国民民主党推し @karin_mducks

許可なしでお手つきにしてしまうと単なる「浮気」とみなされ、正室によっては怒り狂う方もいますので注意が必要です。で、夜伽の結果、懐妊すれば晴れて「側室」になれるというわけです。

2016-06-06 21:20:14
さくらこ@国民民主党推し @karin_mducks

誰の元に仕えようとも、侍女の雇用待遇は一括して正室の仕事になります。ですので「側室」になっても扱いは侍女であり、妻にはなれません。その代わり主の寵愛を受けられ、他の侍女より待遇も数段上がります。

2016-06-06 21:24:15
さくらこ@国民民主党推し @karin_mducks

なのでよく「側室っていわば愛人でしょ?かわいそうじゃない?」という声も聞きますが、あの時代は割と側室の方が楽ですし、子供(特に男子)を産めばそれなりの権限は与えられる時代でした。ですから側室だからといって決して不幸というわけではなかったんですね。

2016-06-06 21:29:10
さくらこ@国民民主党推し @karin_mducks

むしろ正室の方が必死です。100%政略結婚なわけですから。側室にばかり子ができては正室のプライドも傷つきますし、側室以上に夫の寵愛を受ける必要があるわけです。ですから乳母や侍女から夜伽の講義を受けることも必須でした。

2016-06-06 21:31:17
さくらこ@国民民主党推し @karin_mducks

なので夫から「側室が欲しい」と言われてもほとんどの正室は断りません。家の為と正室としてのプライドを守る為です。それに子供は大いに越したことはないですからね。ここで正室の器量の良さ、心の広さが求められます。

2016-06-06 21:33:31
さくらこ@国民民主党推し @karin_mducks

とまあ、夜なのできわどいこともつぶやいてしまいましたが。

2016-06-06 21:34:04
さくらこ@国民民主党推し @karin_mducks

なんかやたら昨日ツイートした、侍女と側室についてのつぶやきがRT・いいねされてて、割と皆さん興味があるんでしょうかとか思ってみたりみなかったり。

2016-06-07 11:47:34
さくらこ@国民民主党推し @karin_mducks

海外の所謂「愛人」と日本の「側室」は全くの別物です。妻ではないんですけれども。「愛人」とは私費で養い、私的で秘匿な関係であるのに対し、「側室」は公費で養い、公私共に外部から認められた関係ということになります。側室の化粧料(お給料みたいなもの)は正室の化粧料から支払われます。

2016-06-07 11:49:51
さくらこ@国民民主党推し @karin_mducks

側室になるとそれまでは正室の屋敷にある「局部屋」という、侍女たちの部屋(寮みたいなもんです)からは出ますが、基本的には正室の屋敷に住み続けます。屋敷の中に側室用の部屋を充てがわれることになります。

2016-06-07 21:49:54
さくらこ@国民民主党推し @karin_mducks

主人によっては別に屋敷を建てたりすることもありますが。屋敷と言っても広いので会うこともありませんし、あの時代はそれが普通なので会ったとしても気まずいとか、そういうことはないです。

2016-06-07 21:50:29
さくらこ@国民民主党推し @karin_mducks

「正室は必ず一人でなければならない」という規則も原則的にはありません。そういった法度も存在していませんし。御家事情によっては実質、正室が二人存在しうることも十分にある時代です。

2016-06-09 11:40:09
さくらこ@国民民主党推し @karin_mducks

ただやはり正室が二人いるということを公表するとややこしくなりますし、体裁的な面や家同士の結び付きのバランスが取りにくくなるので、表向きには「正室は一人であることが望ましい」といった考え方でした。

2016-06-09 11:40:23
さくらこ@国民民主党推し @karin_mducks

茶々(淀殿)も実質的には正室扱いだったと言われています。そう考えると、おこう(清音院殿)も表向きは側室だったのかもしれませんが、実際は内部的なことに関しては正室と同等の権限があったと考えても不思議ではありません。

2016-06-09 11:43:40
さくらこ@国民民主党推し @karin_mducks

だからこそ真田家の過去帳にも清音院殿の法名裏書に「御簾中」と書いたのではないかと推察しています。対外的な正室はあくまで小松殿ですが、家中では清音院殿のままであった可能性は十分にあります。

2016-06-09 11:45:47