英語版Wikipediaパット・ギャレットのまとめ
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パトリック・フロイド・ジャーヴィス・“パット”・ギャレット アラバマ州チェンバースにジョン・ランプキン・ギャレットとエリザベス・アン・ジャーヴィスの間の五兄弟の第二子として1850年6月5日誕生
2016-07-02 11:01:45兄弟の名前はマーガレット、エリザベス、(パット)、ジョン、アルフレッドだから、姉、姉、パット、弟、弟の順番かな? 長女に母親の名前をつけそうなイメージ(根拠のない偏見です)だから書いてるうちに逆かもなと思ったけどどうなんだろう、もしかしたら順不同に並べただけかもしれない
2016-07-02 11:01:54パットが17歳の(1867年)3月25日に37歳の母が死亡、翌年の2月5日に父親が死亡。パット達兄弟には三万ドルの借金が残された。翌年1869年に西部に向かうけど、7年の足跡はよくわかってないらしい。1876年ごろにテキサスでバッファロー狩やっててそこで最初の殺しをやったっぽい?
2016-07-02 11:02:01被害者は仲間のバッファローハンターのジョー・ブリスコー。ギャレットはテキサスのグリフィン砦に自首したけど不起訴?になったっぽい?ごめんわからん 喧嘩してるうちにうっかりとか、正当防衛とかだったのかもしれない。この後バッファロー狩りの稼ぎが少なくなってニューメキシコに向かう
2016-07-02 11:02:11ギャレットはニューメキシコのサムナー砦でカウボーイの雇用を見つけてる。雇い主はペドロ・メナード・“ピート”・マクスウェル。ビリーの恋人の兄貴だ!やっぱり名前ペドロだった!ピートは1848生まれ、パウリータは1864年生まれなので16歳違いの兄妹だったみたい
2016-07-02 11:02:31パウリータはここ(angelfire.com/mi2/billytheki…)曰く1/2がフランス人、1/4がアイリッシュ、もう1/4がヒスパニックだったらしいので、腹違いや父違いでなければピートも同じかな。
2016-07-02 11:02:53名前から見て母親がアイリッシュとヒスパニックの混血、父親がフランス人っぽく見えるけどマクスウェルってアイリッシュというかイギリスっぽい名前に見えるので、父親が婿入りしたのかもしれない(個人的な考えなので信じないでね)
2016-07-02 11:03:02パウリータがギャレット(とビリー)の性格を話してるのをここ(angelfire.com/mi2/billytheki…)で見かけたけど、このパットがピートに雇われてた時にパウリータとパットは知り合いだったのかも
2016-07-02 11:03:40ところで私ここでパウリータの二人の評価を「パットとビリーは二人共クールだったわ」って読んでたんだけどよく見たらcoldだった。どっちかというと「二人共冷たくておかたい性格だったわ」とか「二人とも冷たくてたくましい人だったわ」とかそういう意味かもしれないと思いました
2016-07-02 11:03:52※coldをcoolと読み間違えていた
「(ギャレットは)ビリーみたいに冷酷非道な性格だった」って言い回しだからパウリータちゃん普段からビリーのこともちょっと怖い人だと思ってたのか そういう見えない細い線引いてそれでも寄り添うパウリータちゃんツボい
2016-07-02 11:32:07すごくありがたい…本当にありがとうございます
つづき パットはこのサムナー砦で一度目の結婚をする(英Wikipediaではここが初婚になってる)。テキサスでの最初の殺人→自首と不起訴→バッファロー狩りがふるわなくなってニューメキシコへ、と最初の殺人(以前に妻子あり)→逃亡→妻子を捨ててニューメキシコへ、の2つ説があるのか?
2016-07-03 03:20:44最初の結婚相手はフアニータ・グティエレス。名前からしてスペインかメキシコ系。フアニータは結婚してわずか一年後、出産の時に死んでしまったらしい。このフアニータの子供の事は以降出てこないので、死産だったか産まれてすぐに夭折してしまっているのではないかと思うけど記録とかは見当たらない。
2016-07-03 03:20:57パットの男やもめ生活は長く続かず、すぐに当時19歳だったフアニータの妹アポリナリアと結婚。パットは29だったので10歳差だった。アポリナリアは1881年から1905年の間に、パットの子供を八人出産している。
2016-07-03 03:21:08名前はアイダ、ダドリー、エリザベス、アニー、パトリック、ポーリーン、オスカル、ジャーヴィス。なので四男四女っぽい。このうち長女っぽい?アイダは15の若さで亡くなり、死んだパットはこの長女の横に収められたらしい。西洋埋葬事情に詳しくないので墓が同じなのか墓同士が隣なのかはわからない
2016-07-03 03:21:28ところでジャーヴィスはパットのミドルネームでパットの母のラストネームで、ジャーヴィスはここ(www2u.biglobe.ne.jp/~simone/more/p…)いわく姓名の転用名らしいので母の旧姓を名前に使ったんだと思う。たぶん。
2016-07-03 03:22:18後々からよく考えたらアイダは発音的にはアイーダ、オスカルは英語圏なのでオスカーだと思います。
あとアニーはアンの愛称形で、パットの母の名前はエリザベス・アンなのでアニーもパットの母親に由来した名前のような気がする。
ギャレットの英版Wikiではビリーが食べ物を求めて出てきた所を撃ったんじゃなく、ビリーが(多分恋人パウリータの)寝室にやって来た所を待ち構えて殺した、というふうに説明されてる。
2016-07-03 03:22:34深夜、ビリーは別の場所でぐっすり眠っていたが、夜中に目を覚まし、パウリータの寝室に行った。するとギャレットが闇の中に立っていて、ビリーは彼が誰か判断できず、スペイン語で「誰?」と繰り返し尋ね、ギャレットはこれに二発の発砲で応え、最初の銃弾はビリーの胸に当たり、彼を殺した…的な感じ
2016-07-03 03:22:58ビリーの死に際して新聞記者達はビリーを英雄のように描き、同時にギャレットを暗殺者のように思われる報道をしたらしい。1882年、ギャレットはこれに対抗するように、本を書いた。
2016-07-03 03:23:09これが例のビリー本、ビリー・ザ・キッドの真実の生涯なわけなんだけど、この本はパットの友人マーシャル(シェリフとは違う保安官、警察署長と訳される事も多い)、アシュマン・“アッシュ”・アプソン(1828-1894)をゴーストライターに書いた本らしい。
2016-07-03 03:23:19割と自分で書きたがりそうな印象を覚えたので割と意外。記者に対抗するための本だから万全を期したかったのか、文章作成が苦手だったのか。そもそも西部時代の識字率は相当低かったらしいし読み書きそのものができなかったとかそういう可能性もあるけど。妄想が広がりますね。
2016-07-03 03:23:38この本は相当大成功したらしく、1969年にレイモン・F・アダムス(調べたけど誰なのかよくわからない)が「1882年のオリジナル版は非常に稀少」と言っている。
2016-07-03 03:23:57そこからギャレットは1884年3月20日、テキサスの知事ジョン・アイアランドに自分をテキサスレンジャーの上官代理(?)にする約束を取り付けるが、年を越すことなく辞職してるっぽい?何か問題があったとかは書いてない。
2016-07-03 03:24:16