ジャーナリスト・烏賀陽さん(@hirougaya)が語る「ネットの平等性と対等性」
- toshihiro36
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インターネット時代になっていちばん不幸なのは、旧メディア時代の「読者」意識のまま滞留している人々である。ネットの持つ「平等性」「対等性」に気付かないからである。
2011-03-01 00:24:30自分たちがまるで観覧者のように記事や写真、番組などの二次情報を批評して発言していればいいと思っている。だが、その発信する言葉そのものが、また批評され、淘汰されることに気付かない。
2011-03-01 00:24:48テレビや新聞では「お客様」「読者さま」のまま安逸な椅子に座っていればよかった人たちが、今度は発信者として批評され、ふるいにかけられ、淘汰される。発信者と受信者が入れ替え可能で対等なのがネットなのだ。
2011-03-01 00:26:05だから、彼らは今まで安楽椅子に座って、こたつに入って批評と呼ぶ価値もない文句だけを言っていればよかった地位が失われるのを本能的に恐れている。批評はしたいが、批評されるのはいやなのだ。だから本当の意味で対話者と対等になるのを怖がる。
2011-03-01 00:28:32誰かが「記事」「番組」などにまとめてくれた二次情報、間接情報をあれこれ批評(というほどの価値もない)している行為など、しょせん知性など必要はない。赤提灯の酔っ払いの酔談の域を超えることはまずない。
2011-03-01 00:30:55そうした人たちは、自分たちがあれこれ批評していた対象がくるりと向きを変え、自分たちと対等に発話し始めると、蜘蛛の子を散らすように逃げる。もともとネットの対等性など、彼らは覚悟がないのだ。
2011-03-01 00:32:04こうした人々が叫ぶ「ネットの平等性」とは、自分たちが相手に要求するだけの平等であり、自分たちが果たす義務をも含めた平等では決してない。
2011-03-01 00:37:16だから、ネットの平等性、対等性とは、実は今まで「読者」だった人たちが今度は「発言者」として淘汰される、という意味でもある。誰も言わないのでここではっきり言っておく。
2011-03-01 00:39:30https://picasaweb.google.com/112808523819835759271/20110214CCAC?feat=directlink カルフォルニアの州都で、現地記者の団体と州政府の関係を取材したときの写真です。
2011-03-01 03:31:09要はその意見が淘汰されるか多数を納得するか、それだけの話です。読む人が決めればよいのです。自由とはそういう「生存と淘汰の見えざる手」に委ねることなのです。
2011-03-01 04:26:31カルフォルニア州政府の「記者クラブ」についての「速報」はこちらをどうぞ。 http://twilog.org/hirougaya/date-110216
2011-03-01 04:29:13不正や欺瞞が多数によって行われる事実は、不正や欺瞞を1ミリも正当化しない。「多数が間違っている」という事実を証明するだけである。
2011-03-01 04:31:39