アルトーシンポジウム 抵抗と再生 感想

アルトーシンポジウム 抵抗と再生 感想
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あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

アルトーは自分が思考出来ない言語化出来ないとしつつ、 後世に影響を与えたのはテキストで。 思考せざるをえない、言葉にせざるを得ないのも、人間(アルトー)?

2016-06-26 16:34:50
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

絶え間ない様々な刺激(痛み)と反応(動き、感情、思考)の連鎖で、一貫した思考が出来ないのかなぁ、とか。 刺激と反応、ということだと、また、インプロとつなげて考えちゃう。

2016-06-26 16:38:26
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

アルトーシンポジウム@立教大、面白かった!!

2016-06-26 21:07:33
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

堀切克洋さんはアルトーの魅力について、 1、なぜか、色んな人が色んな読みをする。常に同時代的、未来に生きてる。 2、徹底的に抵抗し続けた。完成せず、ゴールが宙づり。プロセス重視? 3、ジャンル横断的活動=詩、演劇、映画、デッサン。映画・ラジオが出来た特異なメディア環境に生きた。

2016-06-27 01:12:21
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

上手い演技は、役と役者の違和感を失くすもので、 そうでない演技は、役者が演じてることを前景化する、ってことなのかな。

2016-06-27 01:14:40
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

上手い演技、好きだからなぁ。むーん。

2016-06-27 01:15:07
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

江川隆男さんの話、途中から分からなかったけど、面白かったな。 アルトー後期集成の書評について、 「外から研究対象として見るのでなく、自分の中でアルトーの言葉がどう展開するか、静かに見ていく、書きとる」としてて。 アルトーテキストの自分の文脈での受容、解釈についてかな。

2016-06-27 01:18:38
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

『読んでない本について堂々と語る方法』も、(自分の)文脈にひきつけてでしか読めないでしょ、 って話だと思うから、 なんか、分かった気がする。

2016-06-27 01:20:24
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

後のシンポジウムで堀切さんは 「フランス語話者にとっての存在という語の感覚・実感(be動詞なので分かりやすい)と、日本話者にとっての存在、という言葉の感覚は違うので難しい」 としてたけど、 江川さんとしては、 「アルトーがどう考えてたか、より、私がどう考えるか」って感じなのかな。

2016-06-27 01:24:00
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

江川さんは、アルトーの現在の日本における意義について、 あるか、ないか、じゃなくて、 どう見出すか、 どう日本の文脈に当てはめるか、アダプトするか、みたいに話してた気がして。 一貫してるなぁ、と。

2016-06-27 01:25:33
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

非ー存在の話は、よく分からなかったけど、 グノーシス教の反宇宙的二元論、 この宇宙は悪の宇宙。悪の宇宙を作った神は善なる神でなく偽の神。どこかに真の神と新の世界があるはず、 って思想に似てるなぁ。 存在=生?、否ー存在=死、殺すこと? でなく、 非ー存在=生ではないもの、とか?

2016-06-27 01:32:29
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

アルトーの 身体を叫び・気息によって別の身体に、 って話は、 なんか、『演劇学へのいざない』の、 強い現前の話を思い出したなぁ。

2016-06-27 01:34:11
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

哲学者には、概念的人物?があるって話も面白かった。 ~なら、どうするか。 プラトンはソクラテス、 カントは市民、 ヘーゲルは国民、 マルクスは労働者、 ニーチェはツァラストラ、ディオニソス ドゥルーズはノマド、 アルトーは難民?戦士?

2016-06-27 01:36:57
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

江川さんにとってアルトーはドゥルーズを通して知って、 スピノザ、ニーチェ、ドゥルーズ、ガタリの身体についての哲学の系譜にある、 とのこと。 哲学では、プラトンやカントなど、基本的に身体は置いてけぼり?

2016-06-27 01:39:32
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

宇野邦一さんは、アルトーの生涯を追いつつ分かりやすいテーマの説明。 初期の病気の痛みによる思考不可能性→思考とは何か、 不可能な思考に代わる情動・身体、別の身体・言語を取り戻すこと、身体の?自動性、 後期の東洋等の異世界と向き合い、西洋の思考・言語・体制批判、器官なき身体、など?

2016-06-27 01:47:41
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

シンポジウムでも、色々、面白い話。 ソシュールの言葉の恣意性=音と意味につながりはない、 それに反対するガタリ=音に意味は関係する、 cf.中沢新一『アースダイバー』、岬のs音は日本語の中で神聖な響き ランボーは動物でもわかる普遍言語を目指す。 アルトーやポストドラマ演劇的?

2016-06-27 01:57:08
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

『演劇学へのいざない』の、 音声はそれ自体で身体性を持ち、記号でもありうる(すすり泣きなど) っていうに似てる気が。

2016-06-27 01:58:33
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

捩子ぴじんさんの話で 「音を聞くにしても、例えば、相手の声だけを聴くのでなく、空調や照明機材の音、など、ここにある全ての音を分けずに聞くこともある。 あるいは、他の感覚全ても分けずに感じる。 そうすると、おなかの不随筋や、小さい筋肉が動く」 と。

2016-06-27 02:08:56
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

その話は、江川さんが言った、 アルトーは減算する、という話に共鳴するそう。 駅から学校へ急ぐ、というのは一つの概念だけど、 概念以前の、体の触覚で動く、と捉えるのが減算。 言語化、分節以前のそのままで捉える、ということ?

2016-06-27 02:11:27
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

捩子さんが最後の方に話した、 ただ歩く、ただ疲れてへたり込む、心不全で倒れてしまう、 というのは、良いダンスだと思う、 生理から生まれるダンスは良いと思う という話は、 アルトーの何も表象・再現しない、心理でない、(器官による?)自動性とかと つながる気がするけど、どうだろう?

2016-06-27 02:15:28
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

あと、 まだ器官なき身体が分からないんだけど、 宇野さんの 器官なき身体は器官である心理にとって残酷、 っていうのは、なんか印象的。

2016-06-27 02:41:49
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

ドゥルーズ=ガタリの器官なき身体について。 1000ya.isis.ne.jp/1082.html

2016-06-27 03:03:27
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

「欲望は機械である」欲望は自動的に生まれて動いて、さらに道具や器具で欲望は触発される? アルトーのどんどん飛び火する思考しようとする衝動=欲望=器官なき身体? アンチ・オイディプス。フロイトは超自我=ある倫理に基づく理性?を想定。これを批判して、衝動のままに飛び火するべき?

2016-06-27 03:07:30
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

「ドゥルーズ=ガタリは分裂症の本質には、 衝動や欲望が内部にむかって押し潰されているところがあると見なした。 そして、そのようになっているのは資本主義社会のせいではないかと考えたのだ。」 ちょっと、わからない…。資本主義は欲望を肯定するイメージが…。 近代社会・倫理なら分かる。

2016-06-27 03:11:17