サンシャイン! 13話についての私見
私なりの13話の解釈を書いてみます。 特に、あの「寸劇」がなんだったのか。 まず、個人的に11話と13話については、初見ではノリ切れませんでした。どちらも、期待と違う方向のお話で、戸惑ってしまったからです #lovelive_sunshine
2016-09-28 00:45:30しかし同時に強く感じたのは、何か意図があってこのような話にしているはずだ、ということ。 誰もが感動した「学年別シーン」からもわかります。製作側は、我々が望むモノを正確に把握しており、しかしそれを前半までで切り、あの寸劇を入れる必要があった #lovelive_sunshine
2016-09-28 00:53:32第一のポイント。 13話当時のツイートでも書きましたが、ラブライブのお約束として、ミュージカル演出が「ここから先はリアリティを排除した表現です」というスイッチになるらしい。 舞台演劇みたく「多少現実味のない表現でも許す」モードになるイメージ #lovelive_sunshine
2016-09-28 01:02:10初代13話では、3人の「時空を超えたススメ」がこのスイッチだったのですが、当時はそれを読み取れず、「なぜいきなりライブが?」という不自然さに戸惑いました。 その反省からか、今回はスイッチが親切だったので、迷わず見ることができました #lovelive_sunshine
2016-09-28 01:04:42あの場面は、千歌が足を鳴らした瞬間から、そういう「モード」です。 だから、やたら寸劇が長かったり、モブが舞台に駆け寄ったりすることの「不自然さ」は、許さなくてはなりません。 これまでも、これからも、これこそが「ラブライブ」という作品なので… #lovelive_sunshine
2016-09-28 01:11:07では、そのようないわば「仮想空間」で、何を表したかったのか。なぜ、我々が知っている物語を、あえて長々と語るのか。ここに、とても悩んでしまいました。 おそらく、そのポイントは、モブ達だったのだと思います #lovelive_sunshine
2016-09-28 01:16:43大体の方は気づかれてるでしょうが、「神モブ候補」である「456」トリオには、先代「ひふみ」ほどの協力描写がありません。 3人だけで協力している描写は3話までで、その後は、必ず複数のクラスメイトとともに登場し、簡単な協力をする程度でした #lovelive_sunshine
2016-09-28 01:21:13そのモブ子達が、最終話でいきなり「私たちも輝きたい!」などと言ってきて、驚いたし、「お前らロクに努力もしてないじゃん」とか思ってしまいました。 で、結局一緒に歌わないなら、あのシーンは何のためにあったのだろう。ここがカギだったと思うのです #lovelive_sunshine
2016-09-28 01:27:01初代では、μ'sという「女神」の9人だけが努力をし、それを「神モブ」だけがサポートして、学校を「救ってくれ」ました。他の生徒は、せいぜい雪かきをしただけです。 サンシャインはここから、ここを変えて来るのではないでしょうか #lovelive_sunshine
2016-09-28 01:36:28あの寸劇は、これまでAqoursが乗り越えてきた努力や苦しみを、全校生徒や町の人が「初めて知る」という場面だったと思うのです。 そして、「町と学校をあげての真の協力体制」が生まれる。そのプロセスをあれほど簡潔に描ききった13話。見事です #lovelive_sunshine
2016-09-28 01:52:56「技術至上主義」となったラブライブ大会。そのアンチテーゼとしてのAqours。 「町の人々と全校生徒の協力」は、彼女達の「独自の」武器であり、その武器が「本物」に変わったところで一期が終わりました。二期にはどのような物語が待っているのでしょう #lovelive_sunshine
2016-09-28 02:03:34以上、また長々と失礼しました。 あれほどの深い愛を持って綴られた物語が「クソ最終回」などと書かれているのが、ほんとうに悔しくて… (まあ、もっとわかりやすく描いてくれよ、という不満はありますが…)
2016-09-28 02:14:32すみません、一言足りなかったのを補足。 モブ子達は、千歌たちの苦労を知らず「輝きたい」とか言い出した →あの寸劇をみてそんなことを軽々しく言えないことを理解した →これからは応援者として、しかし自分ごととして、一緒に戦ってくれる という構造 #lovelive_sunshine
2016-09-28 02:26:54