古川雄嗣『偶然と運命』読書メモ集

古川雄嗣『偶然と運命――九鬼周造の倫理学』(ナカニシヤ出版、2015)の読書メモをまとめました。
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荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

「人文学の研究で「給料」や「研究費」がもらえて、若者たちがそれを大学という場で学んでいたということのほうが、異常に健全という意味で、異常だったのである」(古川雄嗣『偶然と運命』)。アツいな。この本、私の問題意識とも近いし(偶然礼賛論批判)、必読かもな。襟を正して、読む。

2016-06-06 10:46:52
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

範疇にとらへがたかる己が身を我となげきて経つる幾とせby九鬼周造『巴里小曲』

2016-06-07 13:05:41
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

「彼が「仮説的」ではなく「経験的」という呼称を用いる場合には、必ず因果的と目的的の二種だけが挙げられていることに注意してほしい」(古川雄嗣『偶然と運命』)。これは、へぇー。流石九鬼。

2016-06-07 16:23:04
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

「九鬼クッキー」っていうフォーチュンクッキー出したら売れるんじゃないだろうか(売れない)。

2016-06-07 16:26:34
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

@arishima_takeo おみくじの種類は、定言的(凶)、仮説的(中吉)、離接的(大吉)の全三種。コンプリートできるかな?

2016-06-07 16:29:07
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

@arishima_takeo いま気づいたけど、これ「九ッ鬼ー」の方がセンスいいな。森永製菓さん、ご連絡お待ちしてます。

2016-06-08 11:16:53
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

我々は原始偶然という概念を、あたかも無数の因果の網の目がそこに収斂する原初の一点であるかのように考えてはならない。換言すれば、九鬼は決して、原因と結果の一対一の対応を前提とし、それを無限に遡及しているわけではない。by古川雄嗣『偶然と運命』

2016-06-07 17:01:10
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

九鬼の言う原始偶然とは、時間的な「原始」において存在すると思惟されるものでは決してない。by古川雄嗣『偶然と運命』

2016-06-07 17:01:33
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

原始偶然とは、直線的な時間の端初に存するものではなく、円環的回帰的時間のすべての瞬間に存するものである。九鬼の言うUr-zufallとは、時間的意味での「原始の(Ur-)」偶然ではなく、すべての時間の底にある「根源的な(Ur-)」偶然である。by古川雄嗣『偶然と運命』

2016-06-07 17:03:49
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

九鬼の原始偶然が回帰的時間に関係してるって説明はよく分かる。私にとって原始偶然も回帰的時間もウサン臭いから(笑)。それにしても、古川九鬼論は野内良三『偶然を生きる思想』をコテンパンだな。私も余り野内本は評価しないが、九鬼の離接的偶然論がよく分からんってのは同感してしまうんだよな。

2016-06-07 17:12:22
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

「そうすると離接的偶然とは、一方では離接的必然に対して「他のようにあることの偶然」をもつ形而上的偶然として思惟せられ、しかしながら他方にあって経験的仮説的必然に対しては、「自らによって必然的」に存在する形而上的必然として思惟されていることになる」(古川雄嗣『偶然と運命』)。それな

2016-06-07 17:29:48
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

「彼は要するに、回帰的形而上学的時間を表象する円の全体を離接的必然と呼び、その円を構成する円周上のすべての点を離接的偶然または原始偶然と呼んでいる」(古川雄嗣『偶然と運命』)。オォー。なんか大事なこと言ってる気がする。

2016-06-07 17:34:34
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

原始偶然って要するに時間のモナドみたいなもんだと考えればいいのか?(といっても、モナドもイミフな概念この上ないが)。

2016-06-07 17:35:55
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

「離接的偶然と離接的必然とは畢竟同一のものであると思惟することもまた、可能なのである。或るときには離接的必然が絶対的必然と呼ばれ、また或るときには原始偶然が絶対的必然と呼ばれるのも、そのゆえにほかならない」(古川雄嗣『偶然と運命』)。頭痛くなってきた。

2016-06-07 17:38:30
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

「存在論的に「有り難い」ことが、いわば価値論的にも「有り難い」こと、つまり与えられた存在または現実に対する「感謝」や「愛」に直結するのかが、筆者にはよくわからない」(古川雄嗣『偶然と運命』)。同意。私の、愛せない偶然問題に直結する。

2016-06-07 17:47:39
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

九鬼の離接的偶然と離接的必然が相互補完的なのは分かるけど、その可能的離接肢って偶然の事後に展開されるものなんじゃないの? 潜在的必然性とか可能性の様相とか、全部想像力の産物なのでは。つまり、その未来的性格って現在性に基礎付けられているのでは。形而上学だからいいとかそういう話?

2016-06-08 10:31:07
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

すべての偶然が客観的意味において「目的なきー目的」すなわち「偶然-必然」であるからこそ、我々はすべての偶然を必然化し、従ってそれを「運命」に変えることが出来るのである。by古川雄嗣『偶然と運命』

2016-06-08 11:42:30
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

「運命」とは、偶然が何らかの意味で必然であること、またはそう思われることと言うよりも、むしろ偶然を必然に変えることである。事実であると言うよりも、行為であり実践である。by古川雄嗣『偶然と運命』

2016-06-08 11:42:59
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

古川九鬼論のいう一瞬一瞬が原始偶然だって説は説得力あると思うけど、その場合「偶然が偶然を呼んで」みたいな偶然玉突き現象はどう解釈されるべきなんだろうか。その時、玉突きの外部、非偶然的系列が表象されるけど、それは誤ちだってこと? でも、そう思っちゃうのは仕方ないのでは。

2016-06-08 12:06:19
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

「或る瞬間にいかなる現実が現実化するか、換言すれば、無限の可能性の中からどの可能性が選択されて現実化するかという点に、原始偶然の偶然性が存する」(古川雄嗣『偶然と運命』)。うーん、でも「無限の可能性」ってのは「原始偶然」が実現した事後に表象されるもんなんじゃないの?

2016-06-08 12:08:34
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

かかる「必然の偶然化」と「偶然の必然化」との相互運動は、いわば絶対者と有限者との絶えざる「呼びかけ」と「応答」であると解しても、あながち付会とは言えないであろう。by古川雄嗣『偶然と運命』

2016-06-08 12:18:50
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

自由詩を主張する者は感情のリズムに従うことを云う。然しながら此場合の従うと云う意味は詩の律格に従う場合とは意味を異にしている。感情のリズムとは主観的事実である。詩の律格は権威を以て迫る客観的規範である。by九鬼周造「邦詩の押韻に就いて」

2016-06-08 15:00:25
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

あれかこれかの選択に直面したとき、人間になし得ることは、ただ「「遇うて空しく過ぐる勿れ」という命令を自己に与える」ことでしかないというのが、九鬼の答えであった。それは与えられた現在の偶然に耳を傾け、そこに世界からの呼びかけを聴くことである。by古川雄嗣『偶然と運命』第七章

2016-06-08 16:23:30
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

古川雄嗣『偶然と運命』読了。私は依然「偶然の必然化」については批判的だけど――必然化に際して偶然の整形が行われているのでは?と思うので――、とても面白かった。九鬼解釈本として激推し。ナカニシヤ出版か…なんか本づくりが『〈他者〉の逆説』っぽく感じたけど、もしかして編集者同じ?

2016-06-08 16:39:33
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

特に、可能性→運命→習慣という九鬼哲学の変転を明示しながらその異なる仕事を連続的に読むという試みはかなりうまくいってるんじゃないだろうか。

2016-06-08 16:42:23