【源氏物語ゆかりの地】『源氏物語』の六条院を思いながら源融の河原院跡を歩きませんか?~どきっ!「塩竈」だらけの街~

『源氏物語』において光源氏が35歳の年に造営した大邸宅「六条院」。 その「六条院」は平安時代前期に実在した源融(みなもとのとおる)の「河原院(かわらのいん)」がモデル視されています。 「河原院」跡とその周辺史跡をめぐりつつ、『源氏物語』の「六条院」を想像して歩くオフ会を行いました。
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なぎ @kakitutei
先日行った京都オフ会、『源氏物語』の六条院を思いながら源融の河原院跡を歩きませんか?~どきっ!「塩竈」だらけの街~ の様子をつぶやきたいと思います。ご興味がおありの方はお付き合いくださいませ。(*^-^*)
なぎ @kakitutei
河原院(かわらのいん)とは? 平安時代前期の源融(みなもとのとおる)が創始した邸宅です。池の庭には鴨川の水を引き入れ、陸奥国の塩竈の浦を模したといいます。当時、「陸奥の塩竈」は歌枕として有名でした。 また、大阪湾から海水を運ばせては塩を焼く煙の風情を楽しんだとも。
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源融(みなもとのとおる)とは? 822年~895年。 平安時代前期の廷臣。通称:河原左大臣。 父は嵯峨天皇、母は大原全子。 『源氏物語』の光源氏のモデルといわれる人物です。 六条坊門小路南、万理小路東に邸宅を営み、「河原院」または「東六条院」と呼ばれていました。

『百人一首』に撰ばれている源融こと河原左大臣の歌。

なぎ @kakitutei
陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにしわれならなくに (陸奥(みちのく)の「しもぶもじずり」の乱れ模様の布のように、あなた以外の誰のために私の心は乱れはじめてしまったというのか私のせいではなくあなたのせいなのだ) pic.twitter.com/dHjt6RxrDu
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JR京都駅前を出発して最初に訪ねたのは渉成園<枳殻邸>です。(*^ー^)ノ

