丹生谷貴志ツイートまとめ(2016年5月)

丹生谷貴志さんの2016年5月のツイートをまとめました。
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nibuya @cbfn

空疎な余談。「音楽はCD環境だけという前近代状態ですが・・・云々」と言う言葉を読む。CDがどうこうではなく「前近代」という死語どころか死廃語に等しい空疎な単語が未だ使われるという頓狂さに唖然とする・・・という空疎な午後・・・

2016-05-02 16:26:38
nibuya @cbfn

余談。例えば「信長の精神はチェーザレ・ボルジアにも比すべきであろう」といったような文章を「日本思想史の碩学」を自他共に任ずる(?)研究者の文章に見出す時、私はたちまちにその著作に興味を失うのだ・・・。

2016-05-03 14:59:33
nibuya @cbfn

ピンチョンの『Bleeding edge』冒頭、ニューヨークの朝陽に輝く一本の樹を差して子供達に「いいこと、あれを忘れちゃダメよ」と主人公が言う。三島さんの簡素な短編『死の島』の冒頭、光に身をよじる遠いポプラの樹「なんだろうあの不思議な身振りは」という呟き。相変わらず詮無い連関。

2016-05-07 12:16:43
nibuya @cbfn

相変わらず痙攣的に捨てるべき本を箱に投げ込もうとし、よくある話、見失い忘れきっていた本を見つけて座り込む。例えば『フーリエとブルトン』なんてなぜかドイツ人の書いた本の地味な訳書。「その社会では裏切りへの懸念もなく人はただ最も激しい恋だけを思念するはずなのだ」と、まあフーリエ!

2016-05-08 06:32:16
nibuya @cbfn

・・老子、しかしなぜ老子のような人でさえ老子という名を残しているのだろうかと・・なぜ「無名のtao」の中に瀑流の漣のようにして「消えてしまったもの」として「ある」ことはないのだろう・・或いはそうなっているのに、私たちがそれを老子という固有名の中に絡めてしまっているだけなのか・・・

2016-05-08 07:04:35
nibuya @cbfn

・・失くしたと思っていた『悲しき熱帯』の川田順造訳初版が出てくる。手に入らない本じゃないがこの初版の、頭に猿を乗せて笑うナンビクワラの女の子の写真が可愛い。不意に、若桑みどりが留学の船で川田順造、蓮實重彦と同じ船に乗ってマルセイユに着いたと話していたのを思い出す。正確な話なのか?

2016-05-08 07:12:06
nibuya @cbfn

・・・自分の本棚のデタラメぶり、田中小実昌『アメン父』なんてのが出てくる。田中さんのお父上は牧師さんだったか。カリフォルニアで死ぬために逝った田中小実昌、と思うと奇妙な「旅愁」に襲われる・・・無論私はそんな場所は映画でしか知らない。サンフランシスコは実在の土地なのだろうか?

2016-05-08 07:35:53
nibuya @cbfn

全くどうでもいい話。軍隊のものは全て嫌いだがあの編上げ靴だけは許すと言って石川淳さんが愛用していたのは有名な話。半端なウォーキングシューズを履いてウォーキングしている人を見ると、ちょっと質のいい編上げブーツの方がいいのにと・・安藤製靴とか・・・まあ夏は蒸れるとかが問題かしらね。

2016-05-08 07:58:44
nibuya @cbfn

島の海岸の波打ち際で波と砂の絡まりを見つめる者が「私はここに島の終焉と未知の海洋の呼びかけを確認し宣言する」と口にするのを想像する。しかしどちらに、誰に、向けてか? まあ、何とも空疎な寓話的光景に過ぎないが。要するに島は島のままに押し黙り、準備ばかり姦しく出航は永遠に訪れず・・

2016-05-10 03:37:51
nibuya @cbfn

京都に上るのを禁じられた実朝が、懊悩か皮肉か、由比ヶ浜に底のない帆船を「浮かべ」たという話を昔友人から聞き、しかし実話か伝説なのか、そんなエピソードがどこに書かれているのか確認しないまま、今でもその素敵な帆船が鎌倉の不穏な「狐の嫁入り」のような天候の日に、浜近い沖に揺れる光景が。

2016-05-10 10:49:54
nibuya @cbfn

・・・というわけで、廃棄のために火をつけられた巨大な帆船が湾の中で炎上するのを見た少年時の思い出を語るヴァレリーの美しい文章を思い出し・・・『地中海の感興』だったか他の文章だったか。午後に点火された帆船の炎上は黄昏から夕暮れ、夜に続き、大きな燠火になり、沈む。

2016-05-10 11:11:56
nibuya @cbfn

・・・と書いて、何だか毎年同じ「思い出」を反復していることに気づき、何か変わった「派手な」記憶はないかと探り、例えばクセルクセスの大きな墓所から見下ろした無人のペルセポリス、当時は未だクセナキスの『ペルセポリス』を上演した装置の一部が遺跡には残っていて・・・とか、これも反復。

