- senkan_mikasa
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さて、今日は2つの命日ネタ。 まずひとつめは淵田美津雄隊長(1976)。真珠湾奇襲を攻撃隊総隊長として指揮。「ト連送(突撃!)」「トラトラトラ(我奇襲ニ成功セリ)」を発信したことで有名です。 #三笠の昔話
2014-05-30 22:12:50ミッドウェーにも参加するものの、直前に盲腸を患い海戦には参加できず。部下たちを喪って失意のうちに、内地勤務へ。その後乾坤一擲を願って再建された一航艦参謀とになりますが、再びマリアナで部下を失ってしまいます。 #三笠の昔話
2014-05-30 22:20:48戦後はキリスト教伝道師に。戦争はお互いの無理解が招く悲劇である、との意見のもと、贖罪というよりはむしろ啓蒙の立場で活動。 1976年病没。 #三笠の昔話
2014-05-30 22:36:03「沈黙の提督」と呼ばれ寡黙さが伝えられていますが。 地の性格は軽いらしく、若かりし頃留学を希望したら大久保卿に「お前はおしゃべりだからダメだ」といわれたり、乃木大将と並んで講演した際「陸軍は死ぬぞ、海軍に来い」と軽口を言って乃木大将を凍結させたりというエピソードが残っています。
2014-05-30 22:50:05一方で、紆余曲折の上実現した英国留学では国際法を詳細に学び、日本では右に出るものがないほど精通していました。 高陞号事件(日清戦争)ではその成果が発揮され、日露戦争での連合艦隊司令長官抜擢の背景にも、その知識に裏打ちされた的確な判断力を期待してのこと、といわれています。
2014-05-30 22:54:11日本海海戦において、被弾の危険の高い最上艦橋で指揮を執ったことは有名ですが・・・ その裏で、司令部のバックアップメンバーは艦橋下の鉄壁で守られた司令塔に入れて、万が一の事態(つまり自身の戦死)でも司令部が機能するようにするなど、指揮の面でも優れた提督でした。
2014-05-30 22:59:47ちなみに、こちらが司令塔。三笠艦橋の下にあります。 こんなトーチカのような鉄壁なら、万が一スリットに砲弾が直撃でもしないかぎり、絶対安全ですよね(そのため舵輪もここにあります)。 pic.twitter.com/G5TYXqyNKh
2014-05-30 23:01:32(とはいえ、その「万が一」でロジェストヴェンスキー提督は傷つき、クニャージ・スヴォーロフちゃんは戦線離脱に追い込まれたわけですが・・・)
2014-05-30 23:02:56一方、元帥・日露戦争の英雄として強大な発言力を有し続けたことは、ある意味では老弊とも言える悪影響を及ぼしたことも否定はできません。 有名なのは、条約における艦隊派の発言力の源泉になってしまったことですが・・・・
2014-05-30 23:07:31一番アレだなー と思うのは。 戦艦河内ちゃん・摂津ちゃんの設計に東郷元帥が口出しをしたことで、河内級はなんだかよくわからない設計の戦艦になってしまったことですかね。
2014-05-30 23:09:10やっぱり、日清戦争での鎮遠さん、定遠さんの影響があったのでしょうか?それとも、英国面が伝染してしまったのでしょうか。 東郷元帥の鶴の一声で、軸線方向にも火力を持たせようとした結果、河内級は砲撃指揮に支障を来たすような欠陥戦艦になってしまいました。
2014-05-30 23:10:57また、伝記出版に関しちょっと「盛っ」ちゃったところを指摘されて頭を掻いたり、奥様に若かりし頃のやんちゃを指摘されて「お前にそんな苦労をさせた覚えは無いぞー!」と逆ギレしたりと、人間臭いエピソードも残っています。微笑ましいですね。
2014-05-30 23:19:42葬儀は国葬で執り行われ、各国からは日本海海戦の英雄を悼んで儀礼艦が送られました。 米国からの儀礼艦・巡洋艦オーガスタの艦長が、後に太平洋戦争で米海軍の指揮を執るチェスター・ニミッツ提督だったのは、以前ご紹介したとおり。
2014-05-30 23:26:38戦後の評価がいずれにしても、日露戦争を勝利に導いた英雄であることは疑いようのない事実であり、世界各国での尊敬の的になっています。 あらためて、黙祷。
2014-05-30 23:29:05