なぎ @kakitutei
1、渉成園(しょうせいえん)<枳殻邸(きこくてい)> 源融の河原院を意識して江戸時代に作庭されました。 「塩釜」「塩釜の手水鉢」「源融ゆかりの塔(供養塔)」が見どころでもあります。 pic.twitter.com/ZiiUNQu5oI
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渉成園<枳殻邸>の広いお庭や池の様子に平安時代のお庭や池もこのような広さを誇っていたのかしら?と想像が膨らみます。(*^-^*) pic.twitter.com/5M1394POEk
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渉成園<枳殻邸>の広大な印月池(いんげつち)にはふたつの大きな島があります。これらの島は豊臣秀吉の「御土居」の跡だとか。 ※江戸時代には治水を目的とした新たな「御土居」が渉成園の東側に在ったのだそうです。 pic.twitter.com/CXQFmyzS3t
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2、文子天満宮(あやこてんまんぐう) 菅原道真の乳母だった多治比文子にゆかりの天満宮です。 「天神信仰発祥の神社」という碑や文子の像があります。 御祭神は、菅原道真公。✨ 菅原道真もまた、光源氏のモデルのひとりとも。 pic.twitter.com/Fucuqfr9Ua
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なぎ @kakitutei
平兼盛邸宅跡(?) 六条通の北、高倉通の東は「京都歴史案内」という本によると、平兼盛の邸宅跡だとか。兼盛といえば ”しのぶれど色にでにけりわが恋は 物や思ふと人のとふまで” を詠んだ人物として有名ですね。 紫式部の同僚だった赤染衛門の実父は平兼盛かも?という説も。
なぎ @kakitutei
ちなみに赤染衛門の歌で『百人一首』に撰ばれているのはこちら。 ”やすらはで寝なましものを小夜更けて かたぶくまでの月を見しかな”
なぎ @kakitutei
3、六條院公園=六條内裏跡 現在の六條院公園があるあたりは、平安末期、白河上皇とその第一皇女・郁芳門院媞子内親王が過ごした六条内裏跡です。六条院とも呼ばれました。 さて、白河院と『源氏物語』の関係といえば・・・ pic.twitter.com/RCrc1ttd3y
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なぎ @kakitutei
1119年11月27日に三条西殿(現在のスターバックスコーヒー京都三条烏丸ビル店があるあたり)にて白河院待賢門院璋子によって「源氏物語絵」の制作が注文されたことが知られます。 この時、発注された「源氏物語絵」が現存する国宝「源氏物語絵巻」である可能性もなきにしもあらず!?ん??
なぎ @kakitutei
4、宗仙寺(そうせんじ) 六條院公園のお向かいにある、宗仙寺には「籬井(まがきのい)」と刻まれた井戸があるのだとか。そして、源融の念事仏をまつる社もあるのだとか。 pic.twitter.com/BLhLYFnzpS
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なぎ @kakitutei
×念事物 ○念持仏 です。失礼しました。<(_ _)>
なぎ @kakitutei
※宮城県塩竈市には籬島(まがきしま)という島があるのだそうで、源融の河原院の池にはそれを模した島があったと伝わります。
なぎ @kakitutei
こののち、五条通を西から東へと進みました。 このあたりには「塩竈町」「本塩竈町」といった地名があります。(*^-^)b
なぎ @kakitutei
5、本覚寺(ほんかくじ・ほんがくじ) 源実朝<鎌倉右大臣>の正室・坊門信子ゆかりのお寺です。 かつて境内に塩竈神社があったそうですが、五条通の強制疎開によって取り払われたのだとか。 ご祭神:源融の坐像が本堂に安置されているそうです。 pic.twitter.com/qRYmMmhiSC
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鎌倉右大臣といえば『百人一首』にも選ばれたこの歌を思い出します。 ”世の中はつねにもがくななぎさこぐ あまの小舟の綱手かなしも”
なぎ @kakitutei
本覚寺や上徳寺があるあたりは河原院跡の北西部に相応します。これを『源氏物語』に登場する六条院の想定図に重ねたとしたら、明石の君が住んだ「冬の町」にあたります。 「冬の町」では明石の女御がのちの東宮となる皇子を出産しました。 ※明石の女御は入内前や出産後は「春の町」で生活。
なぎ @kakitutei
六条院冬の町は、明石の君の住居があり、北には御倉町がありました。 「冬の町」は「戌亥の町」とも呼ばれています。寝殿を設けず大きな二つの対があるのみの質素な住宅で庭には松の木を多く繁らせ雪景色を鑑賞するのを楽しみました。
なぎ @kakitutei
『源氏物語』において、光源氏とのあいだに明石の姫君を産んだ明石の君が住んだ六条院冬の町。そして明石の姫君がのちの東宮を生んだ六条院冬の町。 そんな六条院冬の町にあたる場所に、現在、上徳寺こと子授け・安産で信仰されている世継地蔵さんがあるのでした。
なぎ @kakitutei
6、上徳寺(じょうとくじ)<通称:世継地蔵さん> 山号(さんごう)は塩竈山(えんそうざん)。ご住職の姓も塩竈さんとおっしゃるそうです。世継地蔵さんを参拝。 上徳寺の西裏の墓地は窪地になっており、「河原院」の池の跡とも伝わるのだとか。 pic.twitter.com/G6pp4wkmW7
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上徳寺の墓地には、大河ドラマ「#真田丸」にも登場する徳川家康の側室・阿茶局の墓もあります。(実際に葬られているのは東京都内の雲光院だそうです) pic.twitter.com/7WlIiBHkco
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コメント

トゥギャッターまとめ編集部 @tg_editor 2016年6月20日
現地に行った際にはぜひ足を運びたいですね!
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