インパール作戦に見る、目的をしぼれない「弱さ」。その他。追加、英領インドに及ぼした影響。
善悪の問題は、興味がないのではなく、やらない。ネットでやっても仕方がない。マイケル・サンデルの講義のように、互いに聞く姿勢を持っていれば有意義になるだろうが、ネットでは多少「聞く耳持たない」人も想定しないといけない。
2016-06-10 23:09:30また、デリダやジジェクみたいにちんぷんかんぷんな議論をしなくても、現実に善良あればそれでいい、といえる。逆にさー、デリダやジジェクを使った難しい議論をしているが、しょっちゅう他人とトラブル起こしたり、ネットで因縁付けてからんでいるような奴、全く信用できないでしょ。
2016-06-10 23:10:06まとめのコメント欄。 はんぺん氏から、「白人帝国の支配を倒す」こそ建前で、本音は経済的に圧迫されたからだったってのを知らないのかな」という指摘があった。まぁ確かに、経済的圧迫こそが理由、日本政府自身の言葉でいえば、「自存自衛」が目的だったのは確か。
2016-06-11 13:57:18太平洋戦争開始前の1941年11月、昭和天皇は「戦争の大義名分」を東条英機に問うているが、東条の答えは「目下研究中」で、いずれ奏上するといった(吉田裕「アジア・太平洋戦争」、26ページ)。
2016-06-11 13:57:38インパール作戦は、多数の病死者、餓死者を出し、補給を無視した無謀な作戦として悪名高い。この時期の日本政府と軍は、マリアナ諸島を「絶対国防圏」に設定して、いかにアメリカ軍の猛攻をしのぐか考えていた。
2016-06-11 14:02:30本来ならば太平洋戦線に集中すべきだったが、ビルマ方面からインドに進出して、インドを植民地から解放するという、大局的にも疑問符の付く作戦が実行された。
2016-06-11 14:03:06作戦の失敗が明らかになってからも、中止と撤退の判断が遅れたことについて、責任者の一人・河辺正三は、「チャンドラ・ボースの壮図を見殺しにできぬ苦慮が清純な戦略的判断を混濁させた」と弁明している。
2016-06-11 14:03:39一方で河辺は、ボースに突き動かされてインパール作戦を始めたのではないと弁明しているが、インド解放も自衛戦略も、あぶはち取らずで終わったことは間違いない。(中野聡「東南アジア占領と日本人」、268~274ページ)
2016-06-11 14:04:17追加
インパール作戦はどれほど無謀な作戦だったのか? - Togetterまとめ togetter.com/li/792801 @togetter_jpさんから
2016-06-11 20:43:55補足。 インパール作戦にはチャンドラ・ボース率いるインド人も、インド国民軍として参加したが、餓死、病死、日本兵と同様悲惨な目にあった。
2016-06-11 20:34:07右翼団体が、インパール作戦を賛美しているというまとめ記事。改めてみると、今「日本会議の研究」で注目されている、安倍首相とチョメチョメな関係の日本会議だった。要するに「日本軍はインド独立に貢献した」といってる。
2016-06-11 20:35:06戦争終了後、インド国民軍の将兵は、反逆罪でイギリスの軍法会議に付された。しかしネルー(のちのインド初代首相)が議長を務める国民会議(派)が、裁判で被告を全面的に支援し、インド全国で大衆的に反裁判・将兵釈放運動が盛り上がった。
2016-06-11 20:41:13カルカッタでの空軍兵士のデモなど、インド軍にまで影響が広がり、46年2月には、インド海軍の反乱事件が起こっている。これは歴史上、インド海軍最大の反乱になった。選挙では(植民地インドにも民主的な選挙は始まっていた)、裁判問題も争点に掲げた国民会議派が圧勝。
2016-06-11 21:09:12日本軍がこれを狙っていたのだとしたら、確かにインド独立に貢献したんだろう。しかし、作戦そのものが稚拙で失敗したのに、そんな風が吹いて桶屋が儲かるような隠された意図があったなら、結城中佐も真っ青のジョーカー・ゲームである。
2016-06-11 20:41:40日本軍側については、司馬遼太郎並みの脱線や予断を挟み、くどいくらい詳細なのに、「インド独立に貢献した」という肝心な点は抽象的で、実は知らない…、知識が偏っているのがバレバレです。
2016-06-11 21:00:55追加