2016-05-10 11:24:43
nibuya @cbfn

・・完全に「オリエンタリズム」に過ぎないのだが、ムスリム圏の王たちの遺した「狂気」の痕跡は妙に美しいと思い、例えばタージマハルは無論、イスファファンに架かる不要な幾つもの美しい橋、とか・・・その無駄な浮橋のような意志のどこか児戯めいた切迫感の「愛らしさ」・・・思い出の退嬰化だ・・

2016-05-10 11:49:45
nibuya @cbfn

余談も余談。ズラタンはフランク・ザッパに似ている・・・と見えるのは無論僕だけの話にしても、ズラタン・・・・

2016-05-15 13:12:37
nibuya @cbfn

余談。「芸術」が「現実の本当の姿」を提出するものであるとして、「現実は本質的に虚妄である」とした場合、「芸術」は「現実の虚妄性」を「本当の姿」として提出するものでなければならない。「世界に真理はないという真理」の表出でなければならない。さして豊饒じゃない詭弁・・・

2016-05-18 10:36:06
nibuya @cbfn

余りに下らない余談。賞を得た小説が優れているわけではないし優れた小説は基本的には賞を必要としない、大方の賞はだから「教育的=政治的な利用」であるか何らかの「宣伝」であるか当該小説家が「生活問題」を抱えているか否かを配慮していると推測される場合だけ、その場合にだけ一応の説得力を持つ

2016-05-18 11:24:55
nibuya @cbfn

私事。突然ネット回線が切れ、電話のトーンも鳴らないから光回線が切れている様子。自棄性格が出て、いっそこのままにしてしまおうとも思うがそうも行かず、修理依頼。予想通り外で回線の切断。人為的か烏か、まあ三、四歳上の世代なら「盗聴!」とでも言い出すだろうが、烏か雀か蝙蝠ということで結構

2016-05-26 22:22:10
nibuya @cbfn

私事。吉祥寺は長いこと僕の行動ゾーンだったので「はな子さん」は一方的に何度も会った顔見知り、変に貧相(?)な井の頭動物園の一頭だけの居住まいで、いつも「なんでこんなとこに来ちゃったんだろうかねえ」と僕は一方的に思い、ともかく不思議な象さんだと勝手に思い続けてきたわけで・・・

2016-05-26 23:08:55
nibuya @cbfn

インド北西の熱波の報道。ラジャスタンの街の熱波を遠く思い出す。48度くらいだったか。交通の多い通りで大きな象が倒れ死んで行くのを見た。御者は途方にくれて泣いていた。渋滞も象の臨終には文句もなく沈んで見えた。象の墓場は街路でもよかったのかと無意味に思った。夕方には運び去られていた。

2016-05-26 23:29:23
nibuya @cbfn

不快な思い出・・・昔、或る大学の食堂で何とかいう文芸批評家が「昨日は研究室でノイバウテンを聴いてて徹夜しちまった」とわざわざ聞こえるように呟くのを聞いて「ケッ!」と思った・・・その男にかノイバウテンにか、さて・・・

2016-05-26 23:46:18
nibuya @cbfn

カリフォルニア・デスバレーの「動く石」のメカニズムの映像・・・カリフォルニアに滞在していた時期のフーコーは、デスバレーを訪れたかもしれないという想像(調べればわかるか)。アルジェリアの無人の海岸砂丘地帯の光景、デスバレーのメカニズム、「紙」とその上の「azert」・・・

2016-05-27 09:22:40
nibuya @cbfn

記憶の訂正。件の文芸批評家が口にした名はノイバウテンではなくトーキングヘッズだったかもしれない・・・だから? 要は「君らインテリ青二才はこんな音楽知るまい」と言いたげなその男の顔つきの、虚勢の、どうでもいいような記憶・・・

2016-05-27 10:19:46
nibuya @cbfn

余談。例えば幽霊を見た者は報告としてその幽霊がどのような服装をし表情をし目つきをし等々を語り記述するかもしれない。しかしそのうち「幽霊をがそこにいた=幽霊を見た」ということ自体の驚異は背後に退いてしまう。多くの美術史研究が私をガッカリさせるのはそれに似ている。つまらない感慨・・

2016-05-27 10:24:39
nibuya @cbfn

・・・宇野邦一さんによる新訳の出たドゥルーズ『感覚の論理学』の原題「Logique de la sensation』、「sensation」をさしあたりは「感覚」としか訳せないのは現代日本語の限界だが、要は「幽霊性の論理学」であるだろう・・・さしあたりは題名だけでも充分・・・

2016-05-27 10:40